みわこの館

徒然なるままに、みわこの日記を書いてみます。

お知らせ

2011-03-25 | 日記
沢山の皆様から応援や励ましをいただきましたが
一昨日、息子の遺体が地元の消防署長により発見されました。


自宅から約1.5km北上した海岸付近の民家の庭に横たわっていたそうです。


遺体安置所で見た息子の顔や体は傷も無く
綺麗で穏やかだったのがせめてもの救いでしたが
その後、私はショックのためその場で倒れてしまいました。


何処かで生きていて欲しい!という僅かな希望も虚しく消え去り
悲しみのどん底に突き落とされてしまったのです。


子を持つ母にとって、お腹を痛めた子が自分より先に逝くことほど辛いことはなく
息子がこんな形で最後を迎えるなんて、
可哀想で可哀想で仕方なかった・・・


親バカと言われるかもしれませんが、思いやりのある優しい息子でした。


何か困ったことがあった時などには
嫌な顔をしないで助けてくれた頼りになる息子でした。


私にとって、世界一大切な宝物でした。


私の命は、今回病院に入院していたお陰で助けられた命だと思います。


志半ばで逝った息子はどんなに無念だったことか・・・


その息子の分まで強く生きないと。


皆様へ

2011-03-21 | 日記
この度は、コメント・お電話・メッセージ・メールなど
沢山の皆様からご心配・お見舞いや励ましをいただきありがとうございましたm(_ _)m


今日で地震から11日経ちましたが、未だ息子の行方が分からずにいます。


私は、5日前に病院を強制的に退院させられました。


地震の後、次々に怪我人や病人が気仙沼市立病院に運び込まれベッドが無くなり
退院先があって軽傷な人は退院!になりました。

今は、夫の実家におります。

まだ足は不自由ですが、松葉杖をついてゆっくり歩いています。

今回は、病院に入院していたお陰で私は助けられたと思います。


我が家は、海岸から約20mほど離れたところにありますが 高台(約10mくらい)なので
少々の津波なら大丈夫かと安心していましたが、15mの津波に飲み込まれたのです。

町内会の約100世帯全て流されました。


そして我が会社は海岸から約1km離れた場所にありますが、工場の屋根の下7mまで津波が押し寄せ
夫は工場の柱を登って屋根までいき、国道のバイパスまでの200mを必死で泳ぎ一命を取り留めたと話してました。


工場の柱と屋根は鉄骨なので残りましたが、工場内の設備は全て流され 事務所も流されました。


息子は、会社に戻る途中に津波に飲み込まれたかもしれません。


あの日から一週間は毎日泣き通しでしたが、今は涙も枯れ果てました。


一気に押し寄せた悲しい現実に気が狂いそうになりましたが
そろそろ受け止めなければならないのかも・・・


少しずつ元気を出して頑張っていかないと。


今日で入院1ヶ月

2011-03-01 | 日記
1/31に入院して今日で1ヶ月経過しました。


入院当初は、たまには休養も兼ねて入院も良いもんだ☆なんて思ったものの


3週間目あたりから、いい加減病院も飽きてきて、普通の暮らしが懐かしくなってきたり・・・


今じゃ怪我の痛みも無いし、全くの三食昼寝付きざます(^^;)


でもね、元来アクティブなワタクシなので、ゴロゴロ食っちゃ寝の生活は良いとこ1週間かな


あああ、アチコチ飛び回っていた毎日が恋しくなってきたわ~~


退院のめどは全くたってないので、どうなることやらですが、1日も早く退院したい今日この頃です(-_-)