ボストン便り

伝統的であると共に革新的な雰囲気のある独特な街ボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

健康への権利・健康への義務(1)

2011-03-01 23:44:01 | 健康と社会
健康のリスク・ファクターとしての喫煙
健康に有害なタバコに関することは公衆衛生の大きなテーマです。ハーバード公衆衛生大学院でもタバコ・コントロールの研究者が何人もいますし、社会疫学、公衆衛生の倫理、医療政策などさまざまな授業科目で、タバコによる健康被害、世界の喫煙状況、禁煙政策などについて触れられています。
2011年1月に提出された全米研究会議(NRC)の報告書では、アメリカ人の平均余命が他国より短いのは、数十年前の高い喫煙率が主な原因であることが示されています。アメリカはGDPに対する医療費支出が16パーセントと世界一でありながら、平均余命の伸びは鈍く、常にほかの高所得の国より低い値であるという問題を抱えています。翻って日本はGDPに対する総医療費はアメリカの2分の1の8パーセントですが、平均余命ではアメリカよりも5歳近くも長くなっています(アメリカ77.9歳、日本82.6歳)。
アメリカでは、この差を縮めようと様々な原因究明がなされてきており、そのひとつとしてNRCは、今から30年から50年前に、アメリカではヨーロッパや日本と比べて喫煙の習慣が広範囲にわたっていたことを示し、このことが今日の平均余命の伸びの鈍さに影響していると結論付けました。デンマークとオランダでも、禁煙によって平均余命が長くなる傾向が認められたといいます。
タバコが健康に有害であることは、実はそれほど当たり前のことではなくて、ここ数十年の間に共通認識になりつつあることです。そのきっかけを作ったのは、フラミンガム心臓研究Framingham Heart Studyの研究成果です(実際の発音通りに表記するとフラミングハムが正しい)。フラミンガム研究は、NIHの資金でボストン大学公衆衛生大学院が中心となって行っている、3世代で合計15,000人を対象とした60年間にわたるコホート研究です。従来、病気に罹るのは事故と同じようなもので、運が悪かったからと考えられていました。しかしフラミンガム研究で、喫煙や食生活や運動といったライフ・スタイルが、心臓病や高血圧と関係があることが明らかにされてきたのです。
また、喫煙は本人の健康を害するだけでなく、周りの人が煙を吸って健康を害するという、副流煙による二次的な害があることも、近年の研究で明らかになってきました。特に喘息を持つ人などにとってはその被害が深刻です。

タバコ・コントロール
このような研究を根拠に、アメリカでは禁煙運動が盛んになり、大々的な禁煙キャンペーンが行われてきました。タバコ・コントロールの基本は4つです。煙草に対してマイナスのイメージを植え付けること、喫煙できる場所を制限すること、価格を高くして購入の壁を高くすること、ニコチン・パッチなどを使用し禁煙するための医療的な介入をすること。
マイナス・イメージ戦略は、いろいろなところで見かけます。タバコの箱には、喫煙するといかに健康を害するかということが明示されることになっています。また、かつてタバコをかっこいいものと描いてきたハリウッド映画はそのことを反省したのか、多くのDVDの冒頭に禁煙を訴える広告が流されます。まずは西部劇のヒーロー、美人女優、アクション・スター、ロック・ミュージシャン、スポーツ選手がかっこよくタバコを吸っている映像が音楽と共に次々と流され、最後に、その結果がこれ、というように病院で車椅子に座った顔色というか全身の色が悪くなった老人が登場するというものです。この広告がどの程度の影響を与えているかわかりませんが、かなり生々しい映像で訴える力があると思いました。

ボストン市の試み
喫煙場所の制限もアメリカ全土で行われています。すでにニューヨーク、ロサンジェルス、サンフランシスコなど大都市も含めて500の地域が、公共の場での喫煙を禁止しています。ニューヨークが禁煙になったのは今年に入ってからですが、タイムズ・スクエアも公共の場所として禁煙地区となりました。マサチューセッツ内でも約12の自治体が公園や浜辺などでの喫煙を禁止しています。
これほど全米で公共の場での禁煙が定められていても、驚くべきことにボストンでは未だ、公園や浜辺でタバコを吸うのが許されたままです。ただし、ボストンでもタバコ削減キャンペーンは数十年にわたって展開されてきて、現在、二人の市議会議員councilorsが公共の公園や浜辺での喫煙を禁止する条項を提出しています。ちなみに二人とも喘息の持病があります。ボストン市長のトマス・メニーノ氏も、レストランやバーでの禁煙や薬局でのタバコ販売廃止を支持しています。ただしメニーノ氏は、この二人の市議会議員の提案に対しては、期待を表明してはいるものの、特に関与しない方針であるといいます。

個人の責任
すんなりと公共の場での禁煙が決められない論理は、人々の健康を守るためにいつから個人の権利を制限すべきか、という問題があるといいます。
ただ、この問題設定を見ると、どうしてもおかしいと思わざるを得ません。ある個人が自分の意志でタバコを吸って健康被害を受けた場合、それは個人がタバコを吸う権利を行使した結果であり、本人に責任があることになります。しかし、副流煙で健康被害にあう羽目になる場合、それは完全な被害者です。副流煙を出してもいいという個人の権利はないと言っていいと思います。人を殺す権利がないのと同様に。


2 コメント

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Unknown (小嶋崇)
2011-03-03 15:33:10
喫煙が「個人の権利」問題でないことは少し考えれば明らかだと思います。何しろ煙は「公共」のものである空気を汚染するわけですから。
私は喫煙者はヘルメットを被って煙が漏れないようにやれば少しの煙で足りるだろうに、あるいは、喫煙者のために、空気フィルターを完備した密閉した部屋を用意し、その中に入れば自分が喫煙しなくても人様の煙でただで喫煙できるだろうに、などと想像してしまいます。(笑い)
Unknown (細田 満和子)
2011-03-04 03:08:45
グッド・アイディアですね(笑)!煙草の話をすると、農業産地、煙草産業のことも絡んできて、健康という視点からだけでは見られなくなっているようですが、何がその社会に生きる人々にとって大事なのか冷静に考えてもらいたいものです。

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