永田満徳

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10月号(2016・第7号)

2016-10-14 20:24:10 | 月刊誌「くまがわ春秋」
ノーベル賞候補として注目された人吉出身の―
  松村保広君の近況報告
永田満徳

松村保広君がノーベル化学賞の候補者として俄かに注目されることになった。米情報会社トムソン・ロイターが独自に予想したノーベル賞の有力候補者に贈る「引用栄誉賞」に保広氏が受賞したからである。残念ながら、今回はノーベル賞を受賞できなかったけれど、その有力候補に挙げられたことだけでも、地震に被災した熊本に力を与えるものである。
保広君は高分子薬剤が選択的にがん局所に留まりやすいEPR効果を発見し、その発見に続いて、がん間質ターゲティング療法を開発し、新薬開発にも多大な貢献をしている。私は保広君と中・高の同窓であるよしみで保広君の貢献を称え、ここに紹介する。
松村保広氏は人吉市温泉町生まれ。61歳。中原小学校、人吉第二中学校、人吉高等学校を卒業する。
【松村保広君 略歴】
昭和56年(1981)3月
熊本大学医学部卒業、第一外科入局、その後に 医学博士号取得
昭和63年(1988)8月
文部教官熊本大学医学部助手
平成元年(1989)8月
米国マウントサイナイ医科大腫瘍内科留学
平成2年(1990)9月
英国オックスフォード大学ナフィールド病理
平成6年(1994)9月
国立がんセンター中央病院第一外来部内科医員
平成14年(2002)4月
国立がんセンター研究所支所がん治療開発部部長
平成27年(2015)4月
独立行政法人国立がん研究センター
先端医療開発センター 新薬開発分野長
さらに、私の複数の質問に対する保広君の返事を纏めて書くことで、以下の内容を本人の弁としたい。
政治家志望だったけれども、高校時代に生徒会長を経験して話が苦手であったために断念し、医者という技術職にもなれば食いっぱぐれがないくらいの薄っぺらな気持ちで、医学部に進学する。しかし、既存の医療ではなく、新しい医療の創生をして、少しでも「自分で作った医薬」で人類に貢献したいという衝動に駆られて、医学の研究職に就く。
研究活動の指針ともいうべきは、1)流行にのらない。2)データと喧嘩しない。3)「木を見て森を見ず」とならないように心がけるというものである。
EPR効果の発見を機に、抗体医薬の重要性を認識し、新しい抗体医薬、新しい概念の抗体医薬を作製する。まさに研究から開発にステップアップし、今から実用化へ向け開始しようとしているところである。抗体医薬が患者の役に立つことを証明するまで、研究開発に全力を尽くしたい。
【ながた・みつのり/熊本市】
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