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SUPERPOSITIVE:世界への愛着
現代美術の視点から切り取った、今までにないアウトサイダーアートの展覧会です。
会期は11月4(金)5(土)6(日)の9時-5時
3日間という短い期間ですが、ぜひご高覧ください。
展覧会詳細はこちら
http://syokaen.jp/kokuchi/
現代美術の視点から切り取った、今までにないアウトサイダーアートの展覧会です。
会期は11月4(金)5(土)6(日)の9時-5時
3日間という短い期間ですが、ぜひご高覧ください。
展覧会詳細はこちら
http://syokaen.jp/kokuchi/
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企画/プロデュースしている展覧会のお知らせです。
「SUPERPOSITIVE スーパーポジティブ:世界への愛着」
2011年11月4(金)5(土)6(日)午前9:00-午後5:00
入場無料
会場:日図デザイン博物館
〒606-8343
京都市左京区岡崎成勝寺町9-1 みやこめっせ(京都市勧業館)内
SUPERPOSITIVE スーパーポジティブ:世界への愛着
SUPERPOSITIVE/スーパーポジティブ――「超肯定」と翻訳できるこの造語を、「特定の行為やイメージ、物質に強い愛着を持ち、
それらを介して世界を超肯定的に捉える姿勢」と定義し、そのような姿勢で作品制作を続けてきた24名のアウトサイダーアーティス
トたちの作品を、「Multicolored:色彩のアート」、「Record:記録/記憶するアート」、「Collection:蒐集/集積のアート」、
「Narrative:創世のアート」の4つのセクションに分けてご紹介します。
例えば、25年にわたって約1000枚も描かれたという、ほとんど同じ形で配色の異なる家の絵や、食べ残した食材を畳の上に並べる
という日常的に繰り返される不思議な行為を淡々と記録したスナップ写真など、ここで取り上げる作品はそれぞれ何かに執着し続け
た結果、常識を突き抜けてアートの域にまで昇華されたものたちです。
個々の作品のもとになっている多種多様のこだわりは、その当事者にとってはすべて重要なことに違いないのですが、私たちには
その意味や目的を推し量ることが困難なものもあります。故に、本展覧会に展示される作品の中には一見しただけでは理解できない
難解なものも含まれています。しかしながら、謎解きをするようにそれら作品とじっくりと向き合えたならば、私たち観る者もその
意味を理解し、重要性を共有することができるのではないでしょうか。タイトルのスーパーポジティブは、そのような各作品の独自
の、見方によってはいびつともいえる世界観を「超積極的」に評価していこうというメッセージでもあります。
障がいのある人たちのユニークな創作行為によって生み出されたバラエティ豊かな作品群は、私たちの感覚を刺激し、常識を揺さぶ
ります。そして、現実世界との関わり方のカタチは人それぞれで、決してひとつではないということを教えてくれるでしょう。
会場を後にした時、それまでよりも世界を色鮮やかに、そして、より広がりを持ったものとして感じられる。本展覧会がそのひとつ
のきっかけとなれば、と願っています。
「SUPERPOSITIVE スーパーポジティブ:世界への愛着」
2011年11月4(金)5(土)6(日)午前9:00-午後5:00
入場無料
会場:日図デザイン博物館
〒606-8343
京都市左京区岡崎成勝寺町9-1 みやこめっせ(京都市勧業館)内
SUPERPOSITIVE スーパーポジティブ:世界への愛着
SUPERPOSITIVE/スーパーポジティブ――「超肯定」と翻訳できるこの造語を、「特定の行為やイメージ、物質に強い愛着を持ち、
それらを介して世界を超肯定的に捉える姿勢」と定義し、そのような姿勢で作品制作を続けてきた24名のアウトサイダーアーティス
トたちの作品を、「Multicolored:色彩のアート」、「Record:記録/記憶するアート」、「Collection:蒐集/集積のアート」、
「Narrative:創世のアート」の4つのセクションに分けてご紹介します。
例えば、25年にわたって約1000枚も描かれたという、ほとんど同じ形で配色の異なる家の絵や、食べ残した食材を畳の上に並べる
という日常的に繰り返される不思議な行為を淡々と記録したスナップ写真など、ここで取り上げる作品はそれぞれ何かに執着し続け
た結果、常識を突き抜けてアートの域にまで昇華されたものたちです。
個々の作品のもとになっている多種多様のこだわりは、その当事者にとってはすべて重要なことに違いないのですが、私たちには
その意味や目的を推し量ることが困難なものもあります。故に、本展覧会に展示される作品の中には一見しただけでは理解できない
難解なものも含まれています。しかしながら、謎解きをするようにそれら作品とじっくりと向き合えたならば、私たち観る者もその
意味を理解し、重要性を共有することができるのではないでしょうか。タイトルのスーパーポジティブは、そのような各作品の独自
の、見方によってはいびつともいえる世界観を「超積極的」に評価していこうというメッセージでもあります。
障がいのある人たちのユニークな創作行為によって生み出されたバラエティ豊かな作品群は、私たちの感覚を刺激し、常識を揺さぶ
ります。そして、現実世界との関わり方のカタチは人それぞれで、決してひとつではないということを教えてくれるでしょう。
会場を後にした時、それまでよりも世界を色鮮やかに、そして、より広がりを持ったものとして感じられる。本展覧会がそのひとつ
のきっかけとなれば、と願っています。
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現在準備中の展覧会「亀岡アール・ブリュット」のお知らせです。
亀岡アール・ブリュット
アール・ブリュットとは、専門的な美術教育を受けていない人たちによる自発的な表現行為、既存のアートの価値観にとらわれていない作品のことで、その多くが精神病患者や知的に障がいのある人たちによって生み出されています。亀岡市では、重度の知的障がい者のための施設みずのきにて多くのアール・ブリュット作品が生み出され、日本のみならず世界で高く評価されてきました。今回、亀岡市とその周辺の地域に人知れず眠っている優れたアール・ブリュット作品を発掘し、みずのきの作品とともに展示いたします。
展覧会場/ガレリア亀岡2F大広間
会期/10月17日(日)〜23日(土)
午前10時〜午後6時まで(23日は午後4時まで)
主催/亀岡市
総合プロデュース/宮下忠也
ぜひご来場ください。
亀岡アール・ブリュット
アール・ブリュットとは、専門的な美術教育を受けていない人たちによる自発的な表現行為、既存のアートの価値観にとらわれていない作品のことで、その多くが精神病患者や知的に障がいのある人たちによって生み出されています。亀岡市では、重度の知的障がい者のための施設みずのきにて多くのアール・ブリュット作品が生み出され、日本のみならず世界で高く評価されてきました。今回、亀岡市とその周辺の地域に人知れず眠っている優れたアール・ブリュット作品を発掘し、みずのきの作品とともに展示いたします。
展覧会場/ガレリア亀岡2F大広間
会期/10月17日(日)〜23日(土)
午前10時〜午後6時まで(23日は午後4時まで)
主催/亀岡市
総合プロデュース/宮下忠也
ぜひご来場ください。
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現在準備中の展覧会「亀岡アール・ブリュット」のお知らせ(その2)です。
展覧会最終日にワークショップを開催します。
○ワークショップ1「みんなでふしぎな生き物をつくろう!」
時間/10月23日(土)午前10時〜12時、午後1時〜3時
場所/ガレリア亀岡2F大広間(展示会場の隣)
*参加無料、要申込み
○ワークショップ2「みんなでふしぎな生き物たちを展示に出かけよう!」
時間/10月23日(土)午後4時〜6時
場所/丹波国分寺境内およびその周辺の畑
*参加無料
ワークショップ講師:井上信太(アーティスト)
*ワークショップの内容を一部変更する場合があります。
展覧会最終日にワークショップを開催します。
○ワークショップ1「みんなでふしぎな生き物をつくろう!」
時間/10月23日(土)午前10時〜12時、午後1時〜3時
場所/ガレリア亀岡2F大広間(展示会場の隣)
*参加無料、要申込み
○ワークショップ2「みんなでふしぎな生き物たちを展示に出かけよう!」
時間/10月23日(土)午後4時〜6時
場所/丹波国分寺境内およびその周辺の畑
*参加無料
ワークショップ講師:井上信太(アーティスト)
*ワークショップの内容を一部変更する場合があります。
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劇場用長編映画ヲノグァワの美術制作のため
8月11日まで撮影現場の山形県米沢市に行っていました。
滞在5泊6日でひたすら毎日、美術セットの制作です。
木材加工はもちろんプロ用ウレタンペンキや
FRPとアセトンなど有害な溶剤を使ったり
アーク溶接や鉄の切削などをしたので
両腕一面がかぶれてひどい状態になってしまいました。
8月11日まで撮影現場の山形県米沢市に行っていました。
滞在5泊6日でひたすら毎日、美術セットの制作です。
木材加工はもちろんプロ用ウレタンペンキや
FRPとアセトンなど有害な溶剤を使ったり
アーク溶接や鉄の切削などをしたので
両腕一面がかぶれてひどい状態になってしまいました。
