雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

名将 源頼信 ・ 今昔物語 ( 25 - 9 )

2017-08-13 08:42:44 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          名将 源頼信 ・ 今昔物語 ( 25 - 9 )

今は昔、
河内守源頼信朝臣という者がいた。これは、多田満仲入道という武者の三男である。
武道について、いささかも心もとないということはなかったので、朝廷も彼を重んじていた。それゆえ、世間の人もみな畏怖の念を抱いていた。

さて、この頼信が常陸守になって、その国に下っていた頃、下総国に平忠恒(タダツネ)という武者がいた。私兵を抱えていてその勢力は極めて大きく、上総・下総両国を思いのままに行動していて、国政に従わず租税なども無視していた。
また、常陸守の命令も、何事につけ従おうとしなかった。常陸守はこれを大いに咎め、下総に兵を進めて忠恒を攻めようと気負い立ったが、常陸国の左衛門大夫・平惟基(タイラノコレモト)という者がおり、この事を聞いて、守(カミ・源頼信を指す)に進言した。「あの忠恒は、強い兵力を有している者です。また、その本拠地は容易く攻め寄せられる所ではありません。それゆえ、少々の軍勢ではとても攻略できないでしょう。軍勢を多く集めてから進攻なさいませ」と。
守はこれを聞いて、「その通りだとしても、このまま黙っているわけにはいかない」と言って、次々と兵を進め、下総国に入ったが、惟基は三千騎の軍勢を集めて、鹿島神社の前で合流した。

見渡す限り白く広い砂浜に、ちょうど朝の事なので、二十町(2km余り)ばかりの間が、兵士の持つ弓すべてが朝日にきらめいていた。
守は、国庁の者や国内の兵士たちを率いて、二千人ほどの軍勢であった。そして、この合流した軍勢は、鹿島郡の西の浜辺を出立したが、人の姿は見えず、きらきらと輝く弓の林立が進軍するかのようで、まるで雲の如くであった。
これほどの大軍は、世に残る昔話には聞いているが、実際にはまだ見たこともないと人々は驚嘆した。

衣河(鬼怒川)の河口は、さながら海のようである。鹿島の香取の渡しの対岸にいる人の顔が見えないほどの広さである。
しかも、あの忠恒の屋敷は、内海(湖)を遥か中に入り込んだ奥にあった。従って、攻め寄るには、この湖の岸を迂回して進むとすれば、七日ほどもかかるであろう。真直ぐ湖を渡れば、その日のうちに攻め込まれてしまうので、この地の有力者である忠恒は、その渡しの船を皆取り隠してしまっていた。

その為、湖を渡るすべもなく、全軍が浜辺に立ち止って、「岸を回らなければならない」などと思っていたが、守は大中臣成平という者を呼び寄せて、小船に乗せて忠恒の許へ遣わした。
成平には、「敵に戦意がないと思ったなら、速やかに戻って来い。敵が戦うつもりなら、戻ってくることは出来ないであろうから、ただ、船を下流に向けよ。我らはそれを合図に押し渡ろう」と言った。成平は、この指示を受けて小舟に乗って出発した。
すると、惟基は馬から下りて、守の馬の口を取るのを見て、全軍の兵がばらばらと馬から下りた。その様子は、風が草をなびかせるようであり、馬から下りる音は、風が吹くかのごとくであった。

さて、成平は船を下流に向けた。
というのは、忠恒の守に対する返答は、「守殿は、ご立派なお方であられる。当然、降伏に参るべきでありますが、惟基は先祖以来の敵である。その者がいる前で馬から下りてひざまずくなどということは出来ることではありません」というものであったので、船を下流に向けたのである。

守はこれを見て、「この湖を迂回して攻め寄せるならば、数日を要するであろう。それでは、敵に防御態勢を構えるだろう。今日のうちに寄せて攻撃してこそ、あいつは不意を打たれて慌てるに違いない。それにしても、船は皆隠されてしまった。どうしたらよいのか」と、大勢の軍兵たちに問いかけると、軍平たちは、「他に良い策がないのであれば、迂回して攻め寄せるべきでしょう」と答えた。
守は、「この頼信が坂東(バンドウ・関東)を見たのはこの度が初めてである。それゆえ道の案内は全く知らない。しかし、わが家の伝えで聞いていることがあり、それには、『この湖には浅瀬が堤のように、幅一丈(約3m)ほどで真っすぐに渡っており、その深さは馬の太腹(フトバラ・馬の腹の一番膨れているところ)が水がつく位』とある。その浅瀬の道は、きっとこの辺りを通っているはずである。この軍勢の中に必ずそれを知っている者がいるはずだ。されば、その者が先頭に立って渡れ。頼信はその者に続いて渡ろう」と言って、馬を早めて岸辺に寄ると、真髪高文(マカミノタカフミ)という者が、「私が度々渡ったことのある道です。先導させていただきましょう」と言って、葦を一束従者に持たせて、湖中に乗り入れると、馬の後ろに葦を突き刺しながら渡って行くと、これを目印に他の軍兵たちも次々と渡って行ったが、途中に泳ぐ所が二か所あった。
軍兵が五、六百人ほど渡った後、それに続いて守も渡った。

多くの軍兵たちの中でも、この道のことを知っているのは三人ほどであった。その他の者は、まったく聞いたこともないことなので、「この守殿は、この度はじめてこの地に見えられたのだ。それなのに、我らとて知らないのに、どうしてこの事を知っていたのか。やはり、人に優れた武将なのだ」と皆思い、畏怖の念を抱いた。

さて、守の軍勢は湖を渡って行ったが、忠恒は、「敵は湖を迂回して攻めてくるだろう。船は隠してあるので、渡ることは出来まい。また、湖中の浅瀬の道は、おそらく知っておるまい。わしだけしか知らないはずだ。迂回して来るには数日かかるはずだから、その間に逃げてしまえば、我らを攻めることは出来まい」と思って、のんびりと軍備を整えていると、家の周囲に配置していた郎等が走ってきて、「常陸殿はこの湖の中にある浅瀬の道を、大軍を率いて、すでに渡ってきています。何となさりますか」と、訛りのある声であわてふためいて報告した。
忠恒は、考えていた段取りがすっかり崩れて、「わしは攻め込まれてしまったか。今となっては、何のすべもない。もう駄目だ。降参しよう」と言って、ただちに名符(ミョウブ・ここでは、降伏して家来となる旨の証の名札。)を書いて、文差(フミサシ・文書を挟んで貴人に差し出す白木の杖。)に差し、謝罪状を添えて郎等に持たせて、小舟に乗って迎えさせた。
守はこれを見て、名符を取ってこさせ、「このように名符に怠状(タイジョウ・降伏が遅れたことを謝罪する書状。)を添えて差し出したからには、すでに[ 欠字あるも、推定できず。]したのであろう。それを強いて攻撃すべきではない」と言って、「この名符を取って、速やかに引き上げるべきである」と言って、馬を返したので、全軍が従った。

それ以来、この守を大変優れた武将だと知って、人々はますます畏怖するようになった。
この守の子孫は、優れた武人として朝廷に仕え、今も栄えている、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆





ジャンル:
その他
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« いらぬ一言 ・ 今昔物語 ( ... | トップ | 源頼親(欠文) ・ 今昔物... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL