ほんのかたり~蓮月庵~

本を読むこと・本に触れること、そして本のある場所が大好きな私が、本についてあれこれ語る場所です。

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ミザリー / スティーヴン ・ キング著

2005-04-17 13:02:35 | 読んだ本

“ 蛙の子は蛙 ”


私が ホラー好き な理由は、つまりそういうことなのである。



蛙、すなわち私の父は、怖い物好きな人であった。
テレビの 洋画劇場 などでも、ホラー映画を好んで観た。

「 子どもは寝る時間!」 と、テレビの前から追い立てられてしまう時刻から始まる、
“ 吸血鬼ドラキュラ ” や “ フランケンシュタイン ” を、
私はいつも 1センチだけ開けた襖の隙間 から 盗み見 していたものだった。



時は流れ、 某レンタルビデオ店の会員になった私は、広い店内のどのジャンルより、
「ホラー」 と書かれた棚の前にいる時間が最も長い、という
世間一般的に見て ちょっとアブナイ人?! になっていた。

ちなみに私が好きなのはあくまでも ホラー であり、どろべちゃな すぷらったー ではない。
悪しからず。



さて、私がまだ “ 覗き見世代 ” だった頃、一本のすばらしいホラー映画を観た記憶がある。

スティーヴン・キングのデビュー小説を原作にした、
「 キャリー 」 である。


冴えない少女・キャリーは学校でも苛められ、
家庭においても母親の 異常な規律 に縛られる日々を送っていた。

ある日、キャリーを笑いものにしようとたくらむクラスメイトが 残酷な計画 を思いつく。
その計画により、幸せの頂点からどん底へ突き落とされたキャリーはすべてに絶望し、すべてを呪い
目覚めた力 ( 念動能力 ) を使って 復讐 を始める・・・



おそろしくも美しく、そして悲しい物語だった。



“ king of horror ” と 称される彼の作品に興味は持ったものの、
当時の私にとってホラーとは 読むもの ではなく、あくまでも “ 観て楽しむ物 ” でしかなかった。

そこで、期待わくわく借りて観たのが 「 ミザリー 」 だったわけだが・・・


賛否両論あるとは思うが、私にはこれ、少しも面白くなかったのだ。
あまりにもつまらなすぎて頭に来て、


「 これは本当に、こんなつまらない筋書きなのか否か?!」


そのことを ど~~~しても 確かめたくなってしまい、書店にて 「 ミザリー 」 を買い求めた。
それが 活字 で見る “ キング作品 ” との 出会い だったわけだ。


売れっ子作家 ポール・シェルダンは、雪道で自動車事故を起こしたところを、
元看護師だという女性 アニー に救われる。
「 あなたのナンバーワン読者 」 を名乗るアニーは、次第に狂気の片鱗を見せ始め、
半身不随となったポールを監禁し “ 自分のためだけの小説 ” を書くように迫る・・・



一言で言うなら “ おっかない話 ” である。

哀れなポールはこのあと これでもか! というくらい酷い目に遭うこととなる。
なるほど、これはちょっと映像化できまい。



残虐なシーンを強調しろとは言わないが、映画と小説を比べると 怖さの重み が、まるで違う。

これだけのことをしたのに ケロっ としている。
あまつさえ、何事もなかったかのように無邪気に笑う・・・
そこが最も ゾォッ・・・ とさせられる部分なのだ。

悪意を悪意と認めず、むしろ正当化する。
世の常識がまるで通じないところにこそ、アニーの 本当の狂気 がある。



そしてそれとは反対に
 
“ もしも彼女がまともに成長 ( 中略 ) していたなら、
アニーがなっていたかもしれない女らしい姿を垣間見る時 ”
・・・

なんとも遣りきれない気持ちになるのはポールだけでなく、読者も同じであろう。


中途半端に恐ろしさだけを描かれると単なる 化け物 のように思われがちな アニー という女性に、
興味と同情と、そして 実在しそうなリアルさ をしっかりと与えている。

そういう基盤があってこその “ 怖さ ” なのである。



1990年 『 ミザリー 』 のハードカバー版が出版され、映画化や文庫化で多くの人の目に触れた。

その7年後に発売された、貴志祐介氏の著作 『 黒い家 』 に添えられたコピーには、
作中に登場する女性の狂気や残忍さに対し、

“ あの 『 ミザリー 』 を超えた! ”

というような書かれていた。


確かに十二分にインパクトのあるキャラクターではあったが、
“ 『 ミザリー 』 を超えた ” かどうかのコメントは割愛しよう。

ちなみにこの作品が発表された数年後、 和歌山カレー事件 が発覚し、
小説との類似性の多さで話題になったことがあった。



“ 事実は小説よりも奇なり ” ・・・


最も恐ろしいのは 架空の化け物 などではなく、
どこにでもいる人間、すぐそばにいるかもしれない誰か、なのだ。



事実が小説のショッキングさを追い越してしまった昨今、
残虐性ばかりをどんどんエスカレートさせている小説のなんと多いことか・・・。

目を背けさせてどうする。
目が離せないほどの怖さ、こそ 本物 なのではないだろうか?



