Noosphere<精神圏>

進化の途上にある人間、これからどう発展するのか。

人類の内省と発展との関係

2017-05-13 18:23:48 | 精神エネルギー

人類の発展と内省との関係

日常にある生命の力

私たち人類が地球上に現われて、ここ数万年間の化石の調査では、肉体の機能に関して認められるような変化はないとされています。しかし、ここ数千年の歴史や社会の変化をみると、人類は目覚しく進歩して私たちの生活は大幅に改善されています。そして人々の集団は、初期の小さな血縁集団から、民族、国家あるいはグローバル企業などに多様化して、大きな集団を形成しています。現代では民族や国家の枠さえも越えて、人々が地球規模で交流している事実があるので、地球という惑星規模に向かって、人類が集約しつつある状況なのかもしれません。遠い過去に生きた生物の化石を分析する研究では、生命種の形態変化を地質時代という数百万年もの長い間隔で分類しています。しかし人類がなした発展は、数千年間という短い期間であり、個人の寿命を数十年としても、たかだか世代が百回交代した程度で、かなり急激な変化があります。このわずか数千年で、人類は急速に人口を増やし、地球の表面を隈なく席巻してその足跡を刻み、さらに月に降り立って地球の全景写真を撮ったことを、どう考えたらよいのでしょうか。

この理由の1つとして、人類は高度な脳を持ったことが言われていて、私たちは頭でいろいろと考え状況を判断して行動しています。そして探究心や冒険心を持って発明や発見に夢中になり、何かものすごいことを見つけたいという気持ちを持っています。また集団になって自分たちを優位にしたい欲求が起こり、相手の集団と競争して勝利を指向するようになります。現代では技術開発の競争が軍事設備を始め各分野で行われていて、その集団は物質的な富の拡張を目指した組織が主流になっています。そこで国家やグループどうしで争うことが結果的には切磋琢磨を促し、全体の技術を進歩させたといわれます。まるで摩擦で生じた熱のまわりに巻き込みが起こり、それが新しい状況を生み出しているかのように、人類はまず争い事によって摩擦を作り出し、そこで生じた苦難を乗り越えて集束し、新たな組織へと変化するという方法で前進しているかのようです。

初期には大気と水と岩石の大陸だけの惑星で、気温や気圧の変化ぐらいしかないはずだった地球に、生命が誕生した途端に大きな動きが生じて、微生物、植物、昆虫、大型動物など多彩な変化のある景観になったと想像できます。人類が現われてからは、地球上に人工物の痕跡を多く残し、今では人類が地球環境に大きな影響を及ぼすようになっています。現代の人々は便利な生活用具で氾濫した暮らしになって、電気や車やインターネットなどに囲まれていて、人類は我が物顔で地球の表面を占有しています。しかし、このような状況までになったのは、生命が初期の段階から人間までに積み重さなる成長の経過があり、生物たちはたとえ大災害があっても生き続けることに固執して、しかも有利な方に変異して前進へと駆り立てる力があって、これらの力がいつも生命に働いていたのではないでしょうか。すべて生きている物質には、前進して生きようとする意識があって、もちろん人間のようにそれが自覚された意識にはなっていませんが、この意識によって生を維持し上昇していく力が生じているのではないかと考えます。

この生きようとする意識というのは、生命物質を中心化して1つの生体組織にまとめているもので、その初期の段階では組織の活性化を維持し増殖することに集中していますが、この意識は次第に神経系を発達させ大脳を形成し、知的な生命体というように成長しています。人類になって自己の意識を明確に自覚するようになり、本能からの欲求だけでなく、自分の考えで自由に行動できるようになっています。さらに大脳の発達によって思考の連携が複雑になり、創造する行動への欲求が新たに起こってきています。そして仲間が集まって集団で協同して行動すると、目に見える成果が得られるので、人類は組織としてまとまった集団を形成してきた経過がありました。そこに個人における意識の成長があり、それが集団との連携でより発展するというプロセスがあって、このプロセスが人間の行動を活性化する基本にあったことになります。集団となって競い合うということでは、2千5百年ほど前の時代に、仏陀や孔子やソクラテスなど賢者たちが多く現れて、その発想や考え方が現代においても私たちに多くの感化を与えている例があります。特定の時代に多くの賢者たちが現れたのは、その当時に知識集団がグループごとに競い合って、多様な個性が磨かれる環境があったからと言われています。この切磋琢磨する環境のなかで優れた頭脳が形成され、その優れた思想は現代にも意味を持っているので、頭脳のレベルではあまり進歩がないようにも思えます。

