風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

現状維持ということ

2016-07-16 11:42:55 | 時事放談
 昨日の日経朝刊・経済教室で、田中直毅氏が、先の参議院選挙が安倍政権にとって4回連続の国政選挙勝利となったことの要因を分析する中で、米国におけるトランプ旋風やEUの混迷など「現状維持」が揺らぐ事象が、日本での「現状維持」機運に繋がった可能性が高いと述べておられた。
 確かに、トランプ氏こそ地政学上の最大のリスクと、いろいろなシンポジウムで米国の外交専門家が得意のジョークで会場を沸かせるように、トランプ氏の過激な発言はアメリカ国民だけでなく世界中を、とりわけ日本のような同盟国を当惑させる事態に至っているし、英国のEU離脱を決した国民投票後には後悔も見られ、英国ひいてはドミノ現象を見せた場合のEUの将来にも不透明感という不安な影を投げかけて、いずれも「現状」からの「変化」を求める(求めた)米・英の民意が、人々の心情をざわつかせている。日本人としても他人事ではなく、「現状」を否定したときの混乱を忌避したい潜在的な思いが、2009年の政権交代後に起こった悪夢の記憶とないまぜになって、安倍政権にとって政権信任に有利な追い風となったことも想像されるのだが、その時の「現状」とは何かが問題になる。
 メディアは事前の投票予想で、改憲勢力が三分の二を突破する勢いなどと盛んに報じて牽制した。もし、あれほど安保法制論議に反発した民意が改憲ではなく現憲法の「現状」維持を望むなら、メディア予想を打ち消す(言い換えるとメディアが密かに期待した)投票行動を見せてもおかしくなかったが、そうならなかった。ということは、いまだ庶民には成果を実感できないとされる経済政策や、現実路線に舵を切った外交政策といった「現状」に賛成票が投じられたということだろう。実は私もそうだった。
 現状維持(status quo)という概念は、調べてみると、かつては戦争のもつ法的効力と結び付けられて、領土主権は、占領軍の撤退後、開戦前の状態に復帰されるべきか、終戦後の状態にこそ国際法上の拘束力があるとみなすべきか、といった文脈で論じられてきたとある。国際政治学の泰斗ハンス・モーゲンソーはかつて「国際政治とは、他のあらゆる政治と同様に、権力闘争である」と指摘した上で、「3つの基本的なパターンに政治現象を区分する。つまり力を維持する現状維持政策、力を増大する帝国主義政策、そして力を誇示する威信政策だ」と、今となってはやや単純化されているきらいはあるが分かり易く論じた。もはや帝国主義が歴史となってしまった現代にあっては、クリミア半島や南シナ海で力による「現状」を変更しようとする試みが盛んに牽制された(る)のも、また核拡散の取組みにおいて核保有5ヶ国とそれ以外の国の地位が固定化されるのは不当との声を抑えて、イスラエルやインドやパキスタンや北朝鮮のような例外はあるものの、イラン核開発には圧力がかかり、何とか秩序が維持されているのも、ひとえに警察権がない国際社会にあって「現状」というものの持つ意味合いが、一国内で感じられる以上に重要であるからに他ならず、bestではないもののsecond bestとして尊重する人類の知恵と言うべきかも知れない。
 この「現状維持」は、一国内にあっても、違う意味合いにおいて重要になっているのは、米・英を見るまでもない。
 私たち(高度成長や市場の拡大を知る)企業人が「現状維持が精いっぱい」などとネガティブなイメージで捉えがちなのは、右肩上がりに成長して当たり前、成長戦略こそ是とするやや古いタイプの、そして常に投資収益の最大化に余念がない機関投資家に煽られた、強迫観念に囚われているからに他ならない。むしろ、社会が複雑化し、かつての産業の境界があいまいになって競合が激化する中でも、事業構成を入れ替えたり費用構造を見直すなど、やりくりしながら企業として「現状」レベルの売上を維持し続けることは、十分な評価に値するものと考えるべきだと思う。むしろ成長という外形ではなく、景気後退でも落ち込まないような、変化に強い、単なる高品質にとどまらない競争力ある高収益のクオリティ事業を生み出し続ける揺るぎない企業文化を醸成し維持するような、内実の充実こそ重要ではないかと思う。
 同様に、政治も、変化する社会情勢の中で、所得再分配機能を通して社会に安定をもたらすことを目的とするならば、高度成長の頃は、右肩上がりに税収も増えて、地方に還流させることで日本全国津々浦々に豊かさを実感させ、社会を安定させられる、幸せな時代に過ぎなかったのであって、利益誘導の政治力は必要でも真の意味での政治力は必要なかっただろう。しかし今はそうは行かない。失われた20年(20数年)に政治も漂流して来たのは、故なしとはしないのであって、まさにこうした時こそ政治力の真価が問われるのだろう。参議院選挙での与党圧勝は、難しい時代の舵取りに、決して民主党政権時代のように迷走することなく、まがりなりにも前向きに挑戦し続ける安倍政権の「現状」への一定の評価を意味するのだろう。
 先の田中直毅氏の論文では、「現状維持」にも二つの不安があるとして、社会保障制度の持続性を維持することと、国際的な秩序形成に具体的な貢献を行うことの二点における、政治空間の充実を課題として挙げておられた。「現状維持」と言っても、国際政治の文脈の如く関係を固定化するのではなく、企業同様、内実を見ていく必要があるということだろう。恐らく安倍さんが目指しているであろう(そして私も支持するものだが)普通の国家としての自主防衛も、強い経済や安定した財政があってのことであり、今は憲法改正のタイミングを計るよりも、先ずは経済や財政政策に注力すべきだろう。自らを律して国力を蓄え、環境の変化を待つというのは、国際政治の文脈で見れば立派な「現状維持」政策だと思う。
 「現状維持」の言葉にもっと肯定的な評価を与えるべきであり、その中で、何を守り、何を変えるかを考えることこそ重要ではないか・・・古いタイプの一企業人として、つい「現状維持」という言葉に反応してしまった。
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