My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

ビジネスとアカデミアの二つの大きな違い

2011-01-16 10:05:55 | 8. 文化論&心理学

先週書いた記事、私が人生の進路変更をした本当の理由-My Life After MIT Sloanにはたくさんの反響を頂いた。
そのコメント欄で、@uranometree さんから以下の質問を頂いた。

Lilacさんはアカデミックからビジネス界へ転身した際に、特有の苦労をされたのではないかと思います。転身した時に感じたギャップや教訓などあったら教えてほしいと思います。

私の経験では、二つほど、非常に大きなギャップを感じたことがある。

1) ビジネスでは、アカデミアで必要とされるほど、分析などへの精度へのこだわりが無い。
ある程度検証されていれば、スピードや実行を確実にする、のがずっと大切。

これは駆け出しの頃に気づいたこと。

アカデミアの世界では、大体の仮説の方向性が正しいと検証されていても、細かい問題点などで矛盾が無いか、非常に精度の高いところまで確かめる。
世界中で複数の研究グループが世界で競いあって、お互いを重箱の隅まで突きあうから、
自分たちが正しい結果を出している、と言うには、それに対抗できるだけの高い精度が不可欠だ。

一方、ビジネスは、戦略の方向性が正しいことが分かれば、それを実行して、儲けにつながればよい。
初期段階での精度より、戦略を実現するための組織を作るとか、競合に負けないスピードでやる方が遥かに結果に影響するため、精度にこだわりが無い。(もちろん企業文化にもよる。規制産業ほど精度にこだわる傾向)

コンサルタントの駆け出しの頃は、アナリストという分析担当をやる。
自社や市場、競合などの分析などを通じて、戦略が正しいかなどを検証する仕事で、一見アカデミアの仕事に似ている。
ところがアカデミアと同じ考え方・習慣でやると失敗する。

例えば、新規事業で、黒字化はいつ可能かなどを検証するエコノミクスモデルを作るとき、
必要以上に細かいレベルまで要素を考えて、時間がかかり、かつ実際にビジネスをやるクライアントが使いにくいモデルを作ってしまうとか。
マーケティングで市場サーベイを作るとき、分析の精度を高めようとするあまり、非常に細かい質問を大量に作り、回答率が大幅に落ちてしまうとか。

こういうことは、分析の精度を上げる目的は何か、どのレベルまで精度を上げれば目的は達成されるのか、ということを常々考えるようになると、この問題は克服されてくる。

「80:20(エイティ・トウェンティ)」という言葉がある。
80%の結果を得るためには、全体の20%の労力ですむが、残り20%を正確にやろうとすると、残り80%の労力が必要となる。
だから、最初の80%の成果を、労力の20%で勝ち取り、あとの80%の力はそれを実行するほうにかけるべきだ、ということ。

2) ビジネスのほうがアカデミアより「人をどうモチベートして結果を導くか」というところにより敏感。人のやる気を上げ、どうやったら気持ちよく動いてもらえるかに非常に労力を割く。

結局、ビジネスの世界では、一人が出来ても何の意味も無く、周囲が動いてくれないと何も出来ないし、何も実行されない。
新しい技術を一人で開発しても、それを売ってくれる人がいないと会社は儲からない。
従って、いかに他の人に動いてもらうか、というところに非常に大きな労力を割く。

また、人の発揮できる能力って、その人にやる気があるか、気持ちよく動ける環境があるか、だけで圧倒的に違ってくる。
特に若い人ほど、自分でやる気や環境をコントロールすることに慣れておらず、
チームの環境をどう設計するかでパフォーマンスが10倍くらい違う。

一方、アカデミアでは、(私の経験と印象論だが)人のやる気やモチベーションに気を配り、労力を使っている人は、ビジネスで生きてる人に比べると多くはなかった。
まず、「正しければ、人は動く」と信じている人の割合が多いように感じた。
実際には、正しいだけでは人は動かないのだが、そのあたりには力を使わない。
かつ「アカデミアを目指す以上、誰もがやる気があるのは当然」と考えていることが多く、やる気が落ちたときの助け舟が圧倒的に少なかった。

私がコンサルタントを始めて、チームメンバーの指導などをするようになった最初の頃は、「コンサルタントはプロなんだから、自分でやる気を醸成して当然」と思っていた。
アカデミアの頃の考え方のままだったのだ。
だから、チームメンバーのやる気や環境をうまく整えることには、あまり力を割かなかった。
最初から能力のある器用な人は問題が無かったが、すべての人がそうとは限らず、いくつか大きな失敗をした、と思う。
いろんな経験を経て、今では圧倒的に人のやる気や環境に気を配る人になった。
一度作った目標や方法論に固執せず、人が力を発揮するためには、柔軟に目標や方法論を変える、というやり方を取るようになったし、そもそもそういうことにこだわらなくなった。

