雪害

2017-03-08 05:28:11 | 日記

 

60年程前の頃農地の耕耘が牛馬から耕耘機に変わった。畑作物の養蚕、白菜、大小麦から果樹に変わり各地で畑の交換分合で区画整理や農道整備を行った。耕耘機の購入は農協を通して小学校グランドにずらりと並べて共同購入していた。明るい農村を合い言葉で農業の夜明けで腰を屈めて手作業の農業から機械化農業に変遷した。普通畑の換金作物の白菜の一大産地で後作には麦、小麦、大豆等の1年作物や養蚕で生計を立てていた。

永年作物の果樹に切り替えても成木になって販売が出来るまでは長い年数がかかり大変な勇気が必要だった。それでも果樹の幼木の農薬散布から飛散農薬で繭掛ける直前で蚕が頭を振って異常を来し駄目になり隣接桑畑では養蚕が出来なくなって来た。強い毒性のBHC、DDT,砒酸鉛、ドリン剤等で1番毒性の強い農薬のパラチオン散布園には赤色の紙のドクロのマークで危険を知らせていた。

りんごのボルドー液は石灰が硬まり吸水口から吸い込みが悪く混合剤の硫酸銅で手を紫にして薬液を溶かして散布していた。猛暑の中の散布は暑さと農薬の害で頭がクラクラするほどだった。高度経済成長時で地元でも様々な土方仕事があったが高価な農機具購入代金なので都会に出稼ぎで稼いでいた。いろんな都合で冬仕事外仕事に出られない農家は畜産で生計を立てていた。

我が家でも酪農をやって普通畑に家畜の飼料作物を作ったら珍しがられたり道楽者に見られていたりした。大抵の農家は家畜の餌は川原や畦草で朝食前の朝仕事で刈ったり、冬期間は残渣や大豆鞘、サツマイモの蔓のサイレージでまかなっていた。

高校に入学する前の春休みには畑の交換分合で区画整理の仕事に割り当て人足で出ていた。所処にある石塚を崩して道路の予定場所に2人1組でソリで運び、耕土の深い道路の予定地から土を運んで客土していた。みんな共同作業で賃金無しで希望や夢を追って頑張っていた。通行する農道や古い果樹園地を見る度当時の事が走馬燈のように浮かん来る。

その当時に植えたりんごの老木、今回の大雪で三つ叉に裂けたり倒木したりで思わぬ被害でがっかりする。園地にはまだ積雪があり雪解けが進むにつれて雪害が分かって来る。樹齢にも寿命があり改稙するかどうするか判断に迷っている。

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