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そうだ、京都に行こう。ブルートレインに乗って!

2008-03-02 | 鉄道
写真:九州内でブルートレイン「なは・あかつき」を牽引する交流電気機関車ED76

平成20年3月15日のJRグループのダイヤ改正で廃止されるブルートレイン「なは」と「あかつき」。
京都と熊本を結ぶ「なは」は、アメリカ統治下時代に沖縄の早期本土復帰を願い名づけられたという「ヤマトンチュの想い」を背負った歴史的な列車であり、長崎発着の「あかつき」は関西と九州を結ぶ最初のブルートレインとして颯爽と登場した、これまた歴史ある列車である。
九州と関西で永年親しまれてきた名列車も、時代の流れと共に利用客が壊滅的に減少しており、その栄光と凋落に彩られた数奇な歴史を終えようとしている。あと2週間、ダイヤ改正前夜の3月14日に京都と熊本、長崎を発車する列車を最後に、夜の山陽路を走り続けた碧い列車達は消滅する。
「なは」と「あかつき」は今しか見られない、今しか乗れない!乗りたい!乗るしかない!!

「そうだ、『なは』に乗ろう。ブルートレインで京都に行こう!」

という訳で、乗ってきました。

平成20年2月28日 夜


「なは」「あかつき」終焉近しのニュースが大々的に報じられたこともあり、最近では両列車共に「名残り乗車」で大盛況らしい。実際、この週末の寝台券は完売しており、やむなく金曜日に有給休暇を取得して、空席のあった木曜夜に熊本発の「なは」のB寝台下段を購入することが出来た。
仕事を定時で切り上げて、身支度を整えて熊本駅に向かう。この「仕事を終えてからゆっくり旅立てる」というスタイルがビジネスユーズ向けのブルートレインの売りだったのだが、最近ではそんな悠長なことをせずに空路で日帰り出張する場合が殆どだからなぁ…
ともあれ、今夜は「なは」と一緒にじっくり過ごすための旅だ。同様に「名残り乗車」目的と思しき乗客も三三五五と集まってきた。
発車までのひと時、熊本駅のホームに据え付けられた「なは」編成との記念撮影に興じたりと独特の旅立ち気分が盛り上がる。
定刻の20:14、機関車ED76の汽笛一声、熊本駅を発車。一路、京都へと向かう。


今夜のベッド、開放式2段B寝台の下段。
幅70cmの座席兼用ベッドに、清潔なシーツと毛布、枕と糊の効いた浴衣にハンガー。必要最低限の備品と、あとは通路とプライベート空間を仕切るカーテンだけという簡素な設備はいかにも前時代的。
この開放式B寝台の基本的なスタイルは、驚くべきことに設計時の昭和40年代から殆ど変わっていない(但し、当初3段式だったベッドを2段にして居住性を良くする改善は施されているが)。
21世紀になって既に7年と2ヶ月が経過した今夜も、濃厚な「昭和の香り」を漂わせた質実剛健な空間が鉄路の上にあった。


昭和の残り香の一つが、これ。
窓枠に設えられたテーブルのふちに用意された「センヌキ」。ご丁寧に使用方法のイラストまで添えられている。
かつてアルミ缶やペットボトルの飲み物がまだ無かったころは、ビールもジュースも王冠のはまったガラス瓶に詰められて売られていた(らしい。昭和51年生まれの僕も、残念ながら列車に王冠付き瓶入りの飲み物を持ち込んだ記憶は無い。)。
そんな時代のノスタルジックな遺物が、いまだに現役で(というかそのまま放置されて)残されているのだが、このアナクロな「列車の栓抜き」、一度使ってみたいと前々から考えていたんですよ。
で、実際に前回「なは」に乗ったとき、車中に瓶入りビールを持ち込んでそれを実践してみたのだが、これがやってみると実に楽しい。ガッチリつくり付けられたテーブルの栓抜きは使い勝手が良く、王冠が心地良くスポーンと抜ける感触のせいでビールがより美味く感じられる程だ。
そんな訳で、開放式B寝台車に乗るときの秘かな楽しみである「テーブルの栓抜きでのビール瓶開栓」、寝台列車に乗る機会があれば是非お試し頂きたい。せっかくなので、その様子を写真と動画で紹介しておく。