もっともアカデミアにもいろんな方がいる。
私がMITにいたときの指導教官は、人のやる気をどう上げるか、を常に考えている人だった。
こんな逸話もある。
チームの人を活かすということ-My Life After MIT Sloan
チームの力を最大限発揮させるためには、研究テーマすら変えればよいという考え方。

以上、自分のつたない経験に基づいて違いを書いてみた。
アカデミアに長いこといると、ビジネスの世界と確かに価値観や考え方が違うところで、躓くことがある。
けれど、「違う」ことに気づいて、それが何故か理由を探索すれば、何がベストなのかが理解できるようになるし、自分を変えることが出来る。
このあたりはアカデミアらしい習慣なので、感謝、なのかもしれない。

←面白かったら、クリックで応援してください!



最新の画像もっと見る

9 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (fennel)
2011-01-16 11:19:04
Lilacさんのポスト、いつも勉強になります。

今回の記事でご紹介されていた「チームの人を活かすということ」という過去のポストも拝見いたしました。

これまでの記事では書ききれないぐらいの数多くの修羅場をくぐってこられたのではないかと推察いたします。

もしよければ、これまでに効果のあった「人のやる気や環境に気を配る」具体的な方法やノウハウのエピソードをご紹介いただけないでしょうか?
習慣の違い (agrist)
2011-01-16 13:20:08
私は逆にビジネスからアカデミアに転向しました。

組織論としての考え方が違うなと思っていたので、参考になりました。
先に組織としてこうあるべきだではなく、このメンバーで何が出来るかという発想の両方が活かせるように何かできないか考えていきたいです。
Unknown (アカデミアです)
2011-01-16 18:35:52
アカデミアとコンサルタントは同じ業種ではなく、(アカデミア)=(コンサルタント)+(事業会社・製造業)だと思っています。

1)「分析の精度へのこだわり」

アカデミアも、研究開始時点の分析精度は低くてもかまわないです。迅速に世の中の研究の流れをつかみ、テーマを設定します。その後、(予備的に)データを集め始めます。
予備的なデータ解析の結果から当初の仮説が否定されることもあり、新しい仮説を考え出して対応する必要があります(ここまでの精度はあまり問われない)。
 その後、仮説+予備データで、研究方針が決まると(ここまでは、コンサルタント的)、データの精度、解釈の矛盾が無いように精度を高めます。この精度を高める作業は、事業会社(製造業など)における製品精度向上、不良品発生率低下を目指す作業に似ていると思っています(割とドロ臭い作業が多いです)。

2)人のやる気
これは、アカデミアでは、気にしない人が多いですね。
基本的に個人作業ですし、他人に気を遣うよりも、分析精度を上げることに気を回しているからかもしれません。
この点は、あまり健全なことだとは思っていませんが。。。
コメント有難うございます。 (Lilac)
2011-01-16 20:30:49
@fennelさん
恐縮です。まだ人生経験も少なく、そんな修羅場はくぐってきていないと思います。

とはいえ、その数少ない経験の中で、何か役に立てそうなことがあれば、これから書いていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

@agristさん
コメント有難うございます。
「このメンバーで何が出来るかという発想」-これが私にはかつて根本的に欠けていました。
でも実際には「このメンバー」を最大限活用する方が全体として成果が出ることが多いんですよね。

@アカデミアですさん
有難うございます。
アカデミアにいらっしゃる方からのコメントは面白いです。
アカデミアもビジネスの世界も色々あるので、極端な一般論は難しいのだろうと思いつつ、あえて書いてみました。

>アカデミアも、研究開始時点の分析精度は低くてもかまわないです。迅速に世の中の研究の流れをつかみ、テーマを設定します。その後、(予備的に)データを集め始めます。

これは確かにおっしゃるとおりですよね。
予備的な分析で方向性が大体正しいかを確かめてから、中に入り込むべきというのはどの世界でも同じかもしれません。

>2)人のやる気
これは、アカデミアでは、気にしない人が多いですね。基本的に個人作業ですし、

そこが大きいのだろうなと。
結局、個人が論文を出せば、その個人は評価されること。「この人でなければ成果が出せない」というのは特にサイエンスの世界には存在しないので(でないと、再現性が無いことになり、困る)人の代替も利いてしまう。
結果として、たとえ研究グループでやっていたとしても、その大学院生、とかじゃなくてもいいんですよね、とどのつまり。
それが、個人をモチベートするところに繋がらないのかも、と思いました
はじめまして (J-san)
2011-01-16 22:29:16
私は学位取得と同時にビジネスしながらアカデミアしてます。

