Mitarashi Diary

「ミタラシ流」日記!こだわる所はこだわりたい。

心の赴くままに

2016-11-07 18:30:15 | 悩む(>_<)
7月22日、母が久しぶりに出かけられそうな体調だったので、イオンへ。その時、仕事で一点、頭に引っかかることがあって。今考えれば、全然大した事ではないんだけど、イオンにいる間中、そのことが気になり、気持ちがどんどん沈んでいった。最終的にはお腹も痛くなり始め、周りのお客さんを見ながら「この人達何が楽しいんだろ?」とさえ思っていた。でもそのことを母には言えず、「せっかく久しぶりに来たのにテンション低いね。」と言われながら家に帰った。家に着くとものすごい疲労感が私を襲い、横たわっていると「そんなに疲れるなら行かな良かったね。」と言われ、どんどん呼吸が苦しくなっていった。初めての過呼吸。

去年の1月、母と山鹿温泉から帰ってこられなくなってから母と二人で出かけたのはこの時が初めてだった。過呼吸になりながら母に心配されればされるほど涙が流れた。本当は母と二人で出かけることが怖いこと、自分の将来の不安、自分の障害の進行に対する不安。そこでさんざん吐き出した。母は「二人で色々考えてこれからは楽しく生きていこうよ。」そう言ってくれた。自分の中で納得したつもりだったけれど、次の日になっても自分の感情はおさまらなかった。久しぶりに出かけたのに母に成功体験をさせてあげられなかった気持ち、「とにかく出かけたくない。出かけたら昨日みたいに嫌なことが起きる。去年のディズニーも本当は行きたくなかった。」私は泣き続けた。

それから1週間後、母が通う心療内科へ。事前のペーパーチェックをしながら「あんまり良くない状態だろうな。」と悟る。先生に呼ばれ、色んな話をした。母と出かけることが怖いこと、自分の存在価値が見いだせなくて生きているのが時々嫌になること、そんな事を話していたら泣き出すことを止められなかった。初対面の人の前で号泣したのは人生初の経験だった。「不安も大きいみたいだし、うつの数値も結構高いからお薬を飲みましょう。長年頑張ってきたから・・・。」

お薬と2週に1回のカウンセリングで1ヶ月も経たないうちにかなり状態は良くなり、安定剤を飲みながらだったけど、ディズニーにも行けた。その反面、人にうつだと打ち明けて自分が病気を再認識することがまたつらくもあった。母には私の通院という仕事も増え、心苦しくもある。そして、私がカウンセリングに行っては自分の考えたことや病気のことを母に話すから、先週母も少しつらくなったようで「もうちょっと考えんようにしてみたら。」と言われた。半ばキレられて私がまたそれに落ち込んでいたら、「私のことも少し大きい心で受け止めてよ。」と言われた(苦笑)

障害が自分の体に染みついているようには、まだうつのことを受け止めきれていない。だから母に話すんだろうけど、そうすれば二人ともがずっと病気について考えていることになる。それは私にとっても良くないことだし、母にとってもつらい。母にキレられて(笑)、ちょっと悟った気がする。「病気を受け入れることは大事だけど、あまり縛られすぎてはいけない。」と。どうすれば治るのかなんて考えたって、今は誰にも分からないんだから。まぁでもそれでも心が揺れ動くのがこの病気なんだろうけど。

薬の副作用で昼間でも眠くなる時があって、正直寝ちゃったりする時もあるけど今は少し流れに身を任せてみようと思っています。不安が現れては消え、現れては消えの毎日ですが、仕事もしているし夜も眠れています(安定剤服用)。ずーっとブログを書く気が起こらなかったのだけど、なんか心が動いたので書いてみました。もうすぐまた一つ年を重ねます。今年、自分の身にこんな事が起こるとは思っていなかったけれど、今までできなかった「焦らずゆっくり」生きてみようと思います(*^_^*)