Noosphere<精神圏>

進化の途上にある人間、これからどう発展するのか。

宇宙と生命にある巻き込む動き

2016-10-08 00:03:34 | 生命と宇宙

宇宙と生命にある巻き込む動き

自分が生きていること実感することは、刻々と変わっていく変化のなかで充実を感じることです。まわりに知覚できる動きとか自分の中で何かが満たされるものを感じて、その動きが時間の経過という感覚に連携して生きている実感という情報になって意識されます。その変化は木の葉が揺れて見える景色とか耳に聞こえる風の音だけでなく、いつもどこかで何かが動いていて世の中が止まらずに変わっていくと意識することに拡張されます。つまり自分はじっと静止しているつもりでいても、まわりの世界に巻き込まれていて、生命としての無意識の動きと共に、その大きな動きの中に飲み込まれていると感じることではないでしょうか。

銀河の動きから生命の躍動まで、同じ時間を共有するあらゆるものが、その時間の流れとともに一緒に動いているということは、その共有している宇宙のあらゆるものが、その基本の振動あるいは共振の中にあって、私たちはそういう宇宙の巻き込みのなかに存在しているのではないでしょうか。この宇宙で生命が生じてそれが発展してきているということは、そこに宇宙の基本振動があって、それが生命の進化をもコントロールしているのかもしれません。その究極の仕組みは決して明確にできないことかも知れませんが、私たちの知覚に生じた現象から、いろいろ考えることはできると思います。

 

<宇宙の巻き込み>

太陽を中心として公転する惑星たちは太陽系というまとまりを構成していて、私たちの地球はその惑星たちの1つです。太陽系は天の川銀河と呼ばれる銀河系の中にあって、そこでは数多くの星たちがこの銀河系の腕になかに巻き込まれています。これらの太陽系や銀河系という構造は中心があって、そのまわりを多くの星たちが取り囲む形状になっています。天体物理学者の説明によれば、百何十億年も前に宇宙は混沌とした気体(ガス)の状態にあって、このほぼ同質的な「原初の混沌」に偶発的に不安定な領域がわずかに生じて、その濃い部分が中心となってまわりの部分を巻き込み、これがコアとなって星や銀河にまで発展したといわれます。その局所的に巻き込まれた集まりが巨大になると、ある限界で核融合を伴う爆発が起こります。この核融合の繰り返しで少しずつより高い序列の元素が生まれ、星間物質として宇宙に拡散していきます。それらの星間物質が局所的に中心に集まって星ができたと考えられています。そしてその数多くの星が集まると中心を生じて銀河を形成するようになり、そしていくつかの銀河が集まって超銀河となっていくという、より序列の高い集団になっていく仕組みが宇宙にあることになります。

物理学的にはエントロピー増大という法則によって、宇宙にも活性化した状況から静止した安定状態までに減じていく傾向があるかもしれませんが、現時点の宇宙は活性化にあって、中心へ集まって統合されていく傾向があります。長い期間をかけてバラバラな混沌の状態から物質どうしが集まって中心に向かって1つのまとまりとなり、そのまとまりがさらに上位のまとまりに統合された状態になっています。その経過の中で何らの爆発や崩壊があっても、そこで散らばった物質がさらに集合して、その中心に統合するように活性化する動きを繰り返しています。おそらく宇宙の物質には中心に引き付けられ集まって統合していくプロセスがあるのかもしれません。そうなると、この宇宙という領域には、物質を巻き込みながら「中心のあるまとまり」を形成し、そのまとまりが序列の高い方へ集約していく傾向があって、そこで崩壊したり吸収されたりを繰り返しながら、何らかの序列の高い構造を作っていく仕組みがあることになります。

 

<生命の巻き込み>

生命として活動している物質は、それを構成する多くの要素が1つにまとまって行動しています。1つの生命体では、すべての要素が同じ方向に動かなければバラバラになってしまいますので、その生命体はすべての要素を1つにまとめた統合体となっています。そうなると生命物質には何らかの「特別な中心」があって、その中心が全体をまとめているから行動できることになり、その中心となるものをここでは「意識」と呼びたいと思います。つまり生命体は、その意識を中心に1つの統合体に巻き込まれて行動しているのではないでしょうか。生命体も太陽系や銀河系のように中心があって、より高度な段階に上昇するという同じ傾向があるように思えます。つまり生命も生成と消滅を繰り返しながら、より高度に集約された状態へと上昇していく傾向があるのではないでしょうか。ここに宇宙全体を支配している同じ法則が作用していて、生命も生成と消滅を繰り返す活性化によって、より高い段階へと変化していく傾向があるのではないでしょうか。

