Noosphere<精神圏>

進化の途上にある人間、これからどう発展するのか。

生命の動きが意味するもの

2017-04-22 21:25:53 | 生命のエネルギー

生命の動きが意味するもの

はじめに

宇宙の動きが話題になるとき、星の規則的な回転運動が思い浮かび、おおよそ定常的な軌道が保たれて静かで落ち着いたものという印象があります。しかし私たちの地球という惑星に、生命という物質が活発な活動をしていて、その多様な生命物質は拡散して惑星表面に広がっています。そこでは全体が生態系というシステムを構成して、基本要素となる物質や食料連鎖などの循環のなかで複雑に絡み合っています。この動きは単に物質が移動するだけでなく、また単独の種だけが維持されているのでもなく、生命物質やそうでない物質の全体が連携のなかで維持されていて、微生物、植物、動物などの多くの種の全体が、バランスを保って継続している動きになっています。

これらの生命物質は長い時間をかけて、微小な単一細胞の生物から知的生命までに発展したと考えられています。そして1つの細胞だけで構成された単純な生物から、何兆もの数多くの細胞で構成された生命体があって、そこで私たち人間はまさに考えられないほど複雑な組織で構成され、いろいろな機能によって体内のバランスが維持されています。そして地球の生態系のなかで、知的生命体である人間は、その頂点にあって生態系を観察して分析できるので、その環境の保全についての責任とそれを努力する使命があるはずです。人間個人としての生命は誕生から死亡という短い期間で交代を繰り返し、その世代によっては状況が悪化したり何らの誤りもあったりするでしょうが、そこで経験し蓄積されたことは、進歩が続く流れの起伏となって、生命が活性化する動きがずっと続いています。

古き時代から私たちは好奇心から対象を観察して、それは何かと知りたいという動機を持って探求する行動をします。その結果の良し悪しは別にして、知的な生命体としての人間は、飽くなき探求心によって科学技術を発達させています。知性を持ったことで好奇心が生じて、知りたいという意識を持って行動を起こそうとすることは、そこに精神としての力あるいはエネルギーが生じて、その人を実際に動かす行動になっています。私たちの心には、このような精神の力とかエネルギーがあって、この力は生命の基本にある活性化の動きと関連しているのではないでしょうか。

しかし、ここで注意しておきたいのは、生命が長い期間をかけて知的生命となった意識の経過において、その感覚器官で受容された神経信号のデータが脳の神経線維の組み合わせとして認識されていて、関連した記憶も含めて脳でパターン化されたものが観察の対象になっているに過ぎないということです。すなわち観察することは、個人の「生きる意識」が試行錯誤して発展させた認識パターンの集大成なのであり、実際の対象を純粋に客観化したものではない可能性があります。科学がより一層進歩していくには、私たち自身の意識とか精神について探求することも必要でしょう。科学の対象が客観的に検証可能であっても、その基礎には多くの前提条件があって観測していることになるので、もっと謙虚になって、自分自身にある脳とか意識での認識ということを自覚して、それを含めた広い視野で考えるべきではないでしょうか。

 

1.生命の基本的な動き

生命体には、その生物を1つのまとまりとして統御している「生きる意識」があって、個体が生きているという活性化した状態を維持する力の源として、生命の活動を維持し支えています。簡単に考えれば、「生きている」ということは、栄養を摂取してエネルギーに変えて体内の循環を維持し、その寿命が尽きるまで活動を続けることを意味しています。これを言い換えると、生体組織は「生きる意識」において中心化されて、そこに引き付ける力が生じていて、1つの生命として活性化する循環システムを維持していることです。しかし単に生存を維持するだけではなく、前向きに進もうとする動機が起こってくるのは何故でしょうか。すべての「生きる意識」には、より有利な状態になろうとする意志の力が内在しているようです。生命物質が活性化している状態では、現状の生体システムを維持するとともに、機能の進歩や意識の上昇への試行錯誤のエネルギーが秘められていて、「生きる意識」に常に働いて、それが何らの閾値を超えると、実際に変異となって要素の組み換えや機能追加が行われるのではないでしょうか。

