雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

人格の支え ・ 小さな小さな物語 ( 988 )

2017-07-18 08:32:36 | 小さな小さな物語 第十七部
私が住んでいる市には、高校野球の地方予選の主力の球場があります。
大きな公園の中にある球場で、遥かな昔には、プロ野球のキャンプが行われたことのある由緒ある球場なのです。
まあ、自慢をしてみたところで仕方がないのですが、たまたまそばを通りかかりますと、今年も元気な声が聞こえてきました。立派な球場といっても、観客席は甲子園より少々小さいですから、中を覗き込むことはあちらこちらからできます。その隙間から、元気の塊のような少年(すでに青年なのでしょうか?)の姿を見ていると、自然に微笑んでしまうような気持になってしまいました。
残念ながら、所用もあって、それよりも何も、この炎天下にスタンドに入る自信がなくて、無賃見学で失礼してしまいました。

夏の高校野球の全国大会は、その熱心さの度合いはともかく、多くの方が関心を持たれるのではないでしょうか。
日頃は、『甲子園といえば、俺の本拠地みたいなものだ』とうそぶくような熱心過ぎる某球団フアンでも、この大会の時期だけは、甲子園=高校野球ということに何の文句もないようです。
ただ、そのため、この大会中は甲子園が使えないため、若干内弁慶的なわが贔屓チームは、毎年のようにこの期間は苦戦を強いられています。
そういえば、少し前に当ブログで、『貯金が、貯まって貯まって』という幸せな文章を書かせていただきましたが、このところ少々浪費気味で、優勝どころか、三位のチームの成績が気になる状態です。

それはともかく、私が通りかかった球場で行われていた試合も、あと一時間足らずで勝敗が決したはずです。
勝ったチームは次に向けての準備に大忙しでしょうが、負けたチームにとっては、夏の大会は終わったことになります。そして、おそらく三年生にとっては、高校生としての最後の公式戦になったのではないでしょうか。まだまだ若く、まだ青年と呼ぶのさえ幼すぎる感じさえする人たちでしょうから、青春が終わったわけでありませんが、青春の日の大きな角の一つを曲がったことになるのではないでしょうか。
高校野球について語られる時、大人というより、相当生きてきた大人たちは、「高校野球は教育の一環だ」といった意味をよく語られるようです。日頃は、白々しい気持ちがしてしまうのですが、この炎天下の試合で、敗者として球場を去っていく若者たちのやるせない気持ちを思いやると、やはり、「高校野球から、何かを学んでくれたはずだ」と思ってしまいます。

つい先日、私の住む県内で痛ましい事件が発生しました。
また、テレビを見ていると、しっかりとした教育を受け、しっかりとした社会人として活躍していたと思われる人の、見ているだけで気分が悪くなるような醜態が報道されています。それも、一つや二つではありません。その人たちも、おそらく普段は普通の人とあまり違わない程度の常識は有していたと思うのですが、突然切れてしまったのか、人格の支えとなるような経験を持つことなく今日まで来てしまったのか、あるいは・・・、何らかの原因があるのでしょうね、きっと。
願わくば、この夏の高校野球の地方予選で、残念ながら早々と敗退してしまった選手たちが、その一瞬の、悲しくも見事に輝いたであろうその経験を、その後の人生における一つの支えとしてほしいと願っています。
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