なんかこのー  Eso Que・・・ 

下手なスペイン語ですいません
Lo siento por los españoles poble

可哀想な巣引き

2012年03月31日 | 日記

巣に近づくと威嚇する



ひと月も抱卵していたが、やはり孵化しないので巣を撤去する



なくなった巣のところでずっとキョロキョロと探している様子



どこへいったのかなー



毎日交代で抱卵しているのに孵化しないのが可哀想で、巣の中の卵を一つづつ調べて見たところ、やはり生きていない。それでも律儀に、巣の中でじっと2時間ぐらいの間隔で抱卵している姿があまりにも哀れで、とうとう巣引きしてしまった。すると朝放すと一斉に巣のあった場所に行って不思議そうに探している。


これを見ているのもまた凄く辛い。交互に飛んできて、どこへやったんだと聞くように腕や肩にまとわりつく。そしてまた巣のあった場所へ飛んで行く。


もう涙が出るほどの愛情溢れる姿だ。とうとう一日中そこから離れなかった。


あまりの哀れさに、戻した生命のない卵を入れたままの巣を元の場所に戻すと、2羽が同時に巣に入っていった。



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暖かい午後

2012年03月30日 | 日記




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小鳥にメロメロ

2012年03月27日 | 日記



春先で体調が思わしくないので外出できません。小鳥を相手にしています。



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木蓮とサイクリスト

2012年03月26日 | 日記




自然界では毎年同じ時期になると、決まったように花が咲き、鳥が飛び交う。人も暖かくなると自然と外に出たくなる。


特にシナ製の安い自転車が売られるようになってからは、街じゅうに自転車が氾濫している。しかしまだ頬を横切る風は肌寒く、ハンドルを握る手は手袋なしではさぞ冷たいことだろう。


でも春は人を外に連れ出す力を持っていて、多くのサイクリストや人々を家の中から誘い出す。暑すぎず寒すぎず最高の季節だが、きわめて短いのが残念である。


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やっぱり寒さがぶり返す 反日をぶり返さすな

2012年03月25日 | 日記






暖かくなったと思ったらまた寒さが戻ってくる。こんなことを繰り返しながら本格的な春が来るはづです。


それにしてインチキ政府はこの陽気のように、コロコロと政策を変えて嘘を並べ立て、なぜ不景気下で増税など考えるのでしょう。まるで忘れ去ってしまったように東北の復興はほったらかしで。金融を緩和してお札をどんどん印刷して東北の復興や、公共事業に使えばやがて景気は回復し、税収も上がります。経済学者でなくとも考え付く最良の方法をとらずに、増税していたら50パーセント増税しても足りなくなるでしょう。一体何を考えているのでしょう。


早く解散して少しはましな政治に変る事を切望します。日本人なら反日朝鮮人が中心になっている「民主党」にだけは投票しないように。それとシナや朝鮮と仲良くしている反日の自民党議員ややその他の党の反日政治家は落選させましょう。

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自律神経失調症

2012年03月24日 | 日記




都内でも早咲きの桜がチラホラと見られるようになりました。ちょうどこの頃になると交感神経の狂いが生じてきます。いわゆる自律神経失調症です。


これがおじちゃんの身に起こるようになったのは心臓のバイパス手術を受けたあとからです。急性心筋梗塞で心筋の三分の一が壊死してしまいましたので、早足で歩いたり駆け出したり、階段を上がるのが苦しくなってしまいました。


天皇陛下が手術後も歩くと息苦しいと言っているのが分かります。陛下の場合は長い間に積もり積もった疲労やストレスが心臓や血管を痛めつけていたと考えられますので、もっと休養をとられてゆったりとお過ごしなされたほうが良いと思いますが、「私=わたくし」がない方ですからどんなにか、おつらいこととご推察できます。日本国民のためにもっと体をお大事にしてもらいたいと心からお願いいたします。


さてこの自律神経失調症は多くの人が春先の陽気の変わり目に陥りやすい病気です。気分の落ち込み、体温変化の不調、動悸、めまい、立ちくらみ、など人によりさまざまだそうです。原因も良く分かっていません。