しかし、一般大衆の生活はどうだったのでしょうか。その時代の集落での暮らしと現代人の衣食住を比較すれば、生活の質ということでは現代の方が遥かに良いと推定できます。今では大衆の語学や教育のレベルは高くなり、交流する範囲は大きく広がって、今や私たちは地球の反対側に暮らす人々のことを知っているし、実際に多くの一般の人たちが世界中を交流しています。そして私たちが得ている知識として、私たちの地球とは太陽系の惑星の1つであって、そこに生命が発生して進化したことを理解しています。そして地球はあらゆる生物を巻き込んだ、1つの「環境システム」を構成していると、私たちは捉えるようになっています。このように私たちの意識が変化したことは、生命が培ってきた意識が上昇する動きによって、私たちの内に成果が積み上げられて、未来へ上昇していく動きなのではないでしょうか。

人類の進歩というときに、それが最先端の技術とか理論だけでなく、人類という知的生命体において、実質的にその大多数の精神に上昇があって始めて、人類における進歩に本質的な成果があったことになります。人類にとって大部分を占めている領域を「大衆」という言葉で表現すると、人類に進歩があるとするには、大衆の精神においてその上昇が反映されるということではないでしょうか。生物の遺伝では種に固定された形質が遺伝子に残されるように、知的生命の人間にとっては、精神の形質(あるいは傾向)が大衆のレベルにまで反映されてこそ、人類に固定され遺伝されると予測されます。現代の私たちの生活では、社会の仕組みが複雑になり、多くのことを考えて対処する必要に迫られています。その情報が増えるだけでなく、ますます複雑になっていくので、現代人の精神の程度は確かに新石器時代の集落の人たちよりも進歩しているはずです。

 

1.人間社会はどうして急速な発展をしたのか

大自然に溶け込んで血縁集団の中で行動していた人類が、どうして数万年という短い間に、地球を占有するほどの優位な状況を確立して、かつ地球環境さえも変えてしまうまでになったのでしょうか。それも、ここ数百年くらいで急激な発展があります。確かに私たちは知性を持った生命体として、他の生命種に比較して優位であるという説明だけで納得してしまいそうです。しかし、もう少し考えてみたいと思います。人間は言語を駆使し思考する頭脳を持っていて、その個体としての能力だけでなく、人と人が言語を通して、考え方や感情などの多くの情報を集団のなかで交流しています。たとえば、誰かが試行錯誤を重ねて成果を上げれば、すぐに共有され、役に立つ道具の発明や発見があると、それが集団で共有されるだけでなく、さらに広い領域に拡張されます。すでに何千年も前から、人間は季節の移り変わりを予測し、食料に適した農作物を作り出し、生活の苦悩を少しずつ改善させ、暮らしを安定させる工夫をしていて、それが世界中に広がっています。

私たち人間は、いままでの動物たちと違って、過去の経験の痕跡を記憶に留めるだけでなく、いろいろ関連した経験や結果と結びつけて、あれこれ考えることをします。あの時はどうだったとか、今度はどうしようとか、どういう結果が予測できるかなどと考えて、いろいろと考えを巡らします。この考え巡らす能力について、ここでは単に「思考する」というよりも、「内省する」という言葉で表したいと思います。当初の人類は、類人猿や前人類からの歩みを進める経過で、内省を磨いて自分たちの優位を確保する努力に集中し、その成果があって主流になったのではないでしょうか。人間は自分があれこれ考えていること自体を意識することができるので、まわりの状況や環境を考えながら、他人と意見を交換して、目的に向かって最も良い行動を決めることができます。そして本能的な欲望だけに囚われず、自分のやるべきことや責任の範囲を理解して、成功させようとする動機と情熱を持って行動します。そして知らないことやわからないことに対して、探究したいとか冒険したい気持ちが起こって、知らない世界を究めようとします。

