雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

『ノーブル』な生き方 ・ 小さな小さな物語 ( 891 )

2016-10-12 09:23:38 | 小さな小さな物語 第十五部
ふと、思うことがあります。『ノーブル』な生き方ってあるのではないかと。
最初にそのような事を思ったのは、もう大分前のことになるのですが、自分自身が、それがどのようなことを指すのか理解しきれていなくて、そのままになっているのですが、何かの機会に、「こういう生き方」と言うのか、「こういう心境」といったものをどのような言葉で表現すれば良いのか分からず、自分の中では、とりあえず『ノーブル』という言葉を使っているのです。

『ノーブル』という言葉を辞書で調べてみますと、「高貴なさま。気品のあるさま」とあります。つまり、好意的に受け取れば、「上品で気高い様子」を連想するでしょうが、ややもすれば、「お高くとまっている」とか、「格好をつけている」といった状況を思い浮かべる人も少なくないと思われます。どちらかといえば、私などは後者の方でした。
しかし、私がイメージしている『ノーブル』は少し違います。うまく説明できないのが残念なのですが、あえて言えば、「打算とは正反対の位置にある心境」「無私、あるいは自身と直接関係ないことに無我夢中である状態」といったような心境を漠然と思い浮かべている状態なのです。

例えば、テレビ報道の中で、「深い穴に犬がはまってしまい、その穴はとても人間が簡単には入れないような大きさなのですが、大勢の人が集まって大騒ぎとなり、その人たちが相談し合い、小柄な人がロープで逆さに釣り下げられて穴に入って行き、無事に助け出した」といったニュースを見た記憶があります。
この時、犬の飼い主がいたのかどうか分かりませんが、助け出されると同時に集まっていた人からは大きな拍手がわき起こり、みんな笑顔で、中には涙を流している人さえいました。
冷静に考えてみますと、集まっている人たちにとって、犬を助け出したことによる利得などありません。最初からそのような事は念頭になかったはずです。犬とはいえ弱っている者を助けてやりたいという素朴な願いと、成功したことによるはじけるような喜びがあっただけです。
実は、ごく短い時間、それも瞬間と言っていいほどの時間かもしれませんが、その集まっている人の心配・工夫・喜びの、ただひたすらな気持ちを『ノーブル』と表現したいと漠然と思っているのです。

旅行先などで、若い二人ずれや老夫妻、あるいはヨチヨチ歩きの子供を連れている母親に出会うことがあります。それらの人の何気ないちょっとした動きに感動することがあります。どうというほどのことではないのですが、「ほっと心が温まる」といった瞬間があります。そのような時には、自分の心もなぜか優しくなっているように思うのです。そんな気持ちも『ノーブル』な気持ちの一つと思っています。
夕焼けや、星空なども人の心を優しくしてくれるものです。人々が、旅に出たり、日の出を拝んだり、汗をかきながら山に登ったりするのも、もしかすると、一瞬の『ノーブル』な心境を求めているのかもしれないように思うのです。
それらは、一瞬か、ごく短期間のものですが、その体験を積み重ね、それらを自分の知性の中に取り込んでいくことが出来るならば、『ノーブルな生き方』というものを、見つけ出せるのではないかと思うのです。
『ノーブルな生き方』、その定義さえ説明できない状態なのですが、折につけ、当コラムでも紹介したいものと考えています。

( 2016.09.09 )

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