まずはフタのカドをひっかけて…


ビンを上へこじる。
さあ、あとは流れる車窓の夜景を肴に飲もう!列車の心地良い揺れのせいで酔いが回るのも早いのは困ったものだが。



気分良く飲んでいるうちにも列車は鹿児島本線をどんどん北上、21:32に長崎本線とのジャンクション鳥栖駅に到着した。ここで長崎から来る盟友、寝台特急「あかつき」の到着を待ち、30分の大休止。
ミステリ好きな諸兄なら事件のアリバイ工作に利用できないかと考えを巡らすところだろうが、瓶ビールでほろ酔いの僕には格好の酔い覚まし散歩時間だ。
鳥栖駅名物かしわうどんの立ち喰いスタンドが既に閉店しているのは残念だが、それでも夜の冷気が心地良いホームに降りて歩き、ここまで「なは」をエスコートしてきた赤い機関車ED76が任を解かれ切り離される様子を眺める。




それにしても、長年の過酷な長距離走行に耐えてきた「なは」の車輌の傷みの激しさは目に余るものがある。廃止も間近で今更メンテをする必要もないとの考えなのかもしれないが、文字通りボロボロになって去り往く車輌たちに哀れさを感じる。
せめて最期まで、ブルートレインの名に恥じない艶やかな濃紺の車体でいて欲しかったのだが…




やがて長崎から「あかつき」が到着。そのまま「なは」の前方に連結し、一つの編成となって22:07に共に京都を目指し出発する。



「なは」編成の自分のベッドに戻る前に「あかつき」の車輌を歩いてみるが、JR西日本が所有する「あかつき」編成の車内の雰囲気はJR九州持ちの「なは」のそれとは微妙に違いがあることが分かる。
「あかつき」の車中は全体にシンプルなインテリアだが、通路にさり気無く可愛らしいイラストが飾られていたりして細やかな心遣いが感じられ、好ましい。


狭い通路の両側に多数のドアが並ぶ、「あかつき」のB寝台1人用個室「ソロ」。
まさに「走るカプセルホテル」


「なは」にもB寝台1人用個室「ソロ」が連結されているが、こちらはカーペットやパーティションの質感、照明にも「デザインのJR九州」らしいこだわりが感じられ、さながら「走るデザイナーズホテル」といった趣き。
但し基本的な設計や室内の広さは「あかつき」のものと殆ど同じだが。

一通り車内を見て回り、自分のベッドに戻ってダラダラ過ごす。
列車は福岡都市圏に入り、車窓は慌しいウィークデイの夜の賑わいが残っているが、坦々と京都を目指しひた走る「なは・あかつき」車中は既に消灯されてひっそりと寝静まり、外界と隔絶された夜汽車独特の静寂世界となっている。
それでも、僕はまだ寝ない。残り少ない「なは」との夜を寝て過ごすのが惜しい気持ちもあるし、それにまだ九州発ブルートレインの「儀式」が残されている。



23:31、九州最後の停車駅である門司に到着。
ここで「なは・あかつき」は機関車を関門海底トンネル専用の交流直流両用機EF81に付け替え、九州を離れる。
関門トンネルを潜る全てのブルートレインで連綿と行われ続けてきた深夜の駅での「儀式」を、寝ないで待ち続けていた乗客達が暗いプラットホームで見守る。

海底トンネルの湿度と塩害から電気機器類を護る特殊コーティングで身を固めたEF81に導かれて関門トンネルを潜り抜けた「なは・あかつき」は、本州側最初の停車駅下関で東海道山陽本線用の大型直流電気機関車EF66に機関車交換し、いよいよ深夜帯の旅へと入っていく。

九州を離れる僅か10分足らずの間に2回も機関車を交換する「儀式」も無事終り、夜の底の山陽路を駆ける「なは・あかつき」。簡素だが清潔感あるリネンが用意されたB寝台のベッドに横になって暗い車窓を見ているうちに、疾走する寝台車の刻む母胎のゆらぎにも似た心地良いリズムにつられていつしか意識も途絶え、気が付くと夜明け前の海に明石海峡大橋が雄大な姿を現していた。




やがて車窓に朝陽が昇る。
「なは・あかつき」号の迎える、新しい一日。
陽光に照らし出され、夜の闇を纏った濃紺の車体が黄金色に輝く。ブルートレインの最も美しい一瞬。


列車はいよいよ近畿圏に入った。大都市は既に目覚め、いつもと変わらぬ慌しい朝が始まっている。
人知れず夜を駆け抜けて終着駅京都を目指し、神戸と大阪の街並みをラストスパートする「なは・あかつき」を通勤電車が素知らぬ顔でかすめて擦れ違っていく。


平成20年2月閏29日午前7時53分、第32列車寝台特別急行「なは」号と、同じく「あかつき」号は定刻に京都駅に到着した
熊本から762.4キロ、鹿児島・山陽・東海道本線を約12時間で駆け抜ける、一夜の旅路だった。