生命物質である細胞について考えてみると、細胞膜の内側が水で満たされていて、たんぱく質や脂質などが混さり合って、閉じた1つのシステムとなっています。単に核や細胞質があってミトコンドリアなどの要素が集まっただけではなく、その要素がシステムのまとまりのなかで機能していて、その絡み合うネットワークで要素物質の交換が有効に機能し、その役割が組織化されています。その細胞組織は、液体である水を媒質とした交換システムを構成していて、濃度や圧力による交換や酵素によるエネルギー循環などが統制されて機能し、そのシステムの全体が活性化している動きがあります。一方では、私たちは生命物質に進化という現象があることを知っていて、長い時間の経過とともに個々の機能が複雑な状態へと発展しています。個々の生命体にある要素が集約して組織を形成すると、その形状や特性が遺伝子に情報化され、それが時間の経過に伴って変異して、より高度な機能を有した生命体として現われます。生命進化の主流にある状況は、個々の要素の集まりが上位の組織の1つの要素になり、その上位の組織が更に上位のシステムの1部になることが繰返される構造になっていて、上位の組織になるほど新たな機能が追加されて複雑な構造となり、まるで「生きる意識」が自身の意識を上昇させるために、変異を繰返して試行錯誤する実験をしながら、その上昇する方向を模索しているかのようです。時間の経過において「生命の樹」で図式されるように、人類を頂点として生命が主流と支流に分かれて変化したことが事実であれば、ここに働いている上昇する力は、進歩すべき方向があって、それに引かれているように思えます。

その生命についての傾向として、種がいったん成熟段階になると、いろいろな形で集団化されて、大きな統合体のようになるということが、しばしば観察されることがあります。例えば、魚や鳥たちの集団や昆虫とか草食動物が多く集まった状況では、1つの統合された集団の行動が観察されています。言い換えれば、生命種が成熟に達したケースで、個体を超えて種自身が確立されるような状況が見られます。これを単純に現在の人類に当てはめると、昨今のインターネットの発達という現象には、そこには様々な考えがあって精神が交流しているということを見ていると、私たちには種として精神が統合されていく傾向が起こってきているように感じられます。ここに何らかの生物学的な決定論が働いていのかもしれません。

 

2.生命が人間へと導いた道

このような生命の動きが現時点で止まったという証拠はどこにもないので、何十億年以上も続いた動きは現在進行形であるはずです。現在も生命がより大きなシステム組織に含まれていく変化の道を進んでいるとすれば、その動きは組織内の関連や絡み合いが少しずつ複雑になるように進む方向となります。そこで、物質の組織化が集約してかなり複雑な状況になってくると、その組織内に新たな内部性が現われて、各機能が独自に形成され組み合わされて、さらに複雑な組織へと発展しています。その動きが生命という複雑で活性化した物質を最初に誕生させた基本にあったとも思えます。生命が複雑な組織を指向して大脳を形成し、思考する機能を獲得して精神という領域に発展しています。これは、もっとダイナミックな変異の可能性が、そこにあるということではないでしょうか。そこには、生命が複雑な方にもっと前進していこうとする、執念のようなものがあるように思います。生命の活性化とは単に生を継続するだけでなく、より上昇して複雑になっていく動きがあって、それが現代の人類にも続いているのではないでしょうか。私たちの心の奥には、より高い段階の未来に向かおうとする、心の動きあるいは精神の傾向があって、数々の困難を克服して充実した経験を次の世代につないでいく流れにあると感じます。

