習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

幸せの人生

2017-06-29 19:29:27 | 政治・経済・社会・時事
 小林真央さんが亡くなったらしい。
 行年34歳というのは、あまりに早い。幼い、最愛の子どもを残して旅立つのは、どんなにか心残りだったことだろう。その無念さは、子どものいない私たち夫婦にも、察するに余りある。私とは縁もゆかりも面識ももちろん一切ない故人ではあるが、その若すぎる死を心から悼み、冥福を祈りたい。

 しかしながら、会社の人が海老蔵の会見についてのワイドショー報道を見て、「マスコミもこんなに騒がずに、そっとしといてあげればいいのに」と言った言葉には、大いに同調したい気持ちもある反面、「いや。それは違うだろ」と思わなくもない。
 聞きようによっては、とても意地の悪い、人非人な物言いに聞こえるだろうが、故人も海老蔵も、もし本当に「そっとしておいてほしい」のなら、何も不治の病であることを記者会見で公表しなくてもよかったのだし、闘病ブログを綴らなくてもよかったのだ。
 だから、世間に対し病名を公表して闘病ブログを綴っていたということは、はっきり言って「かまってほしい」からしていたことに他ならないわけで、それを「かまう」、すなわち事細かに報道することは、故人自身及び海老蔵にとっては「本意」そのもののはずではないか。

 といっても、勘違いしないでほしいのだが、私は別に海老蔵・故真央さん夫婦が売名的に同情商売をしていたなどと言いたいわけではない。人によっては、この夫婦に対してそんな感想をもっても不思議はないが、何しろ天下の成田屋である。今さら売名する必要などどこにもない。
 そういうことではなくて、故人にとっては、おそらく自分が死ぬとわかった時点で、世の中と子どもたちに何かを発信し残したいと思って、それで病名を公表しブログを書かずにはいられなかったのだろうと思うのだ。そうすることで、自分のような悔しい後悔をせぬように乳ガン検診の大切さを世間の女性たちに教え、そして、そのブログを、自分がいなくなった後、子どもたちが大きくなったときに、母が最後の日々をどのように生きたかと知ってもらうための記録資料として残そうとしたのだろう。動機としては。
 だから、子どもに対しての思いはともかくとして、世の中に対して訴えたいという故人の思いを考えれば、別に「そっとしておく」必要はないんだと思う。むしろ「広く世の中に自分の思いを拡散したい」という故人の願いに協力することこそが、故人の意にかなっているはずではないか。

 人間、きっと自分がこの世からいなくなるとわかったら、何か書いたり社会に働きかけたりせずにはいられなくなるのだろう。売名的な損得ではなく、そうしないではいられないという意味で。
 まあ、それにしても、たしかにこの真央ニュースのあまりの氾濫には、いくら何でも他にもっと報道すべき大切なことはないのかとテレビ局に対して思わなくはないが。


 と、それはさておき。私は今、この故真央さんの人生が幸せだったのかどうなのかということを思っている。
 34歳で亡くなることはたしかにとてつもなく不幸だ。だが、彼女の人生それ自体は、たぶん幸せな人生だった・・・と相対比較で客観的に見れば間違いなく言える気がする。
 おそらく裕福で愛情豊かな家庭に成育し、それゆえに学歴にめぐまれ、かつルックスにもめぐまれたがゆえに、みんなが望んでもなかなかなれない仕事につくことができて、そして大金持ちの成田屋と結婚して子宝にもめぐまれて。・・・
 若くして死んでしまっては、それまでどんなに幸せでも意味ないだろうと言う人も多いだろうが、幸せとは人生時間の長短ではない。

 世の中、子どもの貧困率の話題を見てもわかるように、生まれのラッキー/アンラッキーで言えば後者にあたる人がゴマンといる。
 もちろん、そもそも一年間に地球上で誕生している命のうち、先進国に誕生できているのはごく一握りだろう、ということをふまえれば、私も含めて、たまたま先進国に生まれることができただけでも大変な幸運である。
 が、日本に生まれても、貧困家庭、ヤンキー家庭、虐待家庭に成育せざるを得なかったり、無教養な成育環境ゆえにたとえば若くして妊娠してしまい、そのために高校中退の学歴で終わってしまい、当然の帰結として高収入・安定収入とは縁遠く、だからそのまた子どももやはり・・・という下層スパイラルでもがいている人々からしたら。そしたら、私なら、下層階級の約70年の人生より半分の小林真央さんの約35年の人生のほうが基本的には幸せな人生だった、と言っていいんじゃないかとは思っている。
 そして、そう言ったところで、別に故人に失礼でもなければ、故人の尊厳をおとしめることにもならないと思う。

 もちろん、幸せの相対比較なんて考察すること自体、意味なんてないだろうと言われれば、まったくその通りであるのだが。
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