雅工房 作品集

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前九年の役 (3) ・ 今昔物語 ( 25 - 13 )

2017-08-13 08:33:49 | 今昔物語拾い読み ・ その6
          前九年の役 (3) ・ 今昔物語 ( 25 - 13 )

     ( (2) より続く )

その後、守(源頼義)は兵士たちを休息させるため、あえて追撃しなかった。また、長雨のため十八日間この地に留まった。
その間に、兵士らの兵糧が尽き、食物がなくなってしまった。守は、多くの兵士をあちらこちらに派遣して食糧を求めたが、貞任らがこの事を漏れ聞いて、隙を伺って、大軍を率いて攻撃してきた。
そこで、守ならびに義家・義綱・武則らが全軍を励まし、力の限りを尽くし命を棄てて戦ったので、貞任らは敗れて逃走した。
守ならびに武則らは軍勢と共に追撃し、貞任の高梨の宿と石坂の楯の所で追いつき合戦となったが、貞任軍は再び敗れて、その楯を捨てて、貞任は衣川の関に逃げ込んだ。
追撃軍は、ただちに衣川を攻めた。この関は、もともと大変険しい上に、繁茂した樹木が道をふさいでいる。守は、三人の指揮官に手分けして攻撃させた。

武則は馬から下りて、岸辺を回って見て、久清という兵士を呼び、「両岸に幹が曲がった木がある。その枝が川の面を覆っている。お前は身軽で、飛び越えることが得意だ。あの木を伝って向こう岸に渡り、密かに敵陣に潜入して、あの楯のもとに火を付けよ。敵はその火を見て驚くだろう。その時に我らは必ず関を打ち破ろう」と命じた。
久清は武則の命令に従って、猿の如く向こう岸にある木に取り付き縄を付けた。その縄に取り付いて、三十余人の兵士が対岸に渡った。その中の藤原業道(フジワラノナリミチ)が密かに楯のもとに行き火を放って焼いた。
貞任らはこれを見て驚き、戦わずして逃走し、鳥の海の楯に入った。

守ならびに武則は、この楯を落したのち、鳥の海の楯を攻撃に向かった。この軍勢が到着する前に、宗任・経清らは楯を捨てて逃げ、厨川(クリヤガワ)の楯に移った。
守は、鳥の海の楯に入り、しばらく兵を休めたが、ある建物の中にたくさんの酒が置いてあった。歩兵たちがこれを見つけて喜び、急いで飲もうとした。守はこれを制して、「これはきっと毒入りの酒であろう。飲んではならない」と言った。
ところが、雑兵の中の一人二人がこっそりと飲んだが害がなかった。そこで、全軍の兵士こぞってこの酒を飲んだ。

さて、武則は、正任(マサトウ・宗任と兄弟)の黒沢尻の楯、鶴脛(ツルハギ)の楯、比与鳥の楯などを攻め落として、次いで厨川と嫗戸(ウバト)の二つの楯に至って取り囲み、陣を張って終夜看視した。そして、翌日卯の時(午前六時頃)から終日終夜(ヒネモスヨモスガラ)戦い続けた。
その時、守は馬から下りて、遥かに王城の方角を拝して、自ら火を手にして、「これは神火である」と誓言してそれを投げた。すると、鳩が現れ、陣の上を舞い飛んだ。守はこれを見て、涙を流して礼拝した。
その時、突然暴風が起こり、城内の建物はすべて同時に焼け落ちた。城内の男女数千人は、声を合わせて泣き叫んだ。敵兵は、ある者は淵に飛び込み、ある者は敵前に身をさらした。
守の軍勢は、川を渡って攻撃し、包囲して戦った。敵軍は身を捨てて剣を振るい、囲みを破って脱出しようとした。武則は配下の兵士に、「道を開けて、敵兵を出してやれ」と命じた。兵士たちは命令に従って道を開いた。
すると、敵兵たちは戦うのを止めて脱出していった。守の軍勢は、これを追撃して、ことごとく殺してしまった。また、経清を捕縛した。

守は経清を召し出して、「お前は我が家の先祖伝来の従者である。そうでありながら、長年わしをないがしろにし、朝廷を軽んじてきた。その罪はまことに重い。こうなっても、まだ白符を使うことが出来るのか、どうか」と言った。経清は頭を垂れて言葉もなかった。
守は鈍刀で、少しずつ経清の首を切った。

貞任は、剣を抜いて敵の軍勢に切り込んだが、軍勢は鉾(ホコ・槍)でもって貞任を刺し殺した。そして、大きな楯(これは矢を防ぐための楯)に乗せて、六人がかりで担いで守の前に置いた。身の丈六尺余り、腰の回り七尺四寸、容貌は厳めしく色白である。年は四十四歳であった。
守は貞任を見て喜び、その首を切り落とした。また、弟の重任の首も切った。ただ、宗任は深い泥の中に隠れて逃げのびた。
貞任の子は年十五の童にて、名を千世童子という。姿形麗しい少年であった。楯の外に出て雄々しく戦った。守はその姿を哀れに感じ許そうと思ったが、武則はそれを制して、首を切らせた。
楯が破られた時、貞任の妻は三歳の子を抱いて、「あなたはもう殺されようとしています。私一人生きてはおれません。あなたの見ている前で死のうと思います」と夫に向かって言うと、子を抱いたまま深い淵に身を投じて死んだ。

その後、日を経ずして、貞任の伯父安倍為元、貞任の弟の家任が降伏してきた。また、数日して、宗任ら九人が降伏してきた。
その後、朝廷に国解(コクゲ・報告書)を奉り、首を取った者、降伏してきた者の名を上申した。

次の年、貞任・経清・重任の首三つを朝廷に奉った。それが京に入る日、京じゅうの上中下の人々が大騒ぎして見物した。
これらの首を京に運ぶ途中で、使者が近江国甲賀郡で、箱を開け首を出して、その髻(モトドリ)を洗わせた。箱を持つ雑役はもとは貞任の従者で降伏した者であった。その者が、首の髪をすく櫛が無いと申し出た。使者は、「お前たちの自分の櫛ですけ」と言った。雑役は自分の櫛で泣きながらすいた。
首を持って京に入る日、朝廷は検非違使らを賀茂河原に派遣して、これを受け取らせた。

その後、除目が行われた時に、その功を賞せられ、頼義朝臣は正四位下に叙して出羽守に任じられた。二郎義綱は左衛尉(サエジョウ・左衛門尉の略。宮中の諸門警護の武官の役所の三等官。)に任じられ、武則は従五位下に除して鎮守府の将軍に任じられた。首を奉った使者の藤原秀俊は左馬允(サマノジョウ・馬を司る役所の三等官。)に任じられた。物部長頼は陸奥大目(ムツノサカン・国府の四等官)に任じられた。

このように、賞があらたかに行われたことを見て、世の人は皆褒め称え喜んだ、
となむ語り伝へたるとや。

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