
スーティン(Soutine)の表現
スーティンは、ベラルーシに11人兄弟の10番目として生まれた。父は修繕屋をしていたが、村ではもっとも貧しい一家だったという。スーティンは体も弱く、家の手伝いも出来ない為、兄弟たちから邪魔者扱いをされていた。パリに出たスーティンは、しばらく集合アトリエのラ・リュッシュ(蜂の巣)で制作するようになる。そこでは、モディリアーニ、ポール・ギヨーム、レオポルド・ズボロフスキーなどと親しかった。モディリアーニが亡くなったあたりから、スーティンの作風に変調が生じる。パリでの人間関係を避け、精神的に不安定な状態が続き、それがその時期の作品に反映されている。アメリカで展示されたスーティンの作品は大きな衝撃を与え、フランス国内の評価も一気に上がった。パリで最初の個展も開かれ、スーティンの絵が売れ出してからは、豪邸に住み、運転手付きの生活を送ったという。だが、晩年は再び不遇となり、殆ど制作しなくなった。穿孔性潰瘍のためパリで手術を受け、その直後に没した。











