ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

新年第1号 石見美術館「みるみると見てみる?」のレポートです!

2017-01-12 23:32:56 | 対話型鑑賞

2017年のみるみるの会の活動は、石見美術館での「みるみると見てみる?」でスタートしました。
第1回目にナビゲーターをした、春日さんのレポートです。



2017年1月8日(日)14:00~島根県立石見美術館A室
鑑賞作品:「宇宙Ⅰ」堂本尚郎1978年作 200×600㎝
ナビゲーター:春日美由紀 鑑賞者19名

 石見美術館で「みるみると見てみる展」を始めて6年目を迎えることになる初回の作品は、おそらくA室の一壁面を占有するであろう堂本尚郎氏の大作でやろうと決めていた。この作品は画像でもお分かりのように抽象絵画である。画面全体を斜めに波紋のような曲線が横切り、その中に△〇□が浮かび上がるような構成となっている。色は赤・青・黄の三原色が用いられ、重色により複雑な色相を呈している。また、浮かび上がる△〇□は仙厓(仙厓義梵(せんがい ぎぼん、寛延3年(1750年)4月 - 天保8年10月7日(1837年11月4日))は江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、画家。禅味溢れる絵画で知られる:出典Wikipedia)が描いた禅画を思い起こさせる。仙厓が描いた「〇△□」には画賛が無く、禅画の中でも最も難解とされているが、この世の存在すべてを三つの図形に代表させ、「大宇宙を小画面に凝縮させた」ともいわれている。

「〇△□」仙厓義梵 出光美術館蔵

 また、〇△□と聞くとヨーロッパで起こったキュビズムも思い出す。セザンヌは「この世界は円柱、球、円錐によって成る。」と語っており、円柱や球、円錐は真横からみれば「□〇△」であり、洋の東西を問わず、この世を構成しているものの究極の形は「〇△□」というシンプルな形状に集約されるのだということを考えていると言える。
 堂本氏は日本画家堂本印象氏の甥であり、若いころには日本画をたしなんでいたが、昭和30年にヨーロッパにわたって油画を始め、アンフォルメル運動(フランス語:Art informel、非定型の芸術)は、1940年代半ばから1950年代にかけてフランスを中心としたヨーロッパ各地に現れた、激しい抽象絵画を中心とした美術の動向をあらわした言葉である。同時期のアメリカ合衆国におけるアクション・ペインティングなど抽象表現主義の運動に相当する:出典Wikipedia)に参加し、その後独自の抽象画へ発展した画歴を持つ。画面に飛沫のような絵具の痕跡があるのはアンフォルメルの名残だろうか…。また、アンフォルメルの運動に参加し、具象を捨てた堂本氏が表現の究極を求めた時に「△〇□」に辿り着いたのだとしたら、仙厓の描く禅画の「大宇宙を小画面に凝縮させた〇△□」の作品やキュビズムの先駆けとなったセザンヌの言葉とこの作品のタイトル「宇宙Ⅰ」には少なからず関連があるのではないかと考えていた。しかし、これはあくまで私の解釈であり、そこに話題が進むとは限らない。どのような発言が飛び出すのか、そういう意味で、このナビをするのはドキドキだった。というのも抽象作品を鑑賞し、ナビゲーターを務めるのは初の試みだからである。しかし、5年を終え、6年目の節目の初発の作品のナビゲーターを務めるのであるから、挑戦をしなければこの会を主宰する意味がない。また、語り合うことで難解と思える抽象作品が身近なものとして感じられるようになるならこれ以上の対話型鑑賞の醍醐味はないと思う訳で、ナビは鑑賞者の発言に身を任せて繋ぐことに全身全霊を傾ければよいのであるからと腹をくくり、鑑賞者主体、あなた(鑑賞者)任せなところがナビとしてはお気楽という思いで挑戦した。