自覚症状のある人にとっては、とてもつらいことです。早く原因と治療法が確立されることを願っています。


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やっと春が来た

2012年03月23日 | 日記








ここ数日の陽気でやっと春が来た感じがしている。遅かった梅は今を盛りに咲き誇り、もくれんも数日で開花する様子だ。


東北の被災地はどんな具合だか気になるが、もうすく暖かさが戻ってくればいいと願っている。


何年も何十年も春を迎えられるということだけで、人生は幸せなのだろう。春先病で具合が悪くなる時期だけれど、何とか頑張って「今日が最後」と念じながら生きていきたい。


日本も反日朝鮮人政党「民主党」に乗っ取られ、シナはまるで属国のような振る舞いを続けているが、日本人は頑張れる民族だから未来は暗くはないと思う。春のような国にもう一度戻さなければ、と絆はなくなっても大部分の人は、そう思っているのは確かだろうと思う。はやく本当の意味での春が、東北は勿論日本国中に訪れることを願わざるを得ません。


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以前の隅田川

2012年03月22日 | 日記




花森安治の「東京だより」を読んでいたら、こんな一文が載っていた。


ほろびゆくものみなうるわし、という詩を作った西洋人がいる。おしなべてサラピンのピカピカというものは、あまり感傷とか情緒とか風流には縁がないらしい。

(そこで築地から浅草への今はないバス船に乗りこむ)甲板に、公園のベンチみたいなのが、ほどよくはげちょろけて風流的にならべられてある。黄と青のビニール布が日よけにかけてあるが、適当にシミがついていて、情緒を壊すほどではない。
 ほろびゆくものみなうるわし。九十円はらって、そのはげちょろのベンチに腰をおろした。

 それにしてもなんという色だろう。この隅田川の色である。安物のインキを流したような、紫とも紺ともつかない色。・・・それにしてもなんというにおいだろう。川上の工場の廃液と、ゴミとオワイと、メタンガス。それがコンゼン一体となって鼻におそいかかってくる。それは川いっぱいに立ちこめ「すすかぜ」となり水しぶきとなって、むんむんとのしかかってくる。

 いざ言問わん元気もなく、やっと終点について船から上がりながら、ほろびゆくものみなうるわしという詩を作ったやつは、たぶんよほどひどいチクノウ症か、でなければよほどがまんづよいアホウではないかという気がしてきたのである。







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絆は色あせたか 「苦しみ分かち合うべきだ」元米紙特派員語る

2012年03月21日 | 日記




放射能の危険もないガレキの受け入れを拒否するなんと自分勝手な日本人が増えたことやら。それとも日本人の顔をした外国人なのだろうか。亡くなった人たちやその遺族、罹災された方たちに向かって口が裂けても言えないことを平気で自己保身のためだけに生きて行くなら、人間やめなさい。そんな輩が多いとは思わないが、そんな自分勝手な奴らは、日本にとって何の価値もない存在なことだけは確かなことである。



[東日本大震災]サンケイ
元米紙ワシントン・ポスト特派員、ポール・ブルースティン氏=神奈川県鎌倉市

 「日本の絆の精神は色あせた」と10日付の米紙ワシントン・ポストに寄稿した元同紙東京特派員でブルッキングス研究所フェロー、ポール・ブルースティン氏(60)=神奈川県鎌倉市在住=が産経新聞のインタビューに応じ、「私たちは被災地の苦しみをともに分かち合わなければならない」と“絆の復旧”を願っていることを語った。

 ブルースティン氏は東日本大震災から1年の節目に「昨年の悲劇は日本を停滞から目覚めさせるのに失敗した」と題する記事を寄稿。自治体のがれき受け入れ拒否問題に触れ、日本国民の連帯意識が失われかけていると警鐘を鳴らした。

 インタビューでは、寄稿したきっかけとして、「震災直後、国全体が団結するはずだと楽観的だったが、震災前と同じく政治は争いを続け、人々が放射能問題に過度に反応していることに気がめいった」と強調した。

