雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

石清水八幡宮の放生会 ・ 今昔物語 ( 12 - 10 )

2016-10-17 08:25:00 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          石清水八幡宮の放生会 ・ 今昔物語 ( 12 - 10 )

今は昔、
八幡大菩薩が前世において日本国の帝王(応神天皇を指すらしい)としておいでになった時、『 夷[ 欠字あり。]ムカ[ 欠字あり。]』(この部分、欠字のため意味不祥。「夷の誰かを討伐するため」といった文章らしい。) 軍勢を率いて自ら出陣されたが、多くの人の命を殺させた[ 欠字あり。内容不明。]

はじめ、大隅国に八幡大菩薩として姿をお現しになり、次には、宇佐の宮にお移りになり、遂(ツイ)には、この石清水に鎮座なされ、多くの僧俗の神人(神社に仕える下級神職)に命じて、数多くの生類を買わせてお放ちになった。
そこで、朝廷でも、この御託宣により、諸国に放生(ホウジョウ)の魚類を割り当てて、八幡大菩薩の御誓願をお助け申し上げた。これによって、一年のうちに行われる放生の数は数限りないほどである。
さて、朝廷では毎年八月十五日に、八幡大菩薩が宝前より宿院にお下りになる時に、この放生した数を申し上げるが、その際、大きな法会を営み、最勝王経を講じさせる。そのわけは、そのお経には、流水長者(ルスイチョウジャ)の行った放生の功徳を仏が説いておられるからである。
そういうわけで、この法会を放生会というのである。

さて、大菩薩が宿院にお下りになる儀式は、まことに厳かで、新しく鎮座なされた時のようである。朝廷もこの御行(ミユキ)を尊ばれ、それを行幸(ギョウコウ・ミユキとも。天皇の外出)に準じて、上卿(ショウケイ・政務や儀式を執行する上席の公卿)や宰相(サイショウ・参議の唐名)をはじめ、弁・史・外記(いずれも官職名)など、みなお仕えしてことを行う。また、六衛府の武官も、各々兵杖(ヒョウジョウ・弓矢、太刀などの武具)を帯びて警護するのは、行幸と異ならない。
いわんや、僧侶は威儀を調えて請僧を勤め、唐・高麗の音楽を演奏する。法会の後には相撲が行われ、大菩薩はその日のうちに御社にお帰りになる。極めて尊い法会である。
信仰心のある人がこの日を知って放生を行えば、必ず大菩薩は、我が誓願を尊び奉る者を、感銘されお喜びになることは疑いもない。
また、日本は、もともと大菩薩の御守護により保たれている国なので、この放生会の日には、ぜひともお参りして礼拝申し上げるべきである。この日は、必ず御誓願によって大菩薩が天降りされると思うと、感慨深いことである。

昔、大菩薩が宇佐の宮においでになる時、大安寺の僧・行教(ギョウキョウ)という人が、そのお宮に参拝したが、大菩薩が、「私は王城の地を護るために自ら移ろうと思う。ついては、そなたと共に行こうと思う」とお告げになった。
行教はこれを聞いて、つつしんで礼拝しお受けしたが、すると、たちまちのうちに行教の着ている衣に、金色の三尊(サンゾン・釈迦三尊のことか?)の御姿となって移り付かれてお出かけになった。それで、行教は大安寺の僧房にお連れして安置し奉り、心から敬い供養し奉った。

そして、そこから石清水の宮にお移りになられたのである。
それも、御託宣により場所を選び、空より星にて[ 欠字あり。以下推定。]雨をお降らせになった。
行教は下でこれを見て、その場所を定めて宝殿を造ったのである。その後、行教は常に参詣し、大菩薩のお告げを承ったと語り伝えられている。

かの大菩薩がお移りになった行教の衣は、今も大安寺にある。
大安寺の僧房は南塔院という所である。そこにも大菩薩がしばらくおいでになったので、宝殿を造りお祭り奉った。そこでも、放生会を行っている。
また、かの宇佐の宮においても、同じ日に放生会を行う。
このように、この放生の功徳というものは極めて尊いものである。また、この放生会は、諸々の国々の大菩薩を分けてお祭り申し上げている所では、みなこれを行っている。

あの行教という人は、まさに普通の人ではなかった。
諸々の事を大菩薩から直接承りになったのであるから、この放生会をもお護りされているのであろう、
となむ語り伝へたるとや。

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