生命物質は高度に組織された巻き込み構造になっていて、その組織化された構造は、原子核、原子、分子、細胞、そして細胞が集まった生物という段階ごとに連続しています。ここでは高い方の序列が低い序列の構造を壊すことなく包み込んで、1つ上の段階の組織になっています。ここで分子や原子の集まりから生命として発現する特別な特徴とは、分子などが集まって構成された複雑さの重なり合いが極端なまでに成長して生じた結果として表すことができるのではないでしょうか。この複雑さという意味は、かなり多数の要素が組み合わされて1つのまとまりとして組織化されていて、それらの連携が込み入っている程度のことです。つまり何億何兆もの数多くの分子や原子が集まって、それらが1つの統合体に組織化された結果において意識が生じていて、その複雑さの程度が生命という閾値を超えたことになります。

この生命が複雑さにおいて発現する「意識」についてもう少し説明する必要があるかもしれません。逆に考えれば、あらゆる物質はその素粒子レベル以下に意識の元となるものを含んでいて、それ自体の振動はあまりに小さくて感知できませんが、数多く集まって中心化されてくると発現すると考えます。それが数多く集まって中心に連携して組織化されて「中心化」されると生命として発現し、それが意識となって生命体の中心として統御するものになると考えます。生命体では低いレベルにある原子や分子が組み合わされて、高分子といわれるたんぱく質や酵素となって生体組織を構成しながら連携しています。自己増殖するといわれる物質では、その分子数は数百万をも超える数になると思われ、それらの分子どうしが連携して機能しています。この数多くの分子や原子が巻き込まれて1つの統合体になるには、全体を統合するように巻き込んで制御する機構が必要となります。つまり1つの生命体には、全体を包み込んで維持し、その生命の活性化を生み出す仕組みがあって、この仕組みとは生命体の「意識」が中心化していくことではないでしょうか。

 

<生命進化に織り込まれたもの>

生命体は進化という仕組みによって徐々に単細胞から高度な生命体へと機能を追加し複雑になってきています。生命体はその全体が1つになって刺激に反応をしていて、その全体を巻き込んで中心化された意識を持っています。進化とは生命体が複雑になっていく過程そのものであって、それが多様化しながら結局は人間にまで収束してきたことを考えると、その複雑になってきた足取りは、まさに意識が明確になっていく方向に進んできたのではないでしょうか。その生命体の構造を考えると、1つの生命体に統合されている状態では、その中の1つの細胞は栄養を取り入れて何らのエネルギーに換え、老廃物を排出するという仕組みを持ちながら、それらの細胞が分化して、皮膚や内臓や感覚器官あるいは神経系などの機能に専門化しています。例えば必要な外界の情報をより正確に掴むために感覚器官を生み出してその知覚からの情報に反応して行動したり、体内の循環やバランスを取る仕組みを自動化したり、大脳を形成して記憶や思考を生み出しています。これは生命体を中心化している意識というものが、周囲や自己の状況を受け取って前進すべき方向を選択してきたことであり、この過程は意識をより明確にしていく試行錯誤のプロセスであって、意識がそれ自身で上昇してきたことになります。

この意識を明確にしていくということは、生命体自身の生存を優位にするために、ある部分を追加したり強化したりして、複雑さを増加させていることです。そして体内の血管やホルモンあるいは免疫系や神経系を自動化して調節する仕組みを追加し、さらに高等な生物では中枢神経系を発達させ脳の機構と連携させています。これらの生命体は多くの細胞を巻き込んで、多様な機能が連携して集約され、まったく複雑としか言いようのない状況で統制された構造になっています。その結果人間において思考や言語を生じさせて、意識に新たな複雑さを追加しています。このような見方をすると、生命は進化によって外形や形態とか物質的な機能を拡張してきただけでなく、生命それ自身が意識を上昇させて「内面的」と呼ばれる機能も活性化して複雑にしてきたことになります。そして、この内面を充実してきた動きは、ゆっくりした時間の経過とともに、あらゆる生命体を経過した複雑さの積み重ねによって、超複雑な組織までになった人間という成果を生じています。つまり「私たち」人間は、かなり複雑な組織が重なり合う微妙なバランスの上に、1つの統合体として意識が明確になった段階にあるということになります。

