雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

逞しさと優しさを ・ 小さな小さな物語 ( 846 )

2016-10-12 15:17:56 | 小さな小さな物語 第十五部
熊本県を中心とした大地震は大惨事となってしまいました。
しかも、今なお、とても余震と言うには激しすぎる規模のものがひっきりなしに発生していて、終息の目途を語ることさえできない状態が続いています。
前回の当コラムでも書かせていただきましたが、今回の地震は、本震と思われるような大きな前震があって、続いて本震とされるものに襲われたため、被害は相乗的な大きさになってしまいました。
今回の地震は、まだ予断を許さない状態ではありますが、前震があって本震が来た、と言うより、すでに一部の研究者の方が述べられているように、おそらく三か所程度の震源を持つ複合の地震と考えるべきような気がします。そして心配なことは、震源がさらに増える可能性もあるということです。

すでに多くの方が亡くなられています。つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。
怪我をされたり住居などに甚大な被害を受けている方の数は、報道されているだけでも甚大ものです。さらに、精神的なダメージや、交通やライフラインの被害から受ける苦痛を強いられている方となれば、広範囲にわたっていることでしょう。心よりお見舞い申し上げます。

風水害と違って、地震の被害への対応は、終息の時期が明確でないため難しさを増します。特に今回のような激しい揺れを伴う余震が続発している状態では、さらに厳しいと想像されます。
そして、やはり、というのでしょうか、避難されている方々の物資の不足が伝えられています。住環境や、飲食、衛生面、環境など、相当の不便があるのは辛抱していただくとして、水や食事の量そのものさえ満足に提供できず、しかも、二時間も三時間も並んで受け取るという報道には、悲しくなってしまいました。
私たちは、つい最近だけでも、とてつもない大地震を何度か経験しています。おそらく、高所から見た大規模災害に対する支援体制は相当研究されているのでしょう。しかし、現に被災し、現に乳飲み子を抱え、現に動けない高齢者を抱えている人たちにとっては、今日の水やおむつや食べ物が必要なのです。
そして、これも悲しいことに、こういった被災の場でさえも、ややもすると声の大きい人には支援が届きやすく、声の小さい人には後回しになるという現実が存在しているということです。テレビ各局が取材に入る所の多くは、支援物資があふれ、避難所にさえ向かえない弱い人々の声は、ほとんど聞こえないということです。少なくとも、以前の大地震では経験しているはずですから、今回に関しては特段の配慮をしてほしいと願っています。

私たちの国土は、まるで積木細工の上に土を掛けたようなものだという人がいました。
地震も津波も火山も、私たちの生活と背中合わせのように存在しています。台風も、見事なようにこの列島を目指してやって来てくれます。
しかし、そのような環境の中で、そうであるからの自然の色どりがあり、人情の機微があります。
被災され、困難の真っただ中にいる方々が、この国に生きている逞しさと優しさで、何とか切り抜けてほしいと祈っております。
そして、懸命の支援活動にあたっている方々にエールを送りますとともに、その後ろには、及ばないまでも貧者の一灯を捧げたいと思っている人も大勢いることを信じあいたいと思います。

( 2016.04.21 )
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