風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

当たり前が出来ない

2017-03-18 00:36:59 | 日々の生活
 どうでもいいことだが、一昨日、舌の先端を三針縫った。昨日はともかく、ちょっとはマシになった今日も喋り辛く、当たり前のことが出来ないもどかしさを感じている。
 半年ほど前、間を置かずして二度ほど、したたかに舌を噛んだら、舌の先端に小粒のしこり(変質した固い突起物)が出来てしまった。取ろうと思って、歯でいじり過ぎると痛みが出て、取れそうで取れず、だからと言ってどこに行けばよいのかも分からず、放ったらかしにしていたのだが、最近、歯科医にかかったとき、悪性にはならないが大きくなるかも知れないから取った方がよいと勧められ、なるほど口腔外科は歯科医だったと納得し、メスを入れてもらった。麻酔をして、切り取って、血が止まるのを確認するまで、30分とかからないが、念のため切り取った部分を顕微鏡で検査すると言われて、自己負担1万3千円と、たかが舌を噛んだくらいで、随分な出費になって自己嫌悪、である。齢を取ると、手足の指先だったり、舌先だったり、タイミングが合わずに、ぶつけて蹴躓いたり爪を割ったり、噛んだり、と、神経が行き届かないと言うべきか、意識に身体の動きがついて行かないと言うべきか、哀しいかな、一種の老いの現象なのだろう。
 それにしても、メスを入れながら、麻酔が切れたら食事しても問題ないと言われ、一日三回食後に化膿止めの薬を5日間飲み切るように言われているが、普通に食事が出来るのだから、口腔は丈夫なものである。
 舌は、喋るときだけでなく、食後に歯間に詰まった飯粒や食べ物カスを落とすときにも無意識に、また唾を吐くときにも、活躍していることに、今更ながら気が付いた。たまにはこうした不自由を味わうと、有難みが分かっていい、などと慰めているのだが。
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