 さて、対話が始まったが、いきなり経験値の高い美術館ボランティアの方から「この〇△□にはどんな意味があるのでしょうか?」という疑問が投げかけられた。のっけから核心に迫る発言である。(いきなり来たぞ。ヤバい!!)と感じながら、(みんな同じことを思っているはずだから)と思い、「その疑問についても作品をみながら皆さんで考えて行けたらよいなと思っています。」とかわした。
 初めのころは描かれているものの形態や色に関する発言が多く出た。波状の曲線、下地に描かれた多くの円、飛沫のような絵具の痕跡、色の重なりによる色の見え方の違い、大きく浮かび上がる正三角形、円、正方形…etc.ひとつひとつをポインティングしたり、パラフレーズしたりしながら齟齬がないかの確認を繰り返し、みえているものを共有していった。中には言われないと真ん中に円があることに気付かなかった方もいたようである。それらの形態や色から「温かみがある」「面白い」「楽しい」「明るい」などの感情に関わる言葉が告げられたので、「どこからそう思う?」から「そこからどう思う?」へ舵を切った。
 そうすると、△は「山」に見え、□は「浜辺ないしは陸」そして真ん中の〇は「水面、水の流れ、だから自然を表している」と話される方や、△は「ピラミッド」□は「地中海」真ん中は「海」で、「ピラミッドは宇宙と交信するものでしょ?だから宇宙も表している」というタイトルに迫るWORDも飛び出してきた。また、「〇△□を掛け軸に描いたお坊さんがいたと思います。それを思い出しました。」という発言も出たので、仙厓を紹介し、禅画でこの世を表すと「絵にも書にもかけない。すべてのものは〇△□である」といった逸話を披露した。他にも「物質はすべて粒子でできていると聞くが、地には無数の円が描かれているので、物質の根源を感じる。」や「身体を超える大きさの作品であるし、この作品はもっと外に広がっているものをここだけ切り取ったような印象を受けるので、この世界全部を表そうといているのではないか?」といった発言も出された。「△や山?□は陸?で、真ん中に水が流れていて、自然(ナチュラルなもの)を表している。生命を感じる。」この発言が出されたときに、ナビの私の眼には繰り返される波状の形態がDNAを表す二重らせん構造にみえてきた。そこで、鑑賞者に「みなさんのお話をきいていると広大な宇宙から粒子の世界までをこの作品にみていらっしゃるようですが、そこから、この波状の形態があるものにみえてきました。みなさん、この波状が私には何にみえているかお分かりになりますか?」と逆に質問をしてみた。そうするとしばらく間があったが、挙手があり「遺伝子をつくるDNAの二重らせん構造に似ていると思います。」と発言していただいた。そこで「そうです。私にはそんな風に見えてきました。みなさんのお話をきいていると、みなさんはこの幾何学形態の中に宇宙や自然や物質の根源や生命を感じていらっしゃるようです。」と作品から感じていることをまとめていった。
 この時、高校生で参加してくれている女の子がまだ一度も発言していないので、ぜひ話してほしいと思い、発言を促すと、色についての印象を語ってくれ、最後に「ずっとみていても見飽きない作品。」と評してくれた。ここで、ほぼ予定していた40分を経過したので「最後にお話ししたい方はいませんか?」と促したが挙手が無かったので、「この作品は幾何学形態が繰り返し描かれている抽象作品ですが、色や形態から様々なことを感じ、さらには、宇宙や自然、生命、粒子といった広大なものから小さな世界までも表している、みていても見飽きることのない作品であるといったお話ができたのではないかと思います。ありがとうございました。」と締めくくり鑑賞会を終えた。

アンケートの記述から
作品について
☆単に〇△□とうねりの繰り返しだと思っていましたら、他人の意見を聞いて宇宙からDNAから山浜、海とか人の見方は色々で驚きました。
☆幾何学模様の連続は見ていて退屈になる。変化をつけたくなる。実際に(※)回転寿司のお皿のタワーが何本も立っているのをみて、緊張感を図案化したくて描いてみたことがあったので自分の体験をうっかり声に出してみたけれど、色の構成を考える機会があって良かった。
☆(イ)ただ観て感じる絵と(ロ)考えさせられる絵があり、みるみるの会は(イ)(ロ)双方の楽しみ方があります。
☆自分の生き方、赤の∞に表して、赤そのもの→他と一緒に→まざりあって
☆複雑ながらも深いところがあって、何パターンもの見方があって、世界が広がるような作品だった。