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7月2日〜4日、
新作映画『ヲノグァワ』の打ち合わせ及びロケハン
&映画ノベライズ発売イヴェントのため、
映画の撮影現場となる山形県小野川温泉へと行ってきました。
映画『ヲノグァワ』の監督は、
いままで何度もコンビを組んでいる山口ヒロキ。
僕は今回も美術監督を務めます。
山口監督との「劇場用長編」SF映画の製作は、
『グシャノビンヅメ』以来実に9年ぶりのこと。
監督と打ち合わせをしていると、
プロの映画製作の現場のことなど全く知らず、
根拠のない自信と大きな不安を抱えて東京に行き、
数え切れないほどのトラブルに見舞われたあの頃のことを
昨日のことのように思いだします。
今後の人生で、
あれほどしんどい思いをすることはもうきっとないでしょう…
この映画『ヲノグァワ』の製作は、
昨年秋に山口監督と作った短編映画『ゑヒX』が評価され実現しました。
映画予告編
なので、世界観はすでに固まっているし、
『グシャビン』以降、監督も僕も多くの経験を積んできているので、
良い映画が作れるという予感と手ごたえがあります。
地元の大きなバックアップも受けていますし、
セット製作と撮影を本当に楽しみにしています。
『ヲノグァワ』ノベライズですがネットで購入可能です。
ノベライズ購入
ノベライズの購入による利益は、
製作のための資金になる仕組みになっています。
ぜひ、本を買って映画の製作に協力お願いします。
ノベライズ著者、監督コメント
新作映画『ヲノグァワ』の打ち合わせ及びロケハン
&映画ノベライズ発売イヴェントのため、
映画の撮影現場となる山形県小野川温泉へと行ってきました。
映画『ヲノグァワ』の監督は、
いままで何度もコンビを組んでいる山口ヒロキ。
僕は今回も美術監督を務めます。
山口監督との「劇場用長編」SF映画の製作は、
『グシャノビンヅメ』以来実に9年ぶりのこと。
監督と打ち合わせをしていると、
プロの映画製作の現場のことなど全く知らず、
根拠のない自信と大きな不安を抱えて東京に行き、
数え切れないほどのトラブルに見舞われたあの頃のことを
昨日のことのように思いだします。
今後の人生で、
あれほどしんどい思いをすることはもうきっとないでしょう…
この映画『ヲノグァワ』の製作は、
昨年秋に山口監督と作った短編映画『ゑヒX』が評価され実現しました。
映画予告編
なので、世界観はすでに固まっているし、
『グシャビン』以降、監督も僕も多くの経験を積んできているので、
良い映画が作れるという予感と手ごたえがあります。
地元の大きなバックアップも受けていますし、
セット製作と撮影を本当に楽しみにしています。
『ヲノグァワ』ノベライズですがネットで購入可能です。
ノベライズ購入
ノベライズの購入による利益は、
製作のための資金になる仕組みになっています。
ぜひ、本を買って映画の製作に協力お願いします。
ノベライズ著者、監督コメント
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展覧会「みずのきアトリエ作品展―Yes, We Love Vegetables!!」をプロデュースします。
場所は、京都錦市場にある老舗八百屋かね松の別館「楽水舎」の2Fギャラリーにて。
会期は5月21日(金)〜30日(日)、11時〜17時まで(無休)です。
みずのきアトリエとは、
社会福祉法人松花苑みずのき内にある絵画制作アトリエで、
アールブリュットで世界的に有名な施設です。
今回は、アトリエが所蔵する数千点に及ぶ作品群の中から
野菜をモチーフとしたものを、京野菜を扱うことで知られる
かね松のギャラリーに展示します。
四条に寄った際にはぜひ足をお運びください。
京都新聞記事「野菜、色づかい大胆に〜知的障害者ら、錦市場で絵画展」
場所は、京都錦市場にある老舗八百屋かね松の別館「楽水舎」の2Fギャラリーにて。
会期は5月21日(金)〜30日(日)、11時〜17時まで(無休)です。
みずのきアトリエとは、
社会福祉法人松花苑みずのき内にある絵画制作アトリエで、
アールブリュットで世界的に有名な施設です。
今回は、アトリエが所蔵する数千点に及ぶ作品群の中から
野菜をモチーフとしたものを、京野菜を扱うことで知られる
かね松のギャラリーに展示します。
四条に寄った際にはぜひ足をお運びください。
京都新聞記事「野菜、色づかい大胆に〜知的障害者ら、錦市場で絵画展」
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プロデューサー兼アーティストを務めた
現代美術展覧会Mirageが先日無事終幕いたしました。
2日間だけ京田辺に現れあっという間に消えていった
文字通り蜃気楼のようなグループ展でしたが、
2日間の観客総計は、なんと4,224名!
現代美術の展示にしては異例であると言っても
差し支えのない程の多くの人々に見てもらうことができました。
アーティストや美術関係者、研究者の方々にも多数ご来場いただきましたが、
たった2日間の展示で終わらせるにはもったいないとのお声をいただき、
今後のさらなる展開に向けて大きな手ごたえをつかむことができました。
ご来場の皆様、展覧会をサポートしてくださった皆様
(特に展覧会場で案内をしてくれた同志社の学生たち)
ありがとうございました。
さて、
先のブログに僕の作品と著作権についてのご質問がありました。
僕の作品は、一般に流通しているマンガ雑誌を素材としており
それが作品コンセプトの肝であるので、
この場をお借りして、僕の著作権についての考えを
記させていただきたいと思います。
まず、Mirage展に出品した作品「ノマドの詩」は、
マンガ雑誌の1ページを切り取り
白く塗りつぶすことで集めた数百のセリフの断片を、
モンゴルの移動住居であるゲルに展示することによって構成されています。
この、マンガのセリフの一部を素材としているという点を、
他人の著作物の一部分を利用して自身の作品としている、
と捉える事もできるでしょう。
したがって、著作権関係はどうなっているの?
と疑問に思われる方がいて当然であると思います。
美術の文脈で、
他人の手によるものの作品化と聞いてまず思い浮かぶのが、
マルセル・デュシャンによる「レディ・メイド」でしょう。
デュシャンのレディ・メイドを詳しく説明すると長くなるので
ここでは省略しますが、
デュシャンがレディ・メイドを通じて提示した重要な点は、
「いかにオリジナルな美術作品を作るのか?」という命題は、
「いかにオリジナルの観点から美術的価値を創造するのか?」とイコールである、
ということであると思います。
そのように考えると、オリジナルな美術作品とは、
アーティストによってゼロから作り上げられるからオリジナルなのではない、
ということになります。
例えば、風景画は、元になる現実の風景がなければ描くことができませんが、
その風景は、風景を描いたアーティストがゼロから作ったものではないはずです。
しかし、それでその作品がオリジナルではない、
ということにはならないはずです。
仮に、描かれているものが想像上の風景であっても理屈は同じで、
想像の元になるイメージというものが必ずあったはずです。
著作権自体がごく最近に決められた約束事であって、
これまでの文化の歴史や美術の歴史とは矛盾した要素を含んでいるのです。
また、僕の作品はマンガのセリフの断片を用いていますが、
元のマンガ作品の内容、ストーリーがわかるほどの長い引用や
その作品特有の言葉使いの使用は避けています。
特にマンガの作者による造語やキャラクター名は一切使用していません。
僕の使用するセリフは、あくまでも断片的なものであり、
特定のマンガ作品を想起させない普遍的な言葉です。
そのような言葉とは、本質的に人類で共有するものであって、
だれか特定の人物の著作物ではあり得ないと考えています。
(たとえば、あるマンガから「大切なのは記憶…記憶だ…」
というセリフを引用したとしても、この言葉は非常に普遍的なものであって、
特定の個人の著作にはならないのではないでしょうか。)
最後に、
僕の作品は誰かの著作権を「侵害」するものではありません。
僕が作品の素材にすることよって、誰かのマンガが売れなくなったり、
元になるマンガのオリジナリティが損なわれたり、
本来マンガの作者に入るはずの莫大な利益が僕に転がり込んでくる、
なんてことはまず考えられません。
僕はこれまで自身の作品を制作、発表する中で、
当然のことながら、人一倍この問題について熟考してきたつもりです。
そして、以上が僕の現時点での結論です。
現代美術展覧会Mirageが先日無事終幕いたしました。
2日間だけ京田辺に現れあっという間に消えていった
文字通り蜃気楼のようなグループ展でしたが、
2日間の観客総計は、なんと4,224名!
