雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第百七十三回

2015-08-17 11:13:02 | 二条の姫君  第五章
               第五章  ( 二十二 )

かねがね姫さまは、たとえ一期は尽きるとも、御両親の形見であるこの二品だけは失わないように努めて来られておりました。
この世に別れを告げて荼毘に付される時にもあの世までもともなおうと考えておられました。
度々の修行の旅に立たれます時にも、まるで気がかりな赤子をあとに残していくようなお気持になられていて、信頼できる御方に預けて旅立ち、帰ってきては一番に取り寄せられて、まるで御両親にお会いになるかのようなお気持ちになられて、手箱は四十六年、硯は三十三年の歳月を過ごされてきたのでございます。

姫さまのお気持ちは察するに余りあるものでございましたが、姫さまは静かに首を振られるのでございます。
「いかに大切な品々だとはいえ、今生にあって、人の命に勝る宝などありますまい。わたくしは、その命さえ御所さまの御為に投げ出そうと決意したのです。いわんや、いかに形見の品々とはいえ、しょせん煩悩の種となる宝に過ぎず、伝えるべき子供もないのと同様の身なのです。この形見の品々は、いずれ人の家の宝となるはずなのです。そうであれば、三宝に供養して、亡き君の御菩提にも回向して、二親のためにもその菩提を祈るために役立てたいと思うのです」
と、申されるのです。
とは申せ、事あるごとに慣れ親しんできた名残の品でございますから、姫さまの御心中はいかばかりでございましたでしょうか。

折しも、東国に縁を定めて移って行く人が、そのような貴重な宝物を探し求めているということで、三宝の御憐れみも加わったのでしょうか、姫さまがお考えになられていたよりはるかに多額な金子で引き取りたいと申し出がありました。
大乗経の書写の宿願が成就することが出来るのは有り難いことではございますが、いざ、御母上の形見である手箱を手放すとなれば、姫さまは込み上げてくるお気持ちを鎮めようとなされているご様子が、まことに痛々しく伝わってくるのでございます。

その時お詠みになられた御歌でございます。
『 二親の形見と見つる玉くしげ 今日別れゆくことぞ悲しき 』
( 二親の形見と見てきた玉くしげが、今日わたくしと別れていくのが悲しい。)

     ☆   ☆   ☆

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