今日のトークの感想
☆自分の考えを話したら共感された方もたくさんいて、他人の意見は違うものもあって、一つの作品でも色々だなと思った。
☆人の意見で自分の考えが変わるのが楽しい。
☆説明される内容がはっきりして聞き易く理解しやすいので有難いです。
☆こういう世界があるんだな!!
☆自分の意見も持ちつつも、他の人の意見を聞いて、また違う感覚を得ることができました。
☆時にはこういうことも良いかも…。

みるみるメンバーとの振り返りから
☆アンケートの記述からの※印の発言について、自分がナビしていたらどう返そうかとドキドキしながら聞いていた。春日さんがどう返すのかとても気になった。
→※について→回転寿司の話が出た時には何を言い出すのかと思ったが、何が言いたいのだろう、何を伝えたいと思っているのだろうと思って耳を傾けたら伝わってくるものがあるので、それを聴くことが大事だと思う。今回伝えたかったのは、回転寿司屋に積み上げられた皿のタワーの規則正しさが微妙にズレているところに魅力を感じていて、それが、作品の波状の形状が微妙に均一でないところに通じていることが伝えたく、そのズレや微妙に均一でないところに安心感を感じるということも伝えたかったのだと理解した。パラフレーズで確認したが、間違っていなかったと思う。
☆抽象作品は発言者の発言も長くなり、パラフレーズするのも大変だと思うが、どうだったか?
→発言が長くなると、「言いたいことは何か?」を聴き取ることに細心の注意を払う。そして、正しいか不安な時は「~~~で、よかったですか?」と「~~~とおっしゃっておられたと思うのですが、間違いないですか?」と確認する。今回も何度か繰り返して確認したが、どの方もうなずかれたので、聴き取りに間違いはなかったと思う。
☆みんなの解釈は同じではないかも知れないが、それぞれの参加者が満足できるゴールだったのではないか?
→ひとつの解釈に集約されていくような感覚はもてなかったが、参加者がそれぞれに宇宙、生命、自然などを作品から感じ、解釈できたことに満足しているような雰囲気は感じられた。ダイナミズムを感じた。作品と通じるような大きな空気感があった。この感覚は、ナビしていて初めてだった。

自身の振り返り
 冒頭に記述したような切り口で作品を捉えていたが、あえてその方向に誘導しようとは思っていなかった。しかし、鑑賞者の発言の中にそこに触れるような言葉が出てきたときには繋げていこうと考えていた。うまくパラフレーズできているか不安な時には前述したように、「~~~でいいですか?」と確認しながら進めたので、大きく間違うことはなかったのではないかと思う。鑑賞者は色をみたり形をみたりしながら発言者の発言をきき、作品の向こう側にあるもの(作品の意味)をみよう(感じよう)(考えよう)としていたので、一人でみたらたどり着けないところにたどり着けたので満足できたのではないかと思う。ナビとしては、長い発言をどう意を汲んだ短いパラフレーズで返すかに腐心しながら、作品に表されているものの向こう側へみんなを連れていくことができればと考えながら進行していた。そのため「そこからどう思うか?」と作品から受け取るイメージから、さらに、そのイメージから何を感じ、考えるかを考えてもらうように促した。この作戦は成功したのではないかと思う。難解と思える抽象作品であるが、参加したみるみるメンバー以外の鑑賞者の皆さんの感想を読むと、対話を楽しみ、作品を解釈できたことに喜びを感じて帰ってくださったようであるから、今春第1回目の「みるみると見てみる?」はまずはよいスタートが切れたのではないかと思う。



次回の「みるみると見てみる?」は・・・
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 文京学院大学セミナーレポー... | トップ | 「みるみると見てみる?」第2... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

対話型鑑賞」カテゴリの最新記事