雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

栄冠は無くとも ・ 小さな小さな物語 ( 865 )

2016-10-12 13:15:16 | 小さな小さな物語 第十五部
昨日、NHKの朝の番組の中で、ちょっとした感動をいただきました。
高校野球にまつわるニュースなのですが、中京地区の高校野球の名門校二校が親善試合をしたというものでした。出場選手は、夏の全国大会予選のベンチ入りメンバーに入れなかった三年生で、全員かどうか分かりませんが、これまで一度も背番号をつけて公式試合に出たことのない選手ばかりで試合が行われたそうです。
立派な大きな球場で、出場する選手はそれぞれ希望の背番号を付けられたようで、「1」や「3」や「6」といった番号の選手が何人もいるのです。両校の関係者や生徒を中心に大勢の観戦者がつめかけ、応援団も本格的で、あるチームの応援団長は、チームのキャプテンがつとめていると報じられていました。
放送はドキュメント風に仕上げられた短い物でしたが、少々胸が熱くなりました。

野球に限ったことではありませんが、高校生という多感な年代にあって、レギュラーどころか控えの選手としてさえ公式試合に出られないレベルでありながら、三年近くを懸命に練習を続ける姿を思い浮かべると、何とも切ないものです。
たまたまですが、前回の当コラムは「イチロー選手の快挙」を取り上げました。彼とても、高校野球時代はレギュラーではあったでしょうが、頂点に立ったという実感はなかったことでしょう。その後のたゆまぬ努力と、様々な出会いもあって、今日の立場に立ったのでしょうが、努力ということでは、親善試合に出ていた選手たちも懸命な努力をしてきたはずですし、様々な出会いもあったはずです。

若い頃、というより幼い頃に近い頃、スポーツで、控え選手にも成れないのに高校生活の最後まで選手を続ける人の気持ちが理解できませんでした。どこかで見限る決断が出来ないのだと思っていたからです。
しかし、年を重ねるとともに、レギュラーに程遠い状態にありながら一つのことにひたすら打ち込んだ三年間は、きっと何かを教えてくれるのではないかと思うようになりました。
残念ながらと表現すべきかどうか迷うのですが、人にはそれぞれ能力差があるものです。こと、野球に絞って考えてみても、いくら努力を重ねようとも、誰でもがイチロー選手になれるはずもなく、誰でもが160km台の速球を投げられるわけではないと思うのです。

神の為されることは公平であり、人の才能は同等であると考えたい気持ちもありますが、少なくとも、個々の分野においては明らかに優劣差はあります。「努力さえすればたいていのことは成就できる」と主張される人もいるようですが、そもそも「努力する」こと自体も、差のある才能の一つのような気がするのです。
夏の高校野球の地区予選が始まります。一試合行われるごとに勝者が生まれ、敗者が涙を流します。試合の数だけ敗者は生まれ、八月が終わる頃には、たった一チームを残して、すべてのチームが涙を流すチームとなるのです。栄冠を手にするのはたったの一チームなのです。
しかし、本当にそうなのでしょうか。確かに優勝旗を手にするのは一チームでしょうが、散っていったチームのそれぞれに、悔し涙を流した選手それぞれに、ベンチ入りさえできなかった選手それぞれに、何かを得る機会はあったでしょうし、ぜひとも何かを掴んでほしいと思うのです。
スポーツに関わらず社会で生きている限り、優勝劣敗の厳しい部分を経験することは避けられません。しかし同時に、華々しい栄冠を手にした人だけが特別な物を得られるということでもないような気もするのです。
人の能力には差があると私は考えていますが、栄冠が無くとも生きて行けるというのも私の考え方の土台になっています。

( 2016.06.20 )
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