アニー・ウィルクス・・・

彼女を超えるほどに 恐ろしくも遣りきれない女性 を、私は まだ 知らない。



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ホンバコ と わたし

2005-04-04 15:37:24 | ほんのあれこれ



カッチョ良く言えば “ 自由奔放 ”、現実的には “ 無節操 ”。
だけどとにかく 自分の好きなもの だけで成り立っている。

自慢できることなど一つもないが、満足だけは人一倍。
私だけが所有する、世界一ちいさなアミューズメントパーク でもある。


それが 私の ホンバコ。



ちなみに、なぜ “ 本棚 ” でなく “ ホンバコ ” かと言うと、個人的かつ勝手な解釈なのだが

始めから 書物を収納するために作られたもの → 本棚
多目的に作られた棚に本を収納している場合 → 本箱  と区別しており、

私のように安物のカラーボックス (でも! おしゃれな木目調なのよっ!) を利用している場合は、
さらに1ランク下という意味をこめて ホンバコ と安っぽく表現しているのである。


本が増えるに従い、カラーボックスや適当な飾り棚をどんどん積み上げていたために
なんとなく 在りし日の九龍城 のごとく入り組んでしまった、私のホンバコ・・・
それでも収まりきらず床に直置きされた本の山も、日々ちゃくちゃくと築かれつつある。

このような事態を重く見たわたくしは、まず、気になる本を手当たり次第に買ってしまう癖を改め、
何度も読み返し、いつまでも手元に残しておきたいと思えそうな本だけを選んで買うようにした。
もちろん百発百中ではないので 「 ハズれた・・・」 と思った場合は潔く古本屋へ売り飛ばす!
冷酷に冷徹に、そして無慈悲であれ!!


とはいえ、せっかくホンバコにお迎えしたものを手放すのは愉快なことではない。
そこで、ダメージを少しでも軽くするため、基本的に文庫化されてから買うようにしている。
以前も書いたが、ハードカバーで買った本がハズレだとショックがデカい。
( 主に金銭的ダメージがっ!)

かといって、アタリだった場合もそれはそれで、狭いホンバコ内で場所をとって困るのだ。

雑誌類も場所をとるため、いつか処分することを前提に買う。
処分する時は、未練がましく今一度読み返し、必要な部分だけ切り抜いてスクラップする。

雑誌や新聞の新刊紹介は必ず目を通し、気になる本の情報はこれまた切り抜いて保存する。
そして辛抱強く、お目当ての本が文庫化されるのを待つのだ。


この几帳面さ、いかにも “ 世間一般的A型人間のイメージ ” に当てはまるのではないだろうか?

あいにく(?)、わたくしはB型なのだが。



子どもの頃、親の手で整えられた 本棚 には “ 読むべき本 ” ばかりが並べられていた。
それはそれで 意味 があったと思うし、すべての本を 拒絶 していたわけでもない。

けれど私は “ 読むべき本 ” より “ 読みたい本 ” を選びたい。
知りたいこと、行きたい場所、見たいもの・・・ それらを教えてくれるような本を手にしたい。

自分で選んで自分で買った本を並べた時、初めてその ホンバコ は “ 私の場所 ” になった。
あれが私の、私なりの “ 自立心 ” の芽生えだったのだと思う。


つまり私にとって ホンバコ とは・・・



私だけが所有する 世界一ちいさなアミューズメントパーク、そして、

世界一ちいさな 王国 である。




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つむじ風食堂の夜 / 吉田篤弘著

2005-03-24 13:30:48 | 読んだ本
“ ジャケ買い ” という言葉がある。
ネット検索してみると、現在では主に CDジャケット に対して使われているらしい。


私の時代は LPレコード だったがなあ・・・ ぼそっ。

などと、さりげなく オソロシイ発言 をしてみたり (苦笑)



書籍に対しても同じくジャケ買い、もしくは “ 装幀買い ” という言葉が使われる。
いずれも、最も肝心な 中身 に関係なく、外見 に惹かれて購入してしまうことを指す。