生物の進化で学習したように、生物種の個体が、自然の脅威や外敵に対抗できる機能を追加して試行錯誤した結果として、生存を有利にした個体が種を維持しています。そして機能が追加されると構造が複雑になり、その複雑な構造を統御するために神経系を発達させて脳中枢を形成しています。現時点では大脳という神経線維の複雑な集合体を発達させて、人類という知的生命体に至って、思考し内省する機能を獲得し、その集団が徐々に組織化されて、人類全体として新しい創造が続けられています。古生物学上での種の流れを見ると、特定の期間に爆発的な突然変異が起こっていて、その多くの変異に何らかの粗悪品があれば自然にふるい落とされて消滅していきます。そして、その変異において生き残りの闘いに勝利した種が維持されるという、明確な特徴があります。生物に起こった突然変異には、明らかに2つの精神的な力が仮定できます。これは異なる2つの方向のことであり、先に向かうものと同種に向うものです。先に向くものは、その生命体に複雑な組織が現れる方向に引かれていて、「生きる意識」の程度がより上昇する方向に生じます。同種に向いたものは、環境への適応や外敵との競争力を持つ方向になり、その生命体での完成した形態に向かうことになります。そこで、人間以前の生物では、より高度に発達した動物が集団行動をする場合、「種の維持」が優先されて、個体における自己を意識する傾向が現れません。しかし、人類が出現する直前の段階において、新しい特別な個人、つまり自己を意識する個人が生じているはずです。それが少しずつ増えて、その同胞の中で彼らは共に一緒に連携し、互いに関連しあうことで、自己を自覚する能力を獲得したはずです。ここでは種の生き残りが主要な方向ではなく、個々の意識が集まって共通の意識を創造することに変化しています。生命の向かう先が複雑な組織であるとすると、この複雑さは知性を獲得する方向に向かったということです。

 

3.知的生命の動き

人間はその知性によって、自己を自覚することができます。周囲を観察して刺激や反応を情報として蓄えるだけでなく、分類したり分析したりして創造し改善するなどの処理行動をしています。最初は個人で始まった創造が、集団を構成するようになると、知性が集約して全体として協調して全体が充実する方に向かう動きとなっていきます。知的生命体となった人類には、行動に影響する2つの興味深い変化があることに気づきます。1つには人間の意識が高い段階になったことで、単に刺激と反応の組み合わせを記憶するだけでなく、あれこれ考え巡らして内省して、何かを創造したり、改善したり、また心の豊さを追及するようになったことです。個々に持つこの特性は、遺伝によっては直接伝達されない価値を個人の中に増加させていて、人間という種では個人の特徴を明確な個性として識別できるという絶対的な特徴となっています。これは人類という新しい種に芽生えた特徴であり、この個性が人々に拡張されて集団のなかで集約されるはずなので、これから先の人類において、それぞれの個性の集約が組織化される必然性があります。

もう1つは集団として協調することによって、新しい価値を生じていることです。私たち個人は元々不平等であって、生まれながらに能力の差や貧富の差などがあります。私たちは自分の優位を確保したい欲望があって、自分を他人から区別して差別したい感情を持ちます。つまり、自己を中心に考えて、自分が優位に生きる状態を維持しようとします。この自己を支えている「生きる意識」の本能によって、他人を滅して自己の保全を図る方向になることもあります。しかしその個人が集団の1部を構成するようになると変化が起こります。数多くの要素が1つの閉じた組織内にあると、個々の要素は排他的にそれだけが優位となる動きをすることができません。その要素は集団に有効な特性において評価されるので、それぞれの個性が他人との関係において切磋琢磨することになります。個人が組織において機能していくには、その循環の流れに逆らわずに個性を生かせる存在が優遇されることになります。そして、集団の中に集約した多くの個性が、その軋みのなかで新たな価値を生み出していくことになります。ある個人とかグループだけが優位となる状況は、より大きな組織の1部となる経過において、発展的に解消していくはずです。

その集団はその組織の外部から観察すると特徴をもった1つのまとまりとして組織化されていきます。一般的に人間は個々には自由な生活をしているように見えても、集約した組織となったとき、その組織の効率や発展を望む方向に動きようになります。ここには集団に働く中心化する力に引かれる動きがあるように思えます。その中にある個々の人間要素においては、互いの精神どうしの摩擦が起こってきて、それに対抗しようして、自己の保全や個性を確立する気持ちとの間に緊張状態が急速に高まります。しかし、私たちは、そこで自ずと生じてくる「共有への衝動」の強まりを感じることになるはずです。この苦難を克服しながら経過することで、人間どうしの精神の間を絶縁していた壁が打ち破られて、もっと親密になっていくことが予想されます。今でも親密な間柄の人たちには、「あうんの呼吸」という言葉で象徴されるテレパシーのような現象がありますが、そのような状況が広がっていくはずです。そこで必要なのは互いの能動的な「思いやり」ということになるでしょう。私たちを構成する原子や分子たちの間で引き合う力がかなり強いものであるならば、人間を大きな分子たちとしてみれば、その間で引き合う力も同じように強いと期待できるのではないでしょうか。