 

<内省にある巻き込み>

結局のところ、その中心として意識をもつ生命が進化する動きにおいて、人間は現時点で最も複雑な生命体ということができます。二足歩行によって大脳を大型化して記憶や思考を発達させ、2本の手が自由に使えることから道具を発明し、喉や舌の構造を言語に適応させ仲間と集団を作って仕事を効率よく分担できるようになりました。そして、人間が心理学的に他の生物と区別されるとき、人間は自分自身を自覚している「意識」を獲得した段階にあるといわれます。動物は知ることはできると思われますが、人間には自分が知ることを知っているという明確な意識があります。人間はこの明確な意識によって記憶や思考を組み合わせて、あれこれと考えることができるので、この統合していく能力をここでは「内省」という言葉で表わします。この人間が内省するという能力は、選択の自由、未来の予見、計画して実行するなどの多くの能力の基になっているものです。

内省するということは、人間がある目的を実現しようとして、その目的に関わるあらゆる状況の記憶をもとにして、それと連携する考えを巡らして実現や解決を図ろうとすることです。ある行動の記憶を単に次の同じ機会に利用するだけでなく、いろいろ経験した記憶を引き出して、そのときの自分の感情や感覚あるいは他人の考えなどの関連することを巻き込みながら方策を考えることです。そのときの人間は自分があれこれ考えていること自体を意識しており、まわりの状況や環境に合わせて自分の取るべき行動を決めています。そして本能的な行動だけに囚われず、自分の思いや欲望あるいは信念を満足させるようとする動機や情熱を持って行動しています。人間が内省するということは、その個人において内省とともに経験が内面的に折り込まれていき、それが個人の個性に積み重ねられていくことです。

 

<社会の巻き込み>

人間が集団となって何かをなそうとするとき、その目的を同じくする人たちが集団となって一緒に内省し、それが収束して結合が強くなると確かな成果があるのは知られています。これはスポーツでの団結の勝利や会社の会議において成果を出すときなどで言われています。つまり個人の内省が集団に拡張され、その連携がより複雑になって個人を超えた内省に統合されたことになります。個人としての人間に起こった内省の巻き込みが集団に発展して、その全体がそれぞれの個性を生かしながら上昇する働きをするようになります。

そのとき内省の巻き込みとは人間が単に集まっているだけでなく、その個人どうしが目的により強く集約して連携しています。その互いが集約する集合が、単なる集合以上の新たな特性が引き出されるということは、全体の行動として1つの統合された意識になっているとも考えられます。そうすると、目的を同じくする個人が集まって連携し組織をなすことは、生命体との類推で考えると、人間個人の1つ上位の階層として見ることができます。組織全体の動きの中で、個人がその一部として全体と関連をもって行動しで、組織に貢献するとともに組織としての成果を共有して、その恩恵を受けるという相互関係を持つことになるからです。その結果として、その集団の意識に影響されて個々の意識がより成長して、その能力や個性が高められることになります。

人類は社会の成長と共に技術革新を進め、現代では情報の氾濫と世界情勢の混乱も相まって、人々の内省に巻き込まれてくる複雑さが増しています。そしてその個人が集団に置かれると、それらの関連がもっと複雑になって、集団全体の意識が多様な試行錯誤を迫られ、その成長には何らかの束縛が強いられることになります。しかし、社会という現象は、人間の必然によってその社会に巻き込まれているのであって、それを他に置き換えることもできないので、今後もずっと続くメカニズムであることははっきりしています。その社会がますます複雑になっていくのであれば、その人々も社会の動きと調和していくしかありません。人間個人から人間社会という意識の成長が、宇宙の「巻き込みの活性化」という基本的な動きの延長線上にあるならば、私たちは社会の動きが複雑になる状況を見極めて、それを前向きに考えていく必要があります。

 

