雅工房 作品集

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藤原純友 ・ 今昔物語 ( 25 - 2 )

2017-08-13 09:20:47 | 今昔物語拾い読み ・ その6
         藤原純友 ・ 今昔物語 ( 25 - 2 )

今は昔、
朱雀院(朱雀天皇)の御時に、伊予掾(イヨノジョウ・伊予国政庁の三等官)藤原純友(スミトモ)という者がいた。筑前守良範という人の子である。
純友は、伊予国にあって、多くの勇猛な武士を集めて配下として、弓矢を帯びて船に乗り、常に海に出て西の国々から京に上る船の荷物を奪い取り、人を殺すことを仕事のようにしていた。
その為、往き来の者は容易に船路が使えず、船に乗る者がいなくなった。

この為、西の国々より国解(コクゲ・国司が中央政庁に上申する公文書。)を奉り、「伊予掾純友は、悪行をもっぱらとし、略奪を好み、船に乗って常に海上にあって、国々の往来の船荷を奪い取って人を殺害しています。これは、朝廷・人民にとって、大いなる煩(ワズラ)いでございます」と訴え出た。
天皇はこれをお聞きになって驚かれ、散位(サンイ・位だけで官職のない者)橘遠保という者に、「その純友を速やかに誅罰せよ」と命じられた。
遠保は宣旨を承って、伊予国に下り、四国ならびに山陽道の国々の兵士を徴集して、純友の拠点に攻め寄った。純友も奮起して待ち構えて合戦となった。しかし、朝廷軍には勝てず、天罰をこうむって、遂に討ち取られてしまった。

また、純友の子供に十三歳になる童がいた。姿端麗にして、名を重田丸と言った。まだ幼少とはいえ、父と共に海に出て、海賊働きを好み、大人にも劣ることがなかった。
遠保軍は、その重田丸をも殺して首を斬り、父のものと二つの首をもって、天慶四年(941)七月七日、京に上り着いた。まず、右近の馬場において事の次第を奏上したが、京じゅうの上中下の人々が大騒ぎして見物した。車の置き場もなく、歩行者は立ち留まることも出来なかった。天皇はこれをお聞きになって、遠保をお褒めになった。

その次の日、左衛門の府生(フショウ・六衛府の下級職員)である掃守在上(カモリノアリカミ)という、物の形を少しも違うことなく写す高名な絵師がいたが、その者を内裏に召して、「かの純友ならびに重田丸の二つの首が、右近の馬場にある。速やかにそこへ行き、その二つの首を見て、写して持って参れ」と命じられた。
これは、かの首を天皇が御覧になろうと思われたが、内裏に持ち込むわけにもいかないので、このように絵師を向かわせて、その形を写して御覧に入れるためであった。
そこで絵師は右近の馬場に行き、その首を見て写し、内裏に持って参ったところ、天皇は殿上の間で御覧になった。首を描いた絵は、実物と少しも違わなかった。
しかし、二つの首を写して御覧になられたことは、世間の人はよく言わなかった。

さて、首は検非違使左衛門の府生の若江善邦という者を召して、左の獄舎に下げ渡した。(左右に獄舎があった。)
遠保には恩賞が与えられた。
この天皇の御代には、去る承平年間に平将門の謀反事件が発生して、世をあげての重大事であったが、程なくしてまたこの純友が討たれ、このような大事件が打ち続き発生したのは、世間では様々に語られた、
となむ語り伝へたるとや。

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