私の場合、自分にこれを許せば 際限なく本は増え、財布は限りなくカラッポ・・・という
壊滅的状況が待ち受けていることは火を見るより明らかである。
それにやはり 本 とは読むもの・・・ 内容を まるっと無視 することなど出来ない。

なのでなんとか歯止めがかかっているのだ、 いまのところ。


表紙を見て 「 ををっ?!」 と心惹かれることがあっても、
ぱらぱらぱら、まず冷静に数ページ立ち読みして確かめてから 買う・買わないの判断を下す。

内容が意にそぐわない場合は、これまた冷静に 表紙カバーの折り返し や 目次付近、
はたまた巻末の 著者略歴 のあたりをチェックする。
たいていはこのいずれかに、表紙を飾っている絵の作者や写真家の名前が記されているからである。
それを覚えておいて、今度はその人の画集や写真集を探すのだ。

本との付き合いは、実に味わい深く、奥も深い。
本から本へと渡り歩くこと、諸国を旅するの如し・・・




激しく脱線した。

つまり私の場合、いきなりジャケ買いというのはないが、ジャケ惚れ は多いにあるという話である。
そして、もうひとつ。

題名惚れ、というのがある。

その名の通り、作品のタイトルに心惹かれて (あるいは目を奪われて) 本を手に取るという現象である。
要するに、

“ クラウド・コレクター ”
“ すぐそこの遠い場所 ”   
“ らくだこぶ書房21世紀古書目録 ”

このようなタイトルを目にしては、とてもとても放ってはおけない性分なのだ!


さて、上記の3タイトルはすべて、クラフト・エヴィング商會 ( 詳しくはこちら ) の著作である。
作家・デザイナーという肩書きを持つ 吉田篤弘・浩美夫妻 の手による不可思議な世界を知ったきっかけが

“ つむじ風食堂の夜 ” だった。


否応なしに興味を掻き立てられるタイトルはもとより、
シンプルなのに目を惹き付ける装幀がまた、すばらしい。

真っ黒な表紙の真ん中あたりに真っ白な文字でタイトルが、ライトグレーで作者名が記されている。
そしてそれより上、表紙を 夜空 にたとえるならば天高いところに ぽつん、とひとつ
クリームイエローの星・・・ただそれだけ。

それでは裏表紙は? というと、こちらはひたすら 真っ白 なのである。
つまり前から見れば “ 黒い本 ”、後ろから見れば “ 白い本 ”。

実はこれ、この物語の 登場人物(?) に関係している。
一気に読み終え、パタンと本を閉じたときに初めてその 「仕掛け」 に気付き、

クゥ~っ!なんて心憎い演出だろう!

机といわず膝といわず、とにかくビシバシ叩きたい気持ちになったのを覚えている。



舞台は月舟町。
その町の、常に小さな つむじ風 が起こっている十字路の角には
「 名無しの食堂 」 を気取りたい あるじ の意に反して 「 つむじ風食堂 」 と呼ばれる食堂があり、
夜な夜な、ちょっと不思議な客たちが集っている。

“ 月舟アパート7階 ” とは名ばかりの 屋根裏部屋 に住み、
“ 雨を降らせる研究 ” をしている 「 私 」 もその一人である。

何の変哲もない万歩計に 「 どこか遠く 」 を思い描く帽子屋
主役になれず、常に眉間に しわ を寄せている舞台女優
いつか イルクーツク へ 星 を描きに行ってしまうかもしれない果物屋の主人

時に人と、時に過去と絡み合いながら、小さなつむじ風に巻かれるような日々は過ぎてゆく・・・




「 盛り上がり 」 や 「 落ち 」 が無いと言ってしまえば、無い。
しかし、月舟町 という夢現の狭間に存在するような、またはどこにも存在しないような場所で
毎日淡々と流れてゆく時間に、クライマックスや落ちを求めるほうが間違いだろう。

ただ、この町に当たり前のように吹いている 一陣のつむじ風 のように、月舟町を闊歩すれば良い。

どう見てもただの万歩計としか思えない 「 二重空間移動装置 」 をズボンのベルト止めに装着し、
大家さん的には存在しない 月舟アパートメント701号室 から続く急階段を注意深く降り、
水門のように向かい合う、二軒でありながら実は一軒である豆腐屋の間をすり抜けて、
夜の商店街唯一の灯りの下で本を読む、果物屋の若主人とあいさつを交わしたら・・・

目指す 「 つむじ風食堂 」 は、すぐそこ。
開店は午後6時、閉店時間は定まっておりません。
安食堂らしからぬ 小洒落たメニューブック から、さて今夜は何を注文しましょうか?