<精神の巻き込み>

確かにこの宇宙には、巻き込みながら中心に収束する普遍的な動きがあるようです。その中心化する何らのエネルギーが生命において意識となり、それが進化によって中心に向かって活性化して複雑さを積み重ねて人間を誕生させています。この生命の活性化は意識を徐々に明確にしながら内省を誕生させ、単に生存を維持するだけでなく目的を実現させる動機や情熱となる精神を生じています。そして人間の知的欲求は、物質に対するものだけでなく、感情や心の動きにおいても生じていて、個人をより高めて個性化する働きをします。この物質的なものから離れた精神という領域を考えると、その発展は物質という物理的制限を超えて、尽きることなく活性化する可能性があります。個人の内省が仲間集団へと集約を広げ精神を形成しはじめると、その精神は中心からの範囲をより大きくしていきます。そして、人間が潜在的に巻き込まれている精神の全体性までに活性化するのではないでしょうか。この全体の精神として包み込むものを、ここでは「精神圏」と呼んでいますが、これはすなわち私たちの地球という惑星のまわりに形を作りつつある「人類としての巻き込み」のことであり、それは惑星規模の精神まで発展する全体システムの巻き込みを意味します。

私たちが地球という惑星において空間的にそして精神的に結びついていく動きのなかで、当初には反抗する分子があるとしても徐々に淘汰されて、この宇宙的ともいえる巻き込みの作用に取り込まれていくのではないでしょうか。結局のところ、この地球という惑星のを構成する要素として、その要素たちが精神圏の中にしっかりと一緒に包まれて、そこであらゆる人間たちの精神が混ざり合って、人類全体がそれ自身の豊富さと充実を求めて、地球の渦巻きの中に巻き込まれて統合していくように思えます。

 

<現状の不安>

しかし現状の世界の現れは、人間大衆を包み込んでいる社会に、技術の革新はあっても各種の情報が氾濫していて、何が本当で正しいことなのか、実際には何が起こっているのか迷うことが多いように思います。現代人にとって、このような世界の混乱状況は、急に差し迫った自然の災害のように、どう対処したらよいか不安になってしまいます。個人や社会のいずれでも醜いことや俗悪なこと、利己主義や隷属を強いる関係などがあって、個人の権利を抑圧する政府とか紛争による避難民の増加など不安材料に事欠きません。今の状況は皆が安心して暮らせる楽園には向かっていないようです。現代の人々は電子的な管理に埋もれてしまって、個人の権利を守れる避難場所がほとんどないような大きな渦の中に巻き込まれて、せっかく苦労して経験を積み重ねた、個性という自分の存在が無視され見失ってしまうのでしょうか。

私たちはこの不安な例を知っています。それは「生命の樹」で人間より先に出現した社会集団として、シロアリとか蟻や蜂などで観察されることです。そこにあるのは、社会集団のほとんどの要素が個性のない、いわば奴隷状態であって、その個性なき従属の苦悩さえにも気づけない集団の中に落ち込んでいく兆候が私たちにもあるのでしょうか。それがまさに人間大衆の運命として私たちを強制するのでしょうか。このような生命体の先例があるという証拠は私たちを狼狽させます。そうなると全体として巻き込んでいくメカニズムに反抗して、私たちの個人の生活を巻き込む社会から離れて、独自に自分自身を守って自分の個性を維持したい気持ちになります。けれども社会の巻き込む力が私たちの個々の生活にいつも働いているのに、その巻き込む圧力が緩くなる抜け道があるとかそれに逆らう方法があるのでしょうか。社会組織が電子化されて日常の情報さえ管理されつつある世の中で、私たちは敢えてこの巻き込む動きに反抗できるのでしょうか。

私たちが現代のプロセスの特徴として見えているのは、新しいテクノロジーによって社会が結ばれていく束縛されたネットワークであり、そこにある当初の光景では、社会の組織化の進行に伴い私たちの個人的な情報は把握され自由が制限されて機械の歯車のような部品となっていくこと以外は見えていないという苦悩があります。しかし、これだけが生命の一般法則であるわけがありません。この同じプロセスのなかで、私たち全体が組織として良い方向へと向かおうとする積極的な面も見出す必要があります。それでは私たちはどのようにしてそれを見出すことができるのでしょうか。

 