社会の慣習とか生活の知恵として残ってきたことは、私たちの祖先が体験したことや観察したことを、いろいろと考え巡らした末に、そうしたほうが良いという経験の積み重ねです。未来に起こることを予測して対応方法を考え、それが当たるかはずれるかの試行錯誤によって、新たな発見があれば修正され、少しずつ改善してきた経験が積み重さなっています。つまり、人類は好奇心や探究心があって、どんな対応がよいかと内省を繰り返し、そこに新たな創造としての発明や発見が追加され、さらにその情報が集団に広がっていることになります。つまり、考え巡らす探究心が先に向かっていく原動力になっていて、これを支えているのは人間が内省することになります。いったん役に立つ発明や発見があると、そこに適応や応用の経験が重なり、さらに発明や発見が繰り返されて、その繰り返しの速度が段々速くなってきたということではないでしょうか。

 

2.人との連携と集約

生命体は個々に生きる意識を持っていて、そこに中心化しているので、生きている間は自己の存在を維持し、自己を中心として活性化をつづけています。その上、人間は自己を自覚しているので、自己を中心とする意識を持ちながら、他人をも意識することができます。集団の中での経験を重ねると、自分が単独ですべてをこなすよりも、仲間と行動するほうが、生活を維持するのに効率的なのは明白だし、他人が自分より良いものを持っていれば、それを真似したり教わったりして、自分も手に入れることができます。仲間が増えてくれば集団の中で役割を分担して行動するようになります。集団が大きくなれば、情報を共有する方法が効率化されて、徐々に組織化されるようになっていきます。個々にある体格や性格などの違いによって、そうした役割に適した特性などが強調され、特徴的な差別化が生じることになります。そこが個性となって個人の評価や識別の指標となり、集団に対する貢献度などで分類や階層化が起こって組織は多様化していきます。その多様な人々の集まった環境のなかで、個人に取り巻く摩擦に対抗しながら、個人は自己を磨いて個性を伸ばしてきたことになります。

一方、自分はやりたくないとか気が向かない気持ちになり、倦怠感や怠惰の気持ちに支配されて行動を起こさないこともあります。それが個人としてだけの行動であれば、怠惰にまかせて敢えて行動をしないこともできます。しかし集団のなかで仲間と連携しているとすれば、多少のことは我慢してやらないわけにはいかないでしょう。集団の中の関係では、互いが牽制するとか競争しあうという状況が生じるので、否応でも自分の義務とか責任が生じます。そうした人間どうしの連携や反抗などの関係が、自己を磨く経験として蓄積されます。人間が内省する能力は、このような集団の組織での多様な経験のなかで培われていきます。集団内で個人の内省が集まり、そこでの競争とか摩擦を越えて全体に集約して発展すれば、より効率的で組織的な新しい創造へと導かれます。個人が単独で精神を上昇させようとすると、山にこもって修行する僧のように、困難や苦悩が伴うと予想されますが、普通の人間は集団のなかで仲間と苦労を共にすることで精神を上昇させていることになります。仲間と協調することが自己を抑えることになり、それが全体を集約させることで成果が出れば、そこで共有された達成感や充実感は個人を超えた大きな喜びとなって残ります。このプラスの感情が仲間と協調することを推進していきます。

人間は古い時代から集団となって仲間と協力することで成果を重ねてきています。集団のなかでは、自分個人を高めようとする気持ちと、皆と協力していこうとする気持ちが拮抗して、反発心がおこり反抗行動になることがあります。しかし、反発や反抗が集団のなかで自分の評価が低いことから生じたのであれば、もっと努力しようと向上心への動機となります。そして、結びつきが深まった関係にあれば、互いに思いやりや励まし合うようになるはずです。たとえ失敗して悔やむことがあっても経験の1つであり、まわりの反応や先人たちの経験を知って、プラスの感情に切り替えることができます。現状に満足できない気持ちがあるからこそ、より良くしようと内省する動機が生じます。また、集団の全体が上昇する気運にあれば、倦怠に向かう気持ちが抑えられ、上昇しようとする雰囲気にのまれて何とかしようと考えることになります。そこで個人の内省は、徐々に集団の内省に集約して、それが組織をより複雑にして発展します。この傾向は人間の集団にいつもあって、集団の組織が大きく複雑になるにつれて、私たちの内面の領域も複雑になって成長します。現状では、人類の未来を考えて模索する集団行動が、まだ部分的な領域に限られていて、物質的な富とかお金の動きで中心化されていて、利己的な集団が主流になっている状況にも思えますが、地球の精神が前進する動きは、止まらず続いているはずです。いずれにせよ、人間があれこれ考えを巡らして集団の中で行動してきたことが、人間の精神の領域を創造し成長させてきたと思えます。