「おっ」

・・・と思ったらブログを拝読していたら1月9日の記事にさらに

「おおっ」

・・・と思い思わず書き込みしました。

私は幼少の頃「天文学者になる!」と高らかに宣言しましたが結局「微生物学者」になりました。

病気の母を抱える点でも何だか親近感を覚えました。

ビジネス始めて2年ちょっとですがアカデミアとビジネスの違いに強く同感しました。
今後とも頑張って下さい。
Unknown (Willy)
2011-01-17 05:07:25
多くの日本企業が新入社員の専門知識を重んじないのも、突き詰めれば、アカデミックで蓄積のある人材をビジネスに活かすノウハウが不足しているからかも知れませんね。
Unknown (m2)
2011-01-17 18:52:20
There is no bigger business than academia. Just look at the increasing number of people believing that get some value for their money, especially in Japanese universities undergraduate programs.Besides, the Japanese Ministry of Education seems to believe in that preposition since it has adopted a policy to attract as many foreign students as possible to save more than 800 Japanese universities and colleagues, instead of closing some of them.

On more serious note, such piece of analysis might pass in the business, but will be seriously laughed at for overgeneralizing, lack of coherent and interconnected data, to name few(and I get your observation is scientific in any way, just being pedant). Quite surprisingly, it comes form an employee of a consulting company, which owns its very existence to the academia.

Purpose and business of academia are quite different. For example, how would you have theoretical physics in any business but we need to rely on it in order to have then applied physics experiments

On a side note, motivation is an interesting issue, you might face only in places like Japan. Students of elite universities such as Tokyo U, Keio U, Kyoto U have four-year spring break and they could not be bothered to take any class seriously since they know the big companies will recruit them for their affiliation. Not such an issue anywhere else.

And btw MBA is anything else but academia, being at a master in finance program is, on other hand.

By the way, I am not trying to say academia rocks, business sucks, quite the opposite and they need each other.

Maybe, ........top of my head, personally, I believe the biggest difference is that academia allows failures, actually welcomes them due to the fact that people need to dream big and solve problems, as in business any failure might be punishable and result in a contract termination.

Then, in academia there is freedom to work on what you like and think as interesting. Very few people work what there hobby is in real business. Many workers, especially in industries such as finance and consulting, despise their work.

Then what? Arggh. Yeah, being in business especially in nice industries such as consulting you can accumulate some wealth much much faster than any academic.

Some specific difference for Japan, I believe, is that very few people take locally based academics seriously even in the business. The business might turn to supposedly better academics from abroad to give advice.

But, yeah, if you are an academic with a brilliant idea you might establish the next big consulting company, of course.


etc. but I won't bother you.

Cheers,
m2
低精度=嘘と感じてしまう人も (kiryu)
2011-01-17 20:25:12
PhDを取得して、コンサルとして働き始めるものです。そういう意味でビジネスとはどういうものか掴みかねている側面があるので、このような文章は大変有り難いです。

(1)については、勿論競合ラボの存在もありますが、他にも、「嘘をつきたくない・つくべきではない」という自律の部分もあると思います。私自身はいくら論理で正しいとは思っても、そこを目に見える形で示さないのが怖い、という気持ちを持つことがありました。このようなことを漏らす人も私の周りにはおります。これは、難度の高い実験を繰り返さなければいけないところでは、そもそも再現できる実験の回数に限りがあるからかな、と思っています。
ありがとうございます。 (@uranometree)
2011-01-17 23:28:50
前々エントリの僕の質問に答えていただき、ありがとうございます。

それまでは何となく
チームプレー(←ビジネス)と
個人競技(←アカデミア)の違いかなという程度に感じていました。


***
前々エントリ「私が人生の進路変更をした本当の理由」のほうで本文とあまり関係ない質問をコメント欄に書いてしまいましたが、詳しく教えていただいて感謝です。

ビジネス・アカデミア両方の実体験をお持ちの方に、是非この質問を聞いてみたかったのです。

僕個人としては
「正直、私はかなり時間が掛かりました。」(by Lilacさん 前々の記事のコメント欄)

という言葉、そして本エントリ最後の

「~理由を探索すれば、何がベストなのかが理解できるようになるし、自分を変えることが出来る。」

という言葉は勇気をもらったというか、心に沁みました・・と書くとちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、この手のギャップに悩んでいたので大変ありがたいです。

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。