雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

金は金色、銀は銀色 ・ 小さな小さな物語 ( 883 )

2016-10-12 10:00:46 | 小さな小さな物語 第十五部
リオ・オリンピック、わが日本チームは大健闘です。
何十年ぶりのメダルであるとか、金メダルであるとか、あるいは、女子体操の団体のように、見事四位入賞といっても男子の活躍に比べると見劣りするものですから地味に扱われがちですが、前の東京オリンピック以来の快挙となれば、大いに拍手を送りたいものです。
また、同じ色のメダルであっても、銅メダルに歓喜する人もあれば、悔しさを滲ませている人もいます。それぞれに、それぞれの思いがあり、どの選手もが背負いきれないような背景に押しつぶされそうになっていたのだと思ってしまいます。

しかし、考えてみますと、オリンピックとなれば、代表選手として参加していることじたいが栄光であり、成績の結果はともかくとして晴れの舞台のはずです。これは、何も建て前だけで言っているわけではなく、何年か年月が過ぎたあとには、きっと実感することだと思うのです。
とはいえ、やはり、目の前の栄冠には、違う輝きと栄誉があることも否定することはできません。
「金は金色に輝き、銀は銀色に輝く」ことは紛れもない事実であり、そのメダルに向かって一喜一憂することが大きな感動を生み出していることも間違いないでしょう。
 
今回のオリンピックの参加選手の数は知らないのですが、たとえば、一万人だとすれば、それに対するメダルの数はいくつあるのでしょうか。
テレビで目にすることもない競技もありますし、一人で三つも四つもメダルを手にする人もいます。「金メダルといっても、意外にたくさんあるのだなあ」と思わないでもないのですが、実際にいずれかのメダルを手にすることの出来る選手は、ごくごくわずかのはずです。喜びの数を遥かに超える悲しみが渦巻くのが勝負の世界といえますが、その悲しみも含めた誇りは、参加した選手すべてに与えられ、自ら手にしてほしい栄誉だと思うのです。

優勝すれば金メダル、二位なら銀メダル、三位なら銅メダルと、オリンピックに限らずスポーツの世界は分かり易い仕組みです。
金メダルを手にした人には金色の輝きがあり、銀メダルを手にした人には銀色の輝きがあり、銅メダルを手にした人には銅色の輝きがあるとすれば、残念ながらそのいずれをも手にしなかった人には、どのような輝きがあるのでしょうか。
どうも理屈っぽい話になってしまいましたが、例えば、今回のオリンピックに参加して何のメダルも手にしなかった九千余人の選手には、その後の競技生活、あるいは日常生活において、誇りに溢れた輝きを手にしてほしいと願うのです。
私たちの日常生活とて同様で、金色や銀色に輝く栄誉を手にすることが出来る人はごく一握りで、大半の人々は、悲しみや無念さを糧にした、それならばこその輝きを手にする必要があるように思うのです。
まあ、人生となれば、何をもって金とするか、何をもって銀にするかは極めて難しく、第一、それほど輝きを必要としているとも思わないでもないのですが・・・。

( 2016.08.16 )

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