 

3.生命の上昇がめざすもの

ここで、生命進化が人類にまで至った経過を全体として考えみると、人類においてはその意識が閾値を超えて「段階的な上昇」を達成した、ということに注目したいと思います。この段階的な上昇とは、人類という二足歩行して大脳が適切に発達した種において、内省と呼ぶ思考形態が現れて、地球のすべての生命種に対し優位を確保したことを意味します。それまでの生命種の進化の経過では、科学的にはまだ不確定な何らかの機能によって遺伝情報が蓄積され、それが偶然の制御のもとにあっても、結局のところ知的生命体に到ったということになります。これは現代の私たちから遡って考えると、それが必然と思える方向に収束したということではないでしょうか。進化の経過にある遺伝情報は、いったん何らの閾値に達して確定されると、種の中に固定され蓄積されます。人類において重要に思えるのは、それが外面的な形態や機能ではなく、大脳の神経線維の内面において「内省する機能」が選択され固定されたことです。言い換えれば、生命が人間になったとき、進化の経過で必然のように現れた内省の機能によって、進化のエネルギーが内面化に転じたということです。

人類が登場する前までは、生命の上昇は「生きる意識」が、形態や機能をまわりの環境に適合させるように、複雑にしてきた段階でした。しかし人間の段階になると、大脳が発達して言語や思考に対応できるようになり、自己の意識を自覚して内面化へ向かう道を踏み始めたということです。この意味で、人類は多様な動物種の1つというより、生命として全く「新しい種」として出発しています。そうであるからこそ、私たちが新しい種になった意識として、地球という環境を観察し開拓して、人類以前の種が占有していた地球の領域を、そっくり自分の「新しい空間」に置き換えて、人類の独壇場として拡張しています。つまり、人類は解剖学的な骨格や形態を拡張する進化ではなく、その流れが内面に向うという転換があったということです。それゆえに、この段階が終着点というのではなく、内面に向いた生命の新しい道が、人類から始まったことになります。ここに内面に向かわせるような宇宙の本質的とも思える力が働いていて、その流れにそって内面化の動きが起こったように思えます。

この内面に向かった転換という意味は、人間における内省の能力が、まず自己の意識を自覚して、まわりのことと自分とがどのように作用し合っているかを考え巡らし、自分がどう行動するかを決めていることです。すなわちこれは自動的に、自身の未来を考え予測する能力を発展させていることになります。このことは、いわゆる自然における生物の本能という行動を越えて、人間の行動にはそこに自らの決める意志があって、それだからこそ「動機」や「情熱」を持って、それを強めていくという現象になっています。言い換えると、人間の内面に精神のエネルギーが生じて、行動を起こしていることになり、まさに私たち自身が「決定する」方向に、生命として新しい出発を始めていることになります。

すなわち人類では内省する空間という領域が創造され、そこに精神のエネルギーが生じていて、人間の意識のなかのすべてのものが自由な考え中で広がり、日々に何かが創造されていて、これが宇宙の新しい空間の始まりになっています。この空間は人類の先に開かれている、まったく新しいものであって、これは精神の空間ともいえるものです。しかも同時に、それはすべての人間の精神が集約して収束していく方向を持っていて、最大が構造的に人類の精神の最大数で制限された空間です。そして、その収束が全体に達した時に、理論的に人類の精神が惑星そのものとして1つの単位になると予想されるものです。

 

4.まとめ

私たちが生命の足跡を考えるとき、生命の本質あるいは生命原理として、以下のような一連の事実を前提として考えられるのではないでしょうか。

1つ目として、自然現象のなかに生命が活性化する現象、つまり自己を複製して増殖する物質が現れたとき、まさにそのとき、この宇宙はそれが出現する機会を許したという事実があります。これは宇宙に生命が存在していることでわかります。