最後に、夢見る帽子屋・桜田さんのせりふの中から特に気に入ったものを、ひとつ。

「 どこか遠く。 それでいいんです。 決めない方が。 終わりのない方がね 」





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いさましいちびのトースター / トーマス・M・ディッシュ著

2005-03-18 11:50:10 | 読んだ本

一昨日、我が家の 掃除機 が壊れた。

正確に言うと、購入してからわずか2ヶ月頃から 破損 は始まっていた。
まず真っ先に、しゃれたカーブを描く握り手部分 ( エルゴグリップとか言うらしい ) にヒビが入り、
仕方なくガムテープで補修したもののとうとう折れて、電源が入らなくなったりした。
それでも騙し騙し使い続け、かれこれ4、5年は経過したであろう。

しかしとうとう “ その日 ” は やってきた。
普段と何ら変わらない朝、いつものように掃除機を使っていたところ・・・
突如、排気口から 強烈な刺激臭 を発すると共に、切ってもいない電源が勝手に切れ、
そのままウンともスンとも動かなくなった。

この状態を 「 壊れた 」 と言わずして何と言ったら良いだろう?
あのニオイから察するに、モーターが焼き切れたと見てまず間違いない。
近年まれに見る 見事な壊れっぷり ではなかろうか?! ←ちょっぴり自慢?

我が家の電化製品は基本的に、
「 もう無理っ!」 という状態まで使い込んでから買い換えるのがモットーである。
映らないテレビ、回らない洗濯機、とうとう最期には火を噴いた(!?)ドライヤー、などなど。

ここまで使われれば電化製品も本望だろう。
いや・・・あまりにも こき使われすぎて、いささか哀れに思えなくもないか ( 苦笑 )



さて、 『 いさましいちびのトースター 』 の話である。

とある森のそばに建つ素敵な夏別荘に、二年と五ヶ月と十三日放置されたままの電気器具たちは
「 このままではいつか壊れて動けなくなってしまう 」 そんな不安に駆られ、
自分たちの力で、都会に住む 旦那さま の元へ向かうことを決意する。

それは大変な危険を伴う旅だったが、リーダー格の旧型掃除機、古ぼけた電気毛布、
FMの受信出来ない時代遅れのラジオ、電球が100ワットに満たない卓上スタンド、
そして主人公である “ いさましいちびのトースター ” たち5台の電気器具は、
力と知恵を合わせて困難を乗り越え、とうとう懐かしい旦那さまの住むマンションへと辿り着く・・・



ここで 「 めでたしめでたし 」 であれば、単なるおとぎ話の域を出ないのだが、
5台の電気器具たちには、なかなかにシビアな現実が待ち受けている。

・・・まあ、結果的にはハッピーエンドを迎えることになるわけだが、
ここで一度辛い思いをしたからこそ、微笑ましいラストを心から喜べると言えるだろう。
よしっ!私ももっと、物を大切に使おう! などと純粋に( 単純に?)思えちゃうわけである。

近年では、壊れるまで使われる電化製品など まれ だろう。
まだ充分に働ける物たちがどんどん捨てられ、処分が有料化されてからは不法投棄も少なくない。
その点、常に寿命を全うすることが出来る 我が家の電化製品たちよ! キミたちは 幸せ者 だぞ!


そんなふうに、恩着せがましく言われるのは迷惑だろうか?(笑)


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ダ・ヴィンチ・コード / ダン・ブラウン著

2005-03-15 13:04:48 | 気になる本

ううっ、カフカ同様 “ 言わずもがな系話題作 ” ばかり続いて恥ずかしいぞーっ!

しかし、これはちょっと気になる。
だがしかし、購入予定は無いのである。 ・・・今のところは。

惹かれポイントとしては 「謎解き」 「暗号」 「ミステリー」 という、
わたくし的大好物ばかりが 超豪華・山盛りてんこ盛り になっていることが挙げられる。

では、いったい何が 購入ストップポイント なのかというと・・・

私は基本的に 文庫本しか買わない ことにしている (←あくまでも基本的に、なので例外アリ)
なぜかといえば、ハードカバーとかで買っちゃうと ハズレた時のショックがでかいから である!

さらに あまりにも話題作 である場合、いささか気恥ずかしくて新刊のうちは手に取れないのだ。
ほとぼりが冷めるのを待っていると、いつの間にやら文庫化されていたりする。
そこで初めて購入を考えるわけである。

というわけでこの作品も、購入予定は2、3年ばかり先のことだろう。
願わくば数年先、文庫化されて書店に並んだ時も今と同じように、
自然と私の目を惹き付けてくれるような魅力を備えた作品であることを祈る 。。。


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