人間における生命の活性化とは、思考し内省する機能によって、より良いものを追求し、それを組み合わせてさらに新しいものを生み出すことなので、人間が集約して行動するとき、その基本的な特性として現在の状態を改善しようとする動きが生じてきます。この上昇に向かう傾向は、生命がより高等な生命体へと上昇する動きと同じものです。このことから、集団の全体として、より組織の大きな段階に発展する動きが予測できるのではないでしょうか。進歩とか上昇する方向に精神的に活性化する何らかの力があるとすれば、表面的には個人の暮らしが快適になるかどうかはともかく、全体としては精神が上昇していく力の動きとなって、方向が決められるでしょう。この人間の集団全体としての方向とは、組織の大部分を占める大衆の役割として課されていることです。

 

4.中心となる動きに向かって

宇宙の星座の写真を見ると、多くは中心に巻き込む渦巻きのような形になっています。大気の雲の動きとか海流の渦巻きのように圧力や温度の差が生じたところに渦を巻く動きが現われます。巻き込みながら中心に向かう動きにそって、物質が集合していく動きは、生物の集団にも類似の例を見ることができます。生命が活性化している個体の動きは、「生きる意識」によって中心化されて、全部の要素が1つの個体として行動しています。また生物の個体が集団化すると、その集団が個体を超えて一致した行動を示します。多くの数が集合することで、そこに何らかの力が働いて中心化され、まるで1つの生き物であるかのような統制された集団の行動を見ることができます。

人間が集団を構成する場合でも、一族の長老を中心に村の組織が形成され、民族や宗教などの集団では指導者を中心に巻き込む動きがあるかのように組織が形成されます。それに昨今では会社という集団が経済を支えていて、その社長や幹部が中心としてまとめていて、会社全体としての行動が決められています。現状の経済や政治の世界では、お金と物を循環させながら、物質的な価値観が主流となって富を作り出しているシステムになっているので、その富が中心の吸引力になって、物質的な豊かさがまず追求され、そこに属する人々が制御されていることになります。

私たちは、このような社会の中で暮らしていて、自分1人は独自に生きていると思っていても、周りに逆らってまで一人で生きることは意味がないとわかっています。なるべくなら波風をたてないように、迷惑をかけない範囲で、自分の責任において自己の行動をしています。この状況は個人が全体の動向に組織に巻き込まれて、大衆という1つの要素としての役割を演じている状態です。そうはいっても、嫌悪の感情というのが時々には他人との間に起こってきて、日常会話のなかで聞いていて我慢できないとか許せないなどと思うときがあります。そのときは他人に対してどうしても反発したい気持ちが起きます。この反発する力によって、相手を罵る言葉を言ったり書いたり、暴力の行動に出ることは日常によくあることです。しかし、そういう場合でも、人は人間関係のなかで生きていて価値観はそれぞれ違うと思えるし、人間として全体には逆らえない動きを感じて、それに納得して従うことになります。

しかし、人間の数が多くなってくると、それぞれが個性化して複雑な社会になるので、その多様な精神をもつ人々が集約するというときに、なかには利己主義に走って自分に富を集中させようとする個人やグループも出てくるでしょう。それでも幸いなことに現状ではとりあえず人類として崩壊には至らず現在を継続できています。結局のところ、大衆にとって物質的な富の価値観は心の充実を完成させることに寄与しない、つまりは人類という種にとって主流になる方向ではないことが、少しずつでも浸透し始めているように思えます。そして、現代の物質的な富の価値観が限界まで達して、それが崩壊する危機を乗り越えるという苦難を克服したときには、新たな試行錯誤の道が切り開かれるはずです。

そうなれば、大部分の人々の心に、互いに引き合う力が生じて、もっと信頼しあうようになり、相手の個性を尊重して自分の個性を磨く仲間を増やしていくでしょう。そういった人々の精神は嫌悪の感情に支配されることなく、地球上で活性化している全生命を思いやり、大きな地球の循環のなかで未来の方向を模索していくでしょう。そこで大衆の精神を中心に引き付ける力が生じて、そこに渦を巻いて上昇する力が起きてくるのは期待できることです。それは私たちを超えた新人類としての現れです。

 

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