2つ目に、生命の現象において、その生命体ができる限り活性化を継続させ、望ましい方向に変異しようとする力を持っていることです。古生物学による化石の分析では、生物が世代の交代を繰り返すうちに複雑になる変異があったのは確実なことです。擬人的に言えば、生命には自己を維持する意識があって、生を継続させようとする強い意志を持ち、生き残りに有利な方向に変異して複雑さを追加し意識を上昇させようとしています。

3つ目に、細胞が活性化している現象は、ミクロのレベルで観察すると、その緻密な完成度に私たちは驚かされますが、これはまったく化学的に原子や分子からなる現象の連続であって、物質やエネルギーの交換の動き以上のものではありません。すなわち、その物質の動きや反応そのものは、宇宙にある物質の通常のプロセスであって、生命の現象を起こす特定の物質とか何かがあって、それが起因しているわけではありません。

このような事実から予想される範囲で生命プロセスを考えて見ましょう。まず、この宇宙の物質は集合していく傾向があって、多くの物質が集合すると、その中心が活性化する現象が起こります。しかし時間の経過によって、ある限界点で衰退や崩壊が起こり、構成されていた物質が中心への力を失って拡散します。このような循環が宇宙において繰り返しているように思えます。しかし、どこかで生命物質が発生し活性化すると、それは生命特有の意識を持ち始めて、その意識は活性化を維持するとともに、機能を複雑化して不可逆的に上昇し知的生命体に至ることになります。知的生命体に向かう生命は、その活性化を外面的な複雑化ではなく、内面に向かって精神や心という領域を開拓し始めます。そして、生命は不可逆的に内面を深めて精神の領域が複雑になるように上昇していきます。究極には、その精神は生命を育んだ惑星という単位に集約して、そこでまた新たな活性化をしていくのではないでしょうか。この地球レベルの精神へと集約していくまとまりを、テイヤールは精神圏(Noosphere)と呼んでいます。

いずれにしても、生命が進化してきたという事実について、物質が複雑化する方向へ動くことが、それが本来ある方向として経験的に決められているかのようです。それがあたかも宇宙的なプロセスであるかのように、物理化学の法則と融合しながら現れているように見えます。そして生命が人間となったとき、進化の経過で必然のように現れた内省の能力によって、エネルギーが内面化に転じています。それは人間の行動における精神の力として、私たちを動かす「動機」とか「情熱」というものを感じることができ、将来このエネルギーが複雑に発展することが予想されます。ここに私たちに課せられた次の課題として、人間が未来に向けて精神を上昇していくために、その精神の力とかエネルギーを研究する必要があるということです。

集団どうしが優劣を争って圧倒的な勝利を得ようとするとき、あるいは相当に複雑で困難極まる製品を完成させようとするとき、人間たちの集団が目的を実現させるために、目的を追い求める情熱を持った強い意志のもとに組織を中心化させて、そのまわりに才能や技術を集約して、その精神エネルギーを高めようとするのではないでしょうか。そこで富とか名誉が直接の目的であったとしても、私たちが経験した経過を考えると、集団で内省を深めながら、より複雑な状況に対処してきたのではないでしょうか。この精神のエネルギーの高まりにおいて、集団のなかで考えを巡らし内省していく人間たちの経験は、脳の神経線維を鍛えて、将来に向かって蓄積され活用されるはずであり、直接の目的となる状況の栄枯盛衰とは無縁のものです。これは生命の目指す人間の未来が、物質的な物から得られる富とか技術によってではなく、精神が上昇する方向、より複雑に絡み合う状況に耐える方向にあるのではないかという示唆につながります。

何らの目的があって、そこに人類の全体を仲間にできるという信念が起こって、探求や冒険に対する熱意のような「確かな情熱」とともに、仲間たちと内省を積み重ねていく行動があります。そういった行動が多く起こってくると、そのなかで成果が継続できると期待される方向が見出されるはずです。しかし、もし物質的な富や技術の追求が限界に達して人類の熱意が失われ、自身の生活や生存の維持だけを考え、先にあるべき将来の人類への情熱が弱まってしまうのであれば、ここまで続いた生命のプロセスは挫折することになってしまいます。けれども、生命とはそんな簡単で単純なものであるはずがありません。

 

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