<結論として>

私たちが今経験している、人間社会の中に巻き込まれた状況に苦悩を感じるとき、そこに至った生命の流れはどうだったかを考えてみましょう。実際に私たちが出現する以前から、この宇宙で太陽系が誕生し、その惑星である地球に生命が生じて細胞となり、そして数々の試行錯誤の積み重ねがあって人間に至っています。人間が社会に巻き込まれているのは、宇宙的な巻き込みが複雑に重さなったプロセスそのものであることになります。生命の進化を考えると、生物の形状や機能など、まるで何らの意志がそこにあったかのような見事で卓越した作り込みを感じます。そこには前の段階のものを巻き込んで、それを次のものへの基礎として包み込んで、ゆっくりと複雑になる大きな流れがあって、機能を少しずつ追加しながら、より程度の高い生命組織へと上昇していくという一貫性があります。生命は一旦足がかりを得たところではどこでも、宇宙的ともいえる粘り強さを持って、可能な限り持続して複雑さを上昇するプロセスを維持しているかのようです。

そこで、今の世の中を見てみると、まったくのところ機械化や組織化に従って束縛されるだけに見える背後には、生命の本質が進行し持続して「複雑化」するプロセスが重なっていることになります。私たちが生命として複雑になっていく流れにあるとすれば、それが必ずどこかで認められるはずであり、それを鍵として私たちの進歩につなげていく必要があります。たとえ「多くの群集の動き」が高い程度の複雑さで組織されているのではなく、まだ「群集の排他性や残忍性」の段階にあったとしても、それはまだ人間社会の組織として理想には遠いけれども、そこに複雑さが絡まる中に上昇があることを見出すべきです。利己的で過剰な組織化を強制されるような巻き込みがあれば、私たちは反抗することになります。それは私たち自身に跳ね返って貴重な「私個人」という部分を失うことになるからです。しかし、そこでも今の私たちはまだ状況を判断し選択できる個性を確保していて、自分自身が生きているという実感を持つことができ、未来の方向を考えることはできるはずです。

社会からの何らの要求があるとき、その活性化の方向が単に機械化の強制や本能的欲求からではなく、それが社会自身にとって十分魅力的であって適切に制御されているかを見極める必要があります。そしてその社会が単にその個人を識別するだけでなく、その本質として個人をより個性化しながら統合に向うものであることが必要です。それでこそ内省によって生じた精神によって互いが同意して一致できる全体が生じてくるのではないでしょうか。そして、私たちには宇宙のあらゆることを見極めようとする科学の精神は確かに続いています。そして現時点の成果として、あらゆる要素における物質の核心には、その中心に不確定性の存在があるということです。このことを発展させると、そこに今までと全く異なったものが潜在する可能性が予想され、そして旧来の科学では及びもつかない新しい魅力の芽がある可能性があります。

宇宙には巻き込む流れがあって、将来の地球の精神が組織的に巻き込まれる方向にあるとすれば、地球の過去の歴史とその生命が上昇してきた行動と選択を繰り返すメカニズムから、この世界の究極の見方やその見通しを立てて、その本質にある未来の姿を考えることが重要となってくるでしょう。それは魅力ある精神の環境を創造していこうとすることであり、行動への情熱となるものです。それがなくては人類自身が未来に進歩し続けることが不可能になってしまいます。そして生命進化ということが人類全体を巻き込んで統合することであり、そこに向けて現在の人類が飛躍していくのであれば、それは人間の意識がしっかりと互いに結びつく方向にあるもの、つまり思いやりとか愛の精神を育むものであることが予想されます。人類が進歩することがもっと複雑になることであれば、それを集約していく力強いエネルギーによって、結びつきが維持されることが必要なのではないでしょうか。

人類がもし何らの分岐点に立ったとするならば、その行くべき先を決定する必要に迫られます。そのとき、全体化する精神へと上昇する方向からすれば、人間性が統合されるという価値を積極的に評価する立場を取るべきであって、それが宇宙の巻き込む動きからは離脱していないということになります。それゆえ、新しい場面になっても、私たち生命としての「種の感覚」は再確認されることになります。そして私たちの先にある何らかの新しい「複雑性の空間」の内部には、必ず地球の精神が巻き込まれて統合していくという概念があるはずであり、私たちの後継者にとってもそれが一般的で有用なことであると予測するのはそんなに的外れではないと思います。

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