 同氏は震災後、多くの外国人が離日し、友人からも「脱出した方がいい」と助言されたにもかかわらず、放射能問題を徹底的に勉強し、「放射性物質はごくごく微量なもので問題ない」と理解。家族とともに日本にとどまった。今も福島県産の野菜や米を買い続けており、「自分ができることで被災地をサポートしている」という。

 自身が読んだ新聞記事の中で、被災した高齢者が「ボランティアの人からおにぎりなどをもらって感謝しているが、私は与えられるよりも社会に貢献したい」と話したことに感動、「これが日本精神だ」と思ったという。

 一方で、「被災地に協力したいと言いながら自分たちに直接影響があると拒否した。それががれきの広域処理に表れた」と残念がった。さらに「被災地の苦しみを分かち合わなければならない。もし自分たちの地域の首長や議員ががれき処理の協力を断るなら、次の選挙で落とせばいい」と断じた。

 その上で、「日本は必ず困難を乗り越えると確信している。多くの日本人は、東北の人たちが家族を亡くした痛みや家を流された苦しみを理解している。絆はそのうち戻ってくる」と期待を込めた。


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京都暮情

2012年03月20日 | 日記










毎年この時期に行っていた京都へも、今年はなんかこのー行く気にならずに愚図々々としている。去年一緒に行けた親父さんが、今年はどうも調子が悪いようで気持ちが落ち着かない。

それにざっと数えただけでもここ十年ほどで30数回も行っている。ほぼすべての名所は見つくしているし、美味しいものも食べつくしている。だからといって嫌いなわけでも、飽きてしまったわけでもないのだが、ただ何となく諸般の事情と気持ちの整理とがつかないままで、どこかへ出かけようという気が起きないだけだ。多分春先病の魁かもしれない。

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雨の中の散歩で思うこと

2012年03月19日 | 日記




白椿


土曜から雨が続いています。何か少し蒸し暑さも感じます。もう春がそこまで来ているんですね。でもここ十数年の不安定な天気で、この先どうなるかはまだ分かりません。急に寒くなる可能性だって捨て切れませんし、バカ陽気で暑くなる事だってあり得ます。

本当に天気の変化がおかしくなっています。雨が降ると外でカメラを持ち歩くのも大変です。最近は撮りたいものがなくなってきて、というより自分の心が感動しにくくなっているんでしょう。

久し振りの雨の中の散歩、ちょっぴりですが楽しみました。これもいつも一緒に付き添ってくれるカミサンのお陰です。一人は寂しいですよね。たとえあまり話さなくても、長年の信頼関係があるというだけで、心にゆとりが生まれてくるのでしょう。白い椿が雨に濡れて可哀相でした。

嫌ですねこんな年寄りじみた話になってしまって。まあ戦後の食糧不足の時に生まれた世代ですから、もう年寄りかもしれませんが。(団塊の世代と言う言葉が嫌いですので悪しからず)

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いくらか春の足音が

2012年03月18日 | 日記

紅梅


ミモザ


もう終わりかけのサザンカ



まだまだ寒さが続いているが、異常に遅かった花の開花も少しづつではあるがチラホラと見えはじめた。


異常に遅いといえば、東北の震災の復興も遅々として進まない。政治が悪すぎるのは誰の目にも明らかだし、なぜ反日朝鮮人たちが民主党はおろか政治の世界に半分とも言われるほど入り込んでいるといわれるし、これでは日本と言う国がおかしくなっているのは仕方がない。自民党にしても反日の政治家が半分以上を占め、利権を貪っている。

そして民主党には反日教育のドンと言われる輿石東という怪物が日本解体を画策している。野田も朝鮮、小沢も朝鮮、前原、山岡、平岡、岡崎、菅、鳩山の女房も朝鮮と首脳部の殆どが朝鮮出身者だ。それだけなら非難もしないが極左で反日ときている。これは絶対に許しがたい。自民党にも反日の政治家がウヨウヨいる。こいつらだけは本当に許しがたい。しかもわれわれの血税がそいつらの贅沢な生活を支えていると思うと我慢できない。

やる気になれば明日にでもできる復興を後回しにして、この不況下に増税と来るか。まこと狂人としか思えない野田政権のアホさ加減に素人でももうこの政党は正当じゃない。日本不政党と名前を変えたほうがよい。

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寒いんだから早くしてよ

2012年03月17日 | 日記




犬の散歩も大変です。暑くても寒くても欠かせません。ましてやお年寄りにとってはこの寒さの中ひと苦労です。でも動物に癒されるところ大ですね。可愛がれば可愛がるほどなついてきますし、散歩の相手にもなりますし、遊び相手にもなります。


おじちゃんの家には小鳥しかいませんが、これだってとても利口ですし、人の言葉をある程度理解します。今文鳥の番は抱卵中ですが規則的に交互に出てきて遊んだと思うと、また変ってもう一匹が出てきます。巣箱の中が空になることはありません。ですがもう20日ほど抱卵していますが、一羽も孵りません。ですからまた無精卵か、何かの原因で胚が死んでしまっているのかもしれません。


そんな中、夜はいつもメスの番なのですが、ここ数日巣に入るのを渋りはじめました。朝まできっとじっとしているのは辛いのでしょうね。可愛そうですが何とか時間をかけて戻すように工夫しています。やはり朝までトイレも何もかも我慢して抱卵するのは大変なんでしょう。メス鳥の気持ちもよーく分かります。


果たして何時まで続けさせればいいか、そろそろ決断する時期に来ています。

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偶然という世界

2012年03月16日 | 日記




おじちゃんは常々「人生は宝くじ」だと思っている。なぜなら人生を左右するのは能力でも才能でも、ましてや努力なんかでは絶対無い。人の人生を支配するものは、ただ『運』でしかない。


TEXT BY Samuel Arbesman

 実はわれわれが存在するということは、すでに天文学的なほど小さな確率によっている。例えばあなたが受精卵だったとき、受精に成功した精子は1億個のうちのひとつだった。そもそも不成功に終わった生殖行動も多い。そして両親の出会いから、第二次大戦中に祖父が弾丸を避けて生き残り、祖母に出会ったことまでも問題になってくる。だから、どんな人間であれ存在する人は皆、非常にわずかな確率を克服してこの世に登場してきたものなのだ。


 このような歴史上の「もし」は、いくらでも細分化して考えることが可能であり、そうなるとわれわれの知る「存在」というものが生じる確率は、もはや統計的にほとんど起こりそうもない、それこそ統計力学の領域で扱われるような数字になってくる。


 誰かが何度も成功しているからといって、必ずしもそこに理由があるとは限らない。それが存在をかけた争いであれ、あるいは単に株で儲けることであれ、それなりの数の人間が競い合う状況においては、成功することは合理的な理由を伴わない、単純な運不運の問題でありうる。



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生きるかなしみ

2012年03月15日 | 日記




山田太一がいろいろな作家の作品から抜粋した文章の表題の本を読んだ。序文で"人間一人一人の力なんか、たかが知れている。自分一人の力で生きていると思ったら大間違いで、世の中の何かに支えられながら生きている。


自分がこれまで生きて来られて、今なお生きているのは、無数の細かな偶然に支えられているのであり、決して自分の力ではないという認識があるべき、とはいわないが、あったほうが幸福だろうという思いはある。実際、いつ地震に遭っても交通事故に遭っても死病に罹っても不思議はない人生を、何十年か、何とか生きて来られたということは驚くべきことであり、"というようなことが書いてあり、何人かの作家などの生涯や体験が載せられている。


本当に人生とは「生きるかなしみ」そのものだと思う。だからといって諦められるものでもない。どんなに幸せでもそれは永久に続くわけでもない。苦しみのほうがずっと多い。


幸せだと思っていた恋愛ですら、苦しみのほうか多いことだってある。生きている限り「生きるかなしみ」から離れることは出来ない。


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