朝の日差しを浴びる機関車EF66。
毎夜ブルートレインの先頭に立って闇を切り裂き疾駆し続けるが、本来は昭和43年に日本の物流の大動脈である東海道・山陽本線を大重量の高速冷凍貨物貨物列車を牽いて最高速度110キロで高速走行することを使命に誕生した、優雅な寝台特急牽引の任務とは縁のない筈だった大出力の大型機関車。
そんな厳つい野武士のような孤高の機関車にも、心なしか任務を全うした安堵の表情が浮かんでいるような気がした。
「老兵よ、お疲れさま。素晴らしい夜の旅をありがとう、EF66」

「なは・あかつき」は京都駅構内の東京方で入れ替えを行い、京都駅に再入線してから車輌基地のある向日町へと帰って行く。
向日町から迎えに来たもう1輌のEF66に連れられて引き揚げていく「なは・あかつき」編成を見送ってから、僕も京都駅を後にする。
せっかく京都に来たことだし、先日京都在住のbbsawaさんから素晴らしい銀閣寺の写真を見せて貰ったので京都の街を歩いて銀閣寺を見に行きたい気もしたのだが、また今度僕のパートナーのUSACOと一緒に来た時までとって置くことにする。

今日は、「そうだ、ねこの駅長さんに会いに行こう。わかやま電鉄に乗って!


写真:寝台特急「なは・あかつき」 京都駅にて

という訳で、そうだ、ねこの駅長さんに会いに行こう。わかやま電鉄に乗って!に続きます。
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COUNTER from 07 NOV 2007


4 コメント

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見たこと有る風景が (bbsawa)
2008-03-03 08:22:44
山陽電鉄の線路、国道2号線越しの明石海峡大橋。
その次が、須磨の海釣り公園http://www.umiduri.com/の日の出。
私の子供の頃は、新幹線も無く寝台列車の旅が普通だったのが、夢の超特急以降早く早くで日本社会が進んでいます。日帰り出張の範囲が広がるのは会社は喜ぶけど、鉄道博物館以外で見れなくなるのは寂しいですね。
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僕も思い入れのある風景です (mitsuto1976)
2008-03-03 23:09:38
bbsawaさん、おばんです。
京都行きブルートレイン「なは・あかつき」の夜明けに見えるこの風景、僕も学生時代に幾度となく青春18きっぷで乗れる夜行快速ムーンライト号から眺めた懐かしい風景です。
それにしても、この須磨駅付近で見える海に突き出した建造物は「海釣り公園」だったんですか!いつも「何なんだろう?」と気になっていたんです、積年の疑問が解けましたw
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Unknown (ちーやん)
2008-03-08 23:51:17
栓抜き懐かしかったです、良く汽車(と北海道では言います)で見かけたものです、まさに昭和です。

「なは」という電車が走っていることも殆どの沖縄の人が知らないのでしょうね、そしてそのまま消えていくのはとても残念に思います。

うどんといえば・・・卒業旅行で福岡空港に降り立って、電車で長崎・佐世保・阿蘇などを回って大分空港から帰ったことがあります。
その時、どこかの乗り換え駅のホームで食べた、甘いそぼろのかかったうどんがとってもおいしかったのをいまだに覚えています。ちなみに温泉一泊の帰り阿蘇発の電車に乗り遅れて、大分発の飛行機に乗り遅れそうになり、バスを見つけて事なきを得ました。まさかあんなに本数が少ないとは思いませんでした(´ヘ`;)
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消え行く汽車 (mitsuto1976)
2008-03-09 14:55:23
ちーやんさん、こんにちは。お風邪の具合はどうですか?

九州でも「汽車」っていいますよ~っていうか今でも新幹線「つばめ」以外は全部汽車ですよぉ~
味わいがあっていいですよねぇ(笑)

「なは」は最近ではその命名の由来を知る人も殆どいないですが、日本の歴史、沖縄の歴史を背負った大切な愛称だったと思います。日本人として、忘れてはいけない列車名だと思います。
できれば今後、ゆいレールの愛称としてでも復活して欲しいです。

>甘いそぼろのかかったうどん
それは多分、鳥栖駅(長崎線と鹿児島線の乗換駅)の名物「かしわうどん」ですよ!
過去記事で紹介してます(宣伝w)→http://blog.goo.ne.jp/mitsuto1976/e/0e26a115cdf394f11ead30b9aabaf73d

九州横断する路線は列車本数少ないですからねぇ、豊肥本線(熊本―大分)は山越え区間では1日5往復しかありません。乗り遅れたら4時間待ち。。。
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