現代美術の展示にしては異例であると言っても
差し支えのない程の多くの人々に見てもらうことができました。
アーティストや美術関係者、研究者の方々にも多数ご来場いただきましたが、
たった2日間の展示で終わらせるにはもったいないとのお声をいただき、
今後のさらなる展開に向けて大きな手ごたえをつかむことができました。
ご来場の皆様、展覧会をサポートしてくださった皆様
(特に展覧会場で案内をしてくれた同志社の学生たち)
ありがとうございました。
さて、
先のブログに僕の作品と著作権についてのご質問がありました。
僕の作品は、一般に流通しているマンガ雑誌を素材としており
それが作品コンセプトの肝であるので、
この場をお借りして、僕の著作権についての考えを
記させていただきたいと思います。
まず、Mirage展に出品した作品「ノマドの詩」は、
マンガ雑誌の1ページを切り取り
白く塗りつぶすことで集めた数百のセリフの断片を、
モンゴルの移動住居であるゲルに展示することによって構成されています。
この、マンガのセリフの一部を素材としているという点を、
他人の著作物の一部分を利用して自身の作品としている、
と捉える事もできるでしょう。
したがって、著作権関係はどうなっているの?
と疑問に思われる方がいて当然であると思います。
美術の文脈で、
他人の手によるものの作品化と聞いてまず思い浮かぶのが、
マルセル・デュシャンによる「レディ・メイド」でしょう。
デュシャンのレディ・メイドを詳しく説明すると長くなるので
ここでは省略しますが、
デュシャンがレディ・メイドを通じて提示した重要な点は、
「いかにオリジナルな美術作品を作るのか?」という命題は、
「いかにオリジナルの観点から美術的価値を創造するのか?」とイコールである、
ということであると思います。
そのように考えると、オリジナルな美術作品とは、
アーティストによってゼロから作り上げられるからオリジナルなのではない、
ということになります。
例えば、風景画は、元になる現実の風景がなければ描くことができませんが、
その風景は、風景を描いたアーティストがゼロから作ったものではないはずです。
しかし、それでその作品がオリジナルではない、
ということにはならないはずです。
仮に、描かれているものが想像上の風景であっても理屈は同じで、
想像の元になるイメージというものが必ずあったはずです。
著作権自体がごく最近に決められた約束事であって、
これまでの文化の歴史や美術の歴史とは矛盾した要素を含んでいるのです。
また、僕の作品はマンガのセリフの断片を用いていますが、
元のマンガ作品の内容、ストーリーがわかるほどの長い引用や
その作品特有の言葉使いの使用は避けています。
特にマンガの作者による造語やキャラクター名は一切使用していません。
僕の使用するセリフは、あくまでも断片的なものであり、
特定のマンガ作品を想起させない普遍的な言葉です。
そのような言葉とは、本質的に人類で共有するものであって、
だれか特定の人物の著作物ではあり得ないと考えています。
(たとえば、あるマンガから「大切なのは記憶…記憶だ…」
というセリフを引用したとしても、この言葉は非常に普遍的なものであって、
特定の個人の著作にはならないのではないでしょうか。)
最後に、
僕の作品は誰かの著作権を「侵害」するものではありません。
僕が作品の素材にすることよって、誰かのマンガが売れなくなったり、
元になるマンガのオリジナリティが損なわれたり、
本来マンガの作者に入るはずの莫大な利益が僕に転がり込んでくる、
なんてことはまず考えられません。
僕はこれまで自身の作品を制作、発表する中で、
当然のことながら、人一倍この問題について熟考してきたつもりです。
そして、以上が僕の現時点での結論です。
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いよいよ会期が近付いてきた「ミラージュ」展。
先日、作品を展示するための会場のひとつになる
モンゴル式移動住居であるゲルを
京田辺キャンパスに設置してきました。
同志社の学生たちの力を借り、4時間ほどかかって完成。
なかなかの力仕事でした。
さて、この中にどのような美術空間を生み出そうか・・・
先日、作品を展示するための会場のひとつになる
モンゴル式移動住居であるゲルを
京田辺キャンパスに設置してきました。
同志社の学生たちの力を借り、4時間ほどかかって完成。
なかなかの力仕事でした。
さて、この中にどのような美術空間を生み出そうか・・・
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