一燈照隅

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靖国に祈る米国青年

2005年07月22日 | 靖国神社
 「靖国に祈る米国青年」 昭和26年10月7日付朝日新聞
靖国神社に祀られている200万柱の“みたま”に、この5年半の間、国境を越えた祈りを捧げているアメリカ青年がある。
ニュージャージー州・・・、市の警察に勤めているマルコム・F・リード氏(27)で、かつての沖縄海戦で日本軍機と戦って戦死した米空軍少尉を兄にもつ人である。
『6日正午頃、くだんの靖国神社社務所へ世田谷区・・貿易会社員藤井正和君(24)が「また代理ですが・・・」とリード氏からの同神社宛の手紙と奉納金5ドル(講和お祝い分)を届けて身代わり参拝し、18,9両日の例大祭をひかえた同神社を感激させた。
藤井君の話によると、リード氏は現在、母親と二人暮らしで、勤めのかたわら「日本留学生招へい資金募集会」の幹事として活躍しているが、リード氏が日本を知ったのは、終戦後東京裁判の国際検事団付きとして日本へ来たとき。同氏の宿舎は港区芝白金二光町服部ハウスだったが、同氏はある日、ハウスの受付係だった藤井君に「日本の無名戦士の墓」に案内を頼み、靖国神社を訪れた。
しかしそのころの同神社は参拝者もまばらで、同氏も驚いて藤井君に「どこの国でも、祖国の犠牲者のために祈らなければ・・」と嘆いたという。
それ以来同氏は、暇あるごとに九段を訪れ、ニッポンの“みたま”たちに花束をささげ続け、23年春に帰米後も、絶えず藤井君に身代わり参拝を頼んできたのだった。「講和祝い」の5ドルとともにこの日同氏が神社に寄せた手紙には、こう書かれてあった。
靖国神社にねむる“みたま”たちの大きな犠牲が忘れられるなら、それは日本の悲劇だ。なんとなれば、独立してゆく日本の将来は、悲しみと栄光をもつ過去の上に打ち樹てざるを得ないからだ。日本の皆さん、どうか“みたま”へ祈りをー なおリード氏は広島の戦災孤児を留学させて面倒を見ており、藤井君には東京で「プラス・クラブ」(向上し合う会)を青年学生間で作って修養し合うことをすすめ、そのすぐれたメンバーを将来留学させる計画だという。』


終戦後間もない頃から敵国でも御霊に花を捧げる行為。 この事が今の多くの日本人に理解されないようになっています。 胸を張って堂々と参拝すればいいのです。