雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

歴史散策  女帝輝く世紀 ( 20 )

2017-02-22 08:11:43 | 歴史散策
          『 女帝輝く世紀 』

終わりに

『女帝輝く世紀』とは、我ながら大げさな表題をつけたものだという気持ちはある。
しかし、我が国歴代の天皇の足跡を、真偽はともかく伝えられている文献を尋ねてみれば、『飛鳥・白鳳・天平』と続く文化の興隆期は、他の時代と違う雰囲気を持っている気がするのである。
もちろん、伝えられている文献といっても、残念ながら私などが目にすることが出来る物はごくごく一部であり、実際に目を通すことが出来たのはさらにその一部であり、その解釈もほぼ全部が先人の研究成果を頂戴した物であり、それでいながら、所々では自分勝手な解釈や推定を加えているので、果たしてどの程度この時代の特徴を表現することが出来たのか、大いに心配ではある。

わが国の女帝は、推古天皇に始まる。
もっとも、日本書紀などの記録によれば、天照大御神はともかく、神功皇后などはまさしく女帝であったと思われ、推古天皇誕生は当時の人に取って格別特別な選択ではなかったのかもしれない。
そうとはいえ、推古天皇の誕生は、やはり、苦肉の策であったような気がする。ところがいざ即位してみると、立派な治世が行われ、長期政権となったことで、この後の女性天皇誕生のためのハードルを低くしたと思われる。

皇極天皇は、実に興味深い女帝である。
この時代を代表するともいえる天智・天武両天皇の生母であり、この後の天皇家の系譜に大きな影響を持つ女帝であったと言える。特に、舒明天皇に嫁ぐ前の姿、そして何よりも、天武天皇とは何者かを知っている女帝であることに限りない興味を感じる。

持統天皇は、自らの王朝を目指したかのように見えてならない。
天武天皇が本当はどういう出自であったのかは、持統天皇も承知していたはずである。その天武を支えて、自らの王朝確立を目指し、それは、少なくとも聖武天皇の御代までは健在であったと、個人的には考えている。さらに言えば、壬申の乱の本当の首謀者は、持統天皇だったのではないかとさえ思われるのである。

この女帝の時代は、仏教が精神面でも文化面でも大きく花開いた時代でもある。
その意味では、聖武天皇の御代は一つの頂点と考えられ、東大寺の大仏開眼供養は、女帝時代の最高点だったのかもしれない。
称徳(孝謙)天皇や弓削道鏡が、女帝の時代の幕を引いたかに見えるが、それも一つの流れと言えよう。称徳天皇は持統天皇の血を引くが、遥かに藤原氏の血が濃い天皇であり、一つの時代が終わるべくして終わったような気がするのである。

     ☆

長期間にわたって、個人的な見解の多い物語をお読みいただき感謝いたします。
これを機に、この時代について、さらに興味をお持ちいただければ幸甚でございます。
                                       
          ( 完 )

     ☆   ☆   ☆


ジャンル:
小説
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« きみは虹を見たか   ご案内 | トップ | 歴史散策  女帝輝く世紀 ( ... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL