大学の授業にかかわる話題

授業日誌・キャリア・学びのスキルについて

リベラルアーツとビジネス

2016年03月30日 09時42分16秒 | 学習支援・研究
リベラルアーツがトップビジネスパーソンに絶対不可欠な理由

リベラルアーツ
「一般教養」と直訳されるリベラルアーツは、
昨今では企業経営者にも特に必要な資質として
注目され始めています。
一般教養といえば文学、歴史、哲学、音楽、科学などを含む、
一見ビジネスからは程遠い教育を指します。
なぜこのようなものが企業を率いるリーダーにこそ
必要なのではないかと言われ始めたのでしょう?

それは、リベラルアーツは
論理的に深く考える力と併せることで
次の恩恵をもたらしてくれるからです。

1. 信頼を勝ち取る
2. 器を押し広げる
3. 全く新しい価値を創造する

2013年、米国のハート・リサーチ・アソシエーツ社が
320人の経営者に対して、
成功に結びつく教育に関して
ウェブアンケートを実施しました。
すると80%もの経営者が
「大学生活の中で科学などの専門分野のみならず、
一般教養を幅広く身につけるべきだと思う」と答えました。

今回はこの重要とされるリベラルアーツが
なんであるかを定義し、
なぜビジネスにおいてこのような大きな力となるのかを
お伝えします。この力をつけることによって
世界で活躍するトップレベルのビジネスパーソンと
対等に渡り合えるようになります。

目次
リベラルアーツとは
リベラルアーツを理解する3つの軸
2.1 専門知識を根拠に軸を持つ
2.2 専門外の知識を根拠に軸を持つ
2.3 教養を根拠に軸を持つ
リベラルアーツは普遍的な論理的思考を養う
3.1 問題
3.2 解答例
3.3 自ら課題(普遍的価値)を創造する論理的思考
リベラルアーツがもたらす3つの恩恵
4.1 信頼を勝ち取る
4.2 器を押し広げる
4.3 全く新しい価値を創造する

1 リベラルアーツとは

リベラルアーツとは:人間の思考の軸が根差す根本を養う教養です。
それぞれの単語がなにを意味するのかを、
文に図を合わせて視覚的にお見せします。

では次の章で理解を深めていきましょう。

2 リベラルアーツを理解するための3つの軸
リベラルアーツがなぜ重要かを理解するためには
「思考の軸」がなんであるかを理解する必要があります。

思考の軸とは:決断と、その根拠を結ぶものです。


リベラルアーツ1
なにかを決断する際には、
やるか否かを決めるための根拠が必要です。
根拠という土台があってはじめて
軸を持つことができるのです。

決断力がある人間は軸が
しっかりしているとされます。
実際にそうなのでしょう。
しかし一本しかなく、
微動だにしない軸を持っているとしたら、
それはただの頑固者ではないか、
とも考えられます。
実は、根拠という土台がしっかりある限り、
軸はいくつも持つことができるのです。

× 軸をいくつも持つこと=軸がぶれている
○ 決断の根拠がない=軸がぶれている

根拠とするものがないと人の意見に流されやすく、
なにが正しいのか、
なにをやるべきかを自身で決断できないのです。
「ぶれない人」はいくつもの軸から人の意見を聞き、
それぞれの軸の観点から人の意見を
精査できる能力があるのです。

そのいくつもの軸を大きく3種類にわけました。
例とともにそれぞれが
どのような軸なのかを見ていきましょう。

2.1 専門知識を根拠に軸を持つ
たとえば飛行機のエンジニアが翼を設計する時に、
「このデザインなら問題なく飛ぶ」
と考える根拠はなんでしょう?

それはきっと、過去の膨大な実験データや
前例と自分の設計図を照らし合わせて、
「これならベルヌーイの定理により
揚力が生まれ、飛ぶ」と判断するのでしょう。
「なんとなく飛びそうな見た目」
などを根拠とするのではなく、
専門知識を根拠として決断を下す人は、
しっかりした思考の軸があると言えます。



リベラルアーツ2
2.2 専門外の知識を根拠に軸を持つ
では翼をデザインするエンジニアの上司にあたる、
チーフエンジニアはなにを根拠に
この翼のデザインに認可を出すのでしょう?



チーフをエンジニアあがりだとすると、
「ベルヌーイの定理により揚力が生まれるから飛ぶ」
という説明を理解し、機能面で
問題はないと判断できます。
しかし部品確保やコストの観点から問題ないと判断するには、
エンジニアリングの知識のみならず、
流通や会計の知識も必要になります。
より大きな決断を下すためには、
専門分野と共に専門外の知識も動員し、
しっかりとした根拠を基に軸を持たなければなりません。

2.3 教養を根拠に軸を持つ
これまで何度か名前が出ている「ベルヌーイの定理」を根拠に、
エンジニアとチーフエンジニアは決断を下しています。
ではそもそものこの定理を生んだベルヌーイとは
何者なのでしょうか?
彼の正体を探ることで、
リベラルアーツの意味を深く理解することができます。

多様な知識と関心を持つベルヌーイ

ダニエル・ベルヌーイは1700年代に生きたスイスの学者で、
物理や数学の分野で同じ学者だった実の父親に
ねたまれるほどの目覚ましい功績を残しました。
彼は他に医学を学び、植物学を大学で教え、
自然科学や経済学の研究をするという多分野での活躍を見せました。

現代の流体力学の基礎となっているベルヌーイの定理のような
「人間の思考の軸が根差す根本」を形成するには、
ベルヌーイその人のように、
幅広い知識や関心を総動員させて、
自ら論理的に深く考え、
根拠を頭の中で自ら発見しなければならないのです。

様々な分野の教養がある人ほど、
それだけ色々な根拠を基に思考の軸を持ち、
他者がとてもできない判断や決断をすることができる、
ということになります。

リベラルアーツを通してつながりを読み取る力を養う

よって、文学、歴史、哲学、音楽、
科学などの分野での教育を意味するリベラルアーツとは、
人間の思考の軸が根差す根本を養う教養なのです。
たとえばモーツァルトはクラシック音楽に分類されるが
ベートーベンはロマン派とする方が正しい、
という極めて抽象的なことを論理立てて証明する訓練をすると、
ビジネスで起こる様々な事象のつながりや
原因を読み取る能力が養われるのです。
イメージとしては、今取りかかっている問題から、
一見全く関係のない極めて遠いところより
根拠を引っ張ってくる力をつけるための教育です。



3 リベラルアーツは普遍的な論理的思考を養う

リベラルアーツは思考の軸が根差す根本を養う他に、
普遍的な論理的思考を養います。
ここでいう普遍的な論理的思考がなにを意味するか、
問題を通してお見せしましょう。

以下のA~D内に2文ずつ情報があります。
情報が組み合わさるとなにか意味を成さないか推測してみましょう。

3.1 問題

A. 山田君は200円を持って買い物に出かけました。りんごと80円を持って帰ってきました。

B. 海水温度が上昇するとサンゴが死ぬ。ヒトデはサンゴを餌にする。

C. 原子や粒子は確率的挙動をする。我々の脳は原子や粒子からできている。

D. 音楽とは音を用いた芸術である。芸術とは表現者や鑑賞者が精神的・感覚的な変動を得られるものである。

3.2 解答例

A-a. おそらく山田君は120円のりんごを買ってきたのだろう。

B-a. もしかしたら海水温度の上昇がサンゴの死の直接的な原因ではなく、
温度上昇によって温かい海に住んでいたヒトデが移動し、
サンゴを食べてしまうのではないだろうか。

C-a. 我々の脳がすべて確率的挙動をする物質で形成されているとしたら、
「自由な意志」というものははたして存在するのだろうか?

D-a. さっきカフェでポップスがBGMとして流れていた気がするけど、
まったく気にも留めなかった。
ということは、あれは
はたして音楽と呼べるのだろうか?

上記のように情報の分野に関わらず、
なんらかの意味を見出せる思考力のことを、
普遍的な論理的思考とします。
これは現代のビジネスパーソンにとって極めて重要です。

3.3 自ら課題を創造する論理的思考

現代のビジネスパーソン、特に組織のリーダーは
課題を自ら作らなければなりません。

日本の話をすると、戦後は先進国に経済的に追いつくために
国内市場の拡大やインフラ整備など、
しなければいけないことが予め決まっていました。
向き合う課題と目標となる数値が明確にありました。
習うべき手本が外国に存在しました。
しかし先進国となって以降は、
この先の未来の手本がないのです。
自ら課題を見つけ、目標を設定しなければならないのです。

課題を見つけるといっても、
それはどこに落ちているのでしょうか?
目標となる数値は誰が決めてくれるのでしょうか?
答えは:課題はどこにも落ちていないし、
目標数値を決めてくれる人は誰もいません。

リベラルアーツを通して課題創造力を鍛える


課題を創造し、目標数値を設定するのは、他ならぬリーダーの脳です。
これらすべては脳内で起こるできごとなのです。
しかし課題や目標のヒントを見つけるにあたって、
個人の経験知だけでは限界があります。
様々な学問や文献に触れ、分野がなんであれ
意味を見出す普遍的な論理的思考がリーダーには必要です。
この普遍的な論理的思考を養うのに、
リベラルアーツは最適な教材なのです。

4 リベラルアーツがもたらす3つの恩恵

リベラルアーツとは様々な根拠を基に思考の軸を持つ力と、
論理的思考力を養う教養だという話をしました。
リベラルアーツはさらなる恩恵として、
信頼関係構築や新しい価値の創造などの一助となります。
最後に、なぜこのようなことが言えるのかを説明します。

4.1 信頼を勝ち取る


ここからはもう少し身近な話題をベースに話をします。
ここまで話したリベラルアーツはゴルフコースに似ています。
また、論理的思考はゴルフのスウィングに似ています。

ゴルフのプレイスタイルは十人十色

取引先や同僚とゴルフに出かけることはありますか?
そこで「同じスポーツなのにプレイスタイルは十人十色だな」
と思ったことはありませんか?

どのようなスポーツであれ、
他の人のプレイを見て学ぶことや感心することがあるはずです。
AさんはAさんのプレイスタイルで最終ホールに辿りつきます。
BさんはBさんのプレイスタイルで最終ホールを迎えます。
つまり、プレイスタイルに正解はないのです。
最終ホールに辿りつけるだけの力量があれば、
どのプレイスタイルも正しいのです。
AさんはBさんの豪快なスウィングを見て感心し、
BさんはAさんの繊細なパットを見て学習します。

リベラルアーツは思考の軸を披露する場

リベラルアーツは論理的思考の軸を鍛える題材であると共に、
自分の思考の軸を披露する恰好の題材でもあるのです。

たとえば外国人との会食の席などで、
「あなたは日本人として、原発をどう思いますか?」
「あなたは日本人として、クジラ漁についてどう思いますか?」
とリベラルアーツでいう社会学や物理学、
自然科学に関連することを聞かれたとしましょう。

普段から意識して考えることではないにせよ、
その場で論理的に、他者が「なるほど」と
思う考えが示すことができますか?

しっかりとした思考の軸を披露できれば信頼を勝ち取れる

ここで「あまり考えたことはありませんね。」
とだけ答えてしまうと、その場でその話題は終了し、
同時にその外国人に興味を持ってもらうチャンスを失います。
ビジネスの外での信頼関係を築くきっかけを、
みすみす逃すことになるのです。

この外国人は自分と同じ意見を持つ
気の合う人物を探しているのではなく、
あなたという人間がどのような思考の軸を持っているのか
興味があって質問しているのです。
正しい答えなどないのですから、
自分の思考の軸を披露すればいいのです。

ゴルフで練習の成果を見せるように、思考の軸を披露する

ゴルフに置き換えてみましょう。ゴルフでいう「あなたは日本人として、原発をどう思いますか?」という質問は、バンカーからのショットのようなものです。「あなたは日本人として、クジラ漁をどう思いますか?」は30メートルのロングパットのようなものです。これらの難しいショットをみごと決めることができれば、相手は思わず「なるほど」と感嘆の声を漏らすことでしょう。

日頃のゴルフスウィングの練習が窮地を乗り越えさせてくれるように、日頃の論理的思考の鍛錬がものをいうのです。リベラルアーツはゴルフコースのように、鍛錬の成果を鍛えるだけでなく、披露する場でもあるのです。

4.2 器を押し広げる

リベラルアーツをゴルフコース、論理的思考をスウィングとしました。では十人十色のゴルフのプレイスタイルはなんなのでしょう?

プレイスタイルが象徴するもの、それは、人間の器です。

先に述べたように、プレイスタイルに正解はありません。しかしトッププロのそれのように、多くの人が「すごいな」と口をそろえて言うプレイスタイルは存在します。トッププロのプレイスタイルは大勢が真似ようとします。コースのどのような難所からもホールに寄せるトッププロのスウィング、つまりあらゆるものにつながりを見出すことができる論理的思考に多くの人が尊敬の念を抱きます。

教養をつけるということは多くのゴルフコースを経験するのと同義です。様々なコースを経験することによって、場所を問わず自らのプレイスタイルで成果を出す力が身につきます。どのような場面や人にあたっても自分の思考の軸をベースにうまく立ち回れる人は、器が大きいのです。

よって教養をつけるということは、結果的に自らの器を押し広げることになるのです。

4.3 全く新しい価値を創造する

他者から見て魅力的な、器が大きい人物の例として、スティーブ・ジョブスを挙げます。彼は大学を中退しているので、教養は社会に出てから独力でつけていったのでしょう。

彼の論理的思考と決断力がいかに優れているかを表す言葉が残っています。

“I never rely on Market Research.” 「私はマーケットリサーチには絶対に頼らない」

人はすでにある価値を基にしか善し悪しを判断できないことから、全く新しい商品を世に送り出そうとする時、マーケットリサーチはなんの意味もなさないという考えです。

新しい価値を生み出そうとする時に、まだできてもいないものに対する考えを人に聞き、それを根拠にやるか否かを決断するなど、根本的におかしいという考えなのでしょう。

決断の根拠は頭の中で生まれた

ではパソコンと携帯電話を一緒にし、ソフトウェアを誰でも開発できるようにするのが市場に受け入れられると彼が考えた根拠はなんだったのでしょう?

根拠はもちろん、彼の頭の中で生まれました。様々な人と話し、ビジネスに限らず様々なところからヒントを拾い集め、自らの頭の中でつながりを見出した時、ジョブスは「これはいける」と確信したのでしょう。

リベラルアーツは新しい価値の創造を手助けする

根拠を探すのではなく根拠を見出す力がなければ、新しい価値は生み出せません。このことから、以下のことが言えます。

1. リベラルアーツは論理的思考を養う
2. 論理的思考はつながりを読み取る力になる
3. つながりが見えると、根拠を見出すことができる
4. 根拠を見出すことができれば全く新しい価値を創造できる
5. よって、リベラルアーツは論理的思考と併せることで、全く新しい価値を生み出す力になる

リベラルアーツが現代のビジネスシーンにおいていかに重要かがおわかり頂けましたか?ビジネスでの成功を目標にするなら、専門的知識と併せて、教養的な知識を強化してみてはいかがでしょうか。



http://www.berlitz-globalblog.com/liberal-arts

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経済学者の大富豪 D・リカード

2016年03月27日 21時14分34秒 | 学習支援・研究
世間は実体以上に過剰反応する 
経済学者の大富豪 D・リカード(上)

<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)> 

2016.03.12 12:00
デヴィッド・リカード
投資家
経済学者

アダム・スミスとともに、英国の古典派経済学者として
もっとも影響を与えたデヴィッド・リカード。
経済学者なら、その知識を生かして
巨万の富を築くことはわけもないだろう、
と思われがちですが、そのような人は
そう多くはありません。しかし、
それをうまくやってのけたのが、
リカードでした。投資家としてのリカード、
その経済学の理論と知識をどう生かしていったのか、
市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

投資家の美学
「経済=金もうけ」は理屈通りにはいかない?




経済学者で金儲けに成功したD・リカード
経済学者で金もうけに成功した例は少ない。
かつてノーベル経済学賞を受賞したロバート・マートンや
マイロン・ショールズ博士らの運営する
投資ファンド「LTCM」が破綻して世間を驚がくさせたのは
記憶に新しい。LTCMの例にみられるように
「経済=金もうけ」は理屈通りにはいかないからだ。

生きた経済の典型である株式や商品市場で
成功した経済学者の双璧は
D・リカードとジョン・メイナード・ケインズだろう。
商傑ユダヤ商人の血を引くリカードの富は
現在の価値に直すと100億円を超す巨額にのぼった。
慶應義塾の塾長を務めた経済学の泰斗、
小泉信三博士がリカードの遺産を計算して22億円と弾いたが、
それは60年も前のことだから今なら100億円を下るまい。

14歳にしてロンドン・シティの株式取引所に出入り
D.リカードのルーツをたどると
イタリアの商人に行き着く。
世界経済の中心がオランダに移ると、
アムステルダムに移住し、財を成した。
オランダが占めていた経済上の覇権が
英国に奪われると、リカード一家も
ロンドンに渡る。

D・リカードが生まれるのは
日本の明和期(1764-1772)に当たり、
大阪商人が実力を蓄えるとともに
堂島のコメ相場も盛り上がりをみせていた時代である。

D・リカードが初めてロンドンで
シティの株式取引所に出入りするようになるのは
14歳のとき。株式取引所の仲買人だった父親の
走り使いで取引所周辺を飛び回っているうち
しだいに才覚を発揮する。
父の七光もあって取引所で地歩を固めていった
D・リカードだったが、結婚を巡って父と対立、
わずか800ポンドの金を持って父と決別する。
シティで金融ブローカーとなったリカードの
相場のやり方について友人が日記に書いている。

「彼は市場の変化に際して、異なった証券の
相対価格間に起こりうるべき、
どんな偶発的な差額でも、
これを関知することが異常に速やかであり、
この好機を自ら利用して、一つの証券を売り、
他の証券を買うとか、あるいは
その反対のことをすることによって、
1日に200ポンドまたは300ポンドももうけた」

リカードが実践した投資の鉄則「黄金律」とは?

D・リカードの投資手法は、一種のサヤ取りである。
特定の銘柄をじっと抱いて
長期方針で巨利を狙うといったやり方ではなく、
証券間のわずかな値ザヤの変化を素早くとらえて
激しく売った・買ったとやる
短期売買を旨としたのだった。

D・リカードは「株の名人」とか
「自分が埋もれてしまうほどの富を得た遅咲きの天才」
などと呼ばれるが、彼の投資は
「黄金律」と呼ばれる1つの鉄則に基づいて行われていた。
D・リカードの黄金律は明治の中ころには
日本でもかなり有名になっていた。
当時の百科事典にまでD・リカードの黄金律が紹介されている。
明治のキーワードは「立身出世」であり、
「富国強兵」「殖産興業」であったが、
その背後には常に「金」が威光を放っていた。

「成功せる投機者を読者諸君に紹介せん。
有名な経済学者ダビッド・リカード氏これなり。
氏はロンドン株式取引所に聘馳(招待)して、
巨額の財を重ねたる人なるが、
その常に懐抱せる意見は
『世人の事変を見ること、
大いにその実に過ぐ』の言なりき」

D・リカードが口癖のように言っていた言葉を平たくいえば、
「世間や市場はニュースに対して
実体以上に過剰反応する」というものだ。

この黄金律にそって具体的な戦術をこう述べている。
第1章 汝の心裏にて裁択したることをちゅうちょなく決行すべし
第2章 汝の損失を短縮すべし
第3章 汝の利益を延長せしめよ

「この法章により、相場が少しく上進すべき原因を見出す時は、
必ず買いに決せり。世人が狼狽して
案外に騰貴せしむることを知ればなり。
これに反し相場が一歩下落すれば、
直ちに売りに決せり。人心恐慌して
意外の下落あることを認めたればなり」

「こう」と決めたら則実行すること。
そして損失はできるだけ小さく、
利益はできるだけ大きくするように
心掛けなければならない。
これらはすべて当たり前のことだが、
市場という神聖なる場所に立ち向かうと
なかなか実行ができないものである。
素人投資家は損失を大きくし、
利益を小さく傾向がある。
損が膨らむのは建玉がマイナス勘定になったとき、
なかなか処分ができず、
懐に抱え込んで損を太らせてしまうからだ。
逆に利益を小さくするのは、うれしさの余り、
早く利食い(利益確定の売り)したくなって、
まだまだ伸びしろがあるというのに
辛抱できず手じまいしてしまうからである。。
 
D・リカード( 1772-1823 )の横顔
ロンドンの巨商で株式仲買人のアブラハム・リカードの息子に生まれ、
1815年、ワーテルローの戦いで
英国政府の公債を大量に引き受け、
ナポレオンの敗走で公債相場が暴騰し、
伝説的勝利を収める。後年は
経済学の研究に励み、『経済学および課税の原理』を著す。
この本はアダム・スミスの『国富論』と並ぶ
英国古典派経済学の名著とされる。

https://thepage.jp/detail/20160302-00000003-wordleaf


ワーテルロー、英勝利賭け公債で成功
遺産は70万ポンド D・リカード(下)


2016.03.19 09:00
デヴィッド・リカード

経済学者では稀有な投資の成功者、
デヴィッド・リカード。
株の仲買人だった父とともに14歳で証券取引所に出入りし、
まずは株取引で成功を収めます。
その後、投資対象を公債、土地取引にも拡げていきます。
投資で富を築いたリカードの人生を
市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

いつの時代でも戦争は市場を揺るがす最大の刺激材料である。
「ナポレオン戦争の情報は
それが真相を告げるものであろうと、
誤報であろうが、市場価格を著しく上下させた」
(堀経夫著『リカァドウ』)

D・リカードは投資対象を株から公債へと拡大していく。
イギリス政府はナポレオンと死闘を繰り広げる一方、
戦費調達のため次々と公債を発行しなければならなかった。
リカードはその公債の引き受け人を買って出て、
結果としてさらに富を増幅させていった。
公債は国力、国運の象徴でもある。
リカードはイギリスの国運に賭け、
それが図星となった。
リカードが伝説的大勝利をつかむのは1815年6月のことだ。

https://thepage.jp/detail/20160316-00000003-wordleafk

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ブログ炎上などの私刑という行為について

2016年03月25日 19時50分27秒 | 学習支援・研究
自分とは全く無関係な第三者を非難する
正義の名を借りた制裁は
実は理にかなっていた
(米研究)




ネット上では正義の名を借りた私刑が横行している。
確かに非難される対象は、
自己中心的であり、
社会通念上褒められた行為ではないが、
直接被害を被ったわけでもない、
当事者とはまったく無関係な人々が、
声を荒げて責めに責めまくる。

勤務中にフェイスブックを覗くような輩を非難し、
浮気をする友人を注意するのは人の常である。
それは自分自身の生活に
はほとんど影響を与えなかったとしてもだ。

自分が直接影響を受けていない人物を罰することを
”第三者処罰(Third Party Punishment)”というが、
これは様々な文化で一般的に見られることである。
自分だけの利益のためにルールを犯す人物に
罰を与えることは、社会全体としては
理にかなっているのだ。

しかし、実社会において、誰かが誰かを非難すれば、
高い代償を払うことになるかもしれない。
友情が壊れるかもしれないし、
恨みを買うこともあるからだ。

それなのに、なぜ人は非難するのか?
『ネイチャー』に掲載された最新の研究が
その問いに答えている。

マネーゲーム実験
アメリカ、イェール大学の心理学者
ジリアン・ジョーダン氏らは、
シンプルな経済ゲームを利用してこの現象を研究した。

このゲームは以下のような
2つのステージで構成されていた。

1. 第1ステージでは、被験者の1人にお金を与え、
お金を所有するか、別の被験者と共有するか
選んでもらった。3人目の被験者は
やはりお金を与えられているが、
第1の被験者がお金を共有しなかった場合に、
それを罰するか否か決定することができる。…

ただし、その場合、罰を与えた被験者は
文字通りコストを支払わなければならない。
それによっていくらかのお金を失うからだ。

2. 第2ステージでは、また別の人物にお金が与えられ、
その一部を第1ステージで罰則を与えた人物に与えるか否か選ぶ。
与えた額にかかわらず、それは3倍になる。
それから、それを受け取った人物は、
そのお金の一部を返却するかどうか選ぶ。
その結果は少々意外なものだった。

利己的な行為を行った人物を罰した場合、
被験者は罰を与えた者に喜んで
報酬(お金)を授ける傾向にあったのだ。
ジョーダン氏の推測では、それが
信頼を置けるかどうかを示すサインであることが理由であるという。
また、報酬を受けた被験者は、
その一部を返還する傾向にあった。
すなわち、信頼が正しいことを示唆するサインだという。

言い換えれば、「誰かが利己的な人物を罰するために
お金の一部を犠牲しようとするならば、
彼らはより信頼できるとみなされるし、
かつ信頼できる」ということだ。

だが思わぬ展開がある。
ジョーダン氏らが第1ステージの罰則者に
お金を与える立場になる選択肢を提示すると、
与える選択をした被験者は、
他の被験者からより多くのお金を
受け取る傾向にあったのだ。

このことは、悪い行為を罰することが信頼感を醸成する一方で、
他人に協力することは
それ以上の信頼獲得につながる可能性を示している。

他人を罰する理由
実験全体としては、利己的な人への処罰は社会にとって
利益があるだけでなく、個人にとっても
利益があることを示していた。

この結果は、実験的な環境あるいは
実社会における罰則に関する先行研究を補足するものだ。
2012年のある研究では、ギリシア、アテネ市内の地下鉄で
2種の社会ルールを破り、それに対する反応を観察してみた。
最初の実験では、通常歩行者のために
開けられているエスカレーターの左側に立ち、
別の実験では、わざとゴミをポイ捨てしている。

全体としては、その行為を咎めた通行人は
わずか12%でしかなかった。また、
ゴミ捨てよりも、エスカレーターの
左側に立ったことを注意される方がずっと多かった。
さらに女性よりは、男性の方が注意する傾向にあった。

この結果は、他人を咎めたいと思っていながらも、
実際にそうする人は一部でしかないことを示している。

では、一部の人が他人よりも実際に
注意を促す傾向にあるのは何故なのだろうか?
今回の研究は、そこまでは扱っていない。

しかしジョーダン氏は、他人への処罰が理にかなっているのは、
悪い行為が重大な結果をもたらすような、
法制度がしっかり整った社会においてのみだと推測する。
反対に悪い行為をやり逃げできるような社会では、
他人を罰して個人的なリスクを負う
インセンティブは生じないだろう。

また信頼を獲得しようと、
何も悪いことをしていない人物を罰しても
意味がないことも判明している。
無実の人を罰した場合の代償は、
罰則者とみなされる利益を上回っているようだ。

via:.theatlantic・dailymail・ctpost・translated hiroching

【自分とは全く無関係な第三者を非難する正義の名を借りた制裁は実は理にかなっていた(米研究)】を全て見るhttp://karapaia.livedoor.biz/archives/52212645.html



不買運動というのも、一種の私刑なのでは。

http://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52212645.html

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「公示地価」ってどんな指標?

2016年03月24日 22時22分22秒 | 学習支援・研究
8年ぶりに上昇した「公示地価」ってどんな指標?
THE PAGE
3月24日(木)14時0分配信

全国の土地の価格を示す公示地価が
8年ぶりに上昇に転じました。
訪日客の爆買いなどの影響が大きいといわれますが、
日本の土地はこれから上がっていくのでしょうか。

8年ぶりに上昇した「公示地価」ってどんな指標?



公示地価が8年ぶりに上昇(写真はイメージ、提供:アフロ)

そもそも「公示地価」とは、どんな指標?
国土交通省は22日、2016年の「地価公示」を発表しました。
「地価公示」は、全国の決められた地点
(今回の対象は2万5,270カ所)における、
1月1日時点の土地価格を調査したもので、
毎年3月に発表されます。
「地価公示」は、土地取引の価格を
適性化するために導入されましたが、
現実の売買価格は公示価格から
かい離することがほとんどです。

したがって公示価格が
そのまま売買価格というわけではありません。

ただ、公示地価は毎年同じ方法で調査が行われていますから、
価格動向をつかむには適しています。
公示価格を見る場合には、
その絶対値ではなく、
変化に着目した方がよいでしょう。

また公示価格とは別に、国税庁が算出している路線価という指標も
存在します。相続税や贈与税における評価額の基準となるもので、
算出の方法も異なります。

つまり、同じ土地に対して、路線価、公示価格、
実勢価格の3種類が存在しているわけです。
縦割行政の弊害であり、非常に不便ですが、
国民の側は利用目的に応じて使い分けるしかありません。

もしかしてバブル? 今年の公示地価、これまでにない傾向とは?

今年の公示地価では、これまでにない
顕著な傾向が見られました。
土地全体で価格が上昇したのは8年ぶりですが、
これは商業地の価格上昇が大きく寄与しました。
しかし価格の上昇には偏りが見られます。
商業地は0.9%の上昇となる一方、
住宅地は今年もマイナスでした。
商業地の価格上昇は大都市圏で
より顕著となっていますが、
これはホテルの稼働率が上昇したことなどが
大きく影響しているといわれます。
つまり、お金になるところの地価は上昇する一方、
お金にならない住宅地は下落が続いているという構図です。

土地価格が上昇に転じたことで
一部からはバブルを懸念する声も上がっているようです。
しかし、バブルというのは非常に曖昧な概念で、
どこを基準にするのかでその見方は大きく変わってきます。

東京の銀座など、リーマンショック前の水準に
戻ったところもありますが、
2008年との比較では、全体として住宅地は14%下落、
商業地は18%下落したままです。
さらに時代をさかのぼって
80年代のバブル経済を基準にすると、
住宅地は半分以下、商業地は
何と4分の1の水準のままとなっています。

日本の土地価格がピークだった1991年以降、
住宅地と商業地で前年を上回ったのは、
2007年と08年の2回しかありません。
つまり過去25年間、土地価格は
ほとんど下がりっぱなしだったわけです。

土地の価格は株式などと同様、
最終的には将来の期待収益で決定
されます。
日本経済が今後成長軌道に乗るのだとすると、
今の水準はバブルではありませんが、
もし日本経済が今後、縮小していくのだとすると、
すでに割高な水準なのかもしれません。

マイナス金利政策の導入で、
不動産に対して過剰に資金が流入するという見方
もあり、
今後の動きには注意が必要でしょう。

(The Capital Tribune Japan)

https://thepage.jp/detail/20160324-00000004-wordleaf

3種類の土地に係わる評価額の区別、
FP(ファイナンシャル・プランナー)の試験に出ます。
正確にその違いを覚えましょう。



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なぜ「嫉妬」する

2016年03月19日 19時28分43秒 | キャリア支援
なぜ、エリートほど激しく「嫉妬」するのか?
02月23日 15:20
プレジデントオンライン

なぜ、エリートほど激しく「嫉妬」するのか?



(プレジデントオンライン)
PRESIDENT Online スペシャル 掲載


■嫉妬心のネガティブとポジティブ
他人の成功や幸せに直面にすると、
僕たちは「嫉妬」という複雑な感情を抱きます。
この感情は、専門分野では
「社会的比較ジェラシー」と呼ばれていて、
学校の成績や出世の順番など、
相手との「社会的な比較」のなかで生まれるようです。

強い「ジェラシー」が生じると、
多くの人はそれを「ウザい……。
こいつ死ねばいいのに」などといった
マイナスのネガティブな感情に
変えてしまいます(下方比較)。しかし、
一部のポジティブな人は
「スゴいな。自分も頑張ろう!」といった
プラスの感情に変えることができ(上方比較)、
複雑な競争社会の中でも
良好な人間関係を築いていけるというのです。

この、嫉妬心のネガティブと
ポジティブの境目はなんなのでしょうか。

ある研究によると、この
「社会的比較ジェラシー」なるものは
誰に対しても生じるわけではなく、
自分が関心を寄せる分野で、
自分と類似性の高い身近な他者が
少しだけ優位な場合に最も
経験するものだといいます。

「類似性の高い身近な他者」が
“少しだけ優位な場合”というのがポイントで、
例えば、全国的に活躍する
ぶっちぎりにすごい成功者などに対しては
あまり嫉妬心が起きません。一方で、
自分と同じ会社の身近な同僚の
ちょっとした仕事の成功には、
はげしく嫉妬してしまうということです。

これは、なんとも面倒くさい話です。

■境目は「自尊心」
そもそも、僕たちはなんで「他者の優位」に対して
嫉妬してしまうのでしょうか。

海外のある研究によると、
「他者の優位」は自分の「自尊心」というものを
激しく脅かしてしまうようです。
つまり、嫉妬心は自分を守ろうとする
“防衛反応”の一種だというのです。

そして、その嫉妬心が「死ねばいいのに」
といったマイナスのものになるか、
「僕も頑張ろう!」というプラスのものになるかにも、
「自尊心」が大きく関わっています。
簡単にいうと、自尊心が低い人は、
「他者の優位」に対して拒否や攻撃といった
ネガティブな行動を起こしやすく、
一方で自尊心が高い人は、
挑戦的でポジティブな行動を
起こしやすいというわけです。

さて、嫉妬による行動をポジティブにも
ネガティブにも変える「自尊心」とは、
一体どのようなものなのでしょうか?

自尊心(self-esteem)とは、自分を
大切にできる気持ちのことをいうのですが、
「“ありのまま”の自分を受けいれる力」が
関係していると考えられています。
この“self-esteem”については、
日本のある研究者が説明に用いた
「自己肯定感」という言葉がよく使われるようになりました。

これは単に、“自分に自信がある”
というような意味ではありません。

自尊心や自己肯定感は、
「社会的に評価されたり
認められたりしているという『条件』がなくても、
自分の存在には価値があると感じられること」、
つまり自分の「無条件肯定」といいかえることができます。
例えば、学校での成績が低かったり、
会社でのポジションが低いなど
「社会的比較」における条件は悪くても、
信頼できる昔からの友達がいたり、
家族に愛されていたりという人は、
自分の存在そのものを認めることができ、
高い自尊心を持てているようです。

■エリートは自尊心が低い!?
「無条件肯定」の真逆にあるのが、
「条件付き肯定」です。それは、
自分が社会のなかでどれくらい有能な力を持っているのか、
といった社会的比較の指標のなかで、
自分の価値を“条件的”に認めることです。
僕たちは学校で、テストでいい点数をとるとほめられ、
勉強が苦手な場合でも
スポーツでいい順位をとれば評価されてきました。
それは、社会人になっても変わることなく、
常に比較されながら「条件付き肯定」を奪いあう戦いを
くりひろげています。

そんな社会的条件の階段を上りつめたのが、
俗に「エリート」と呼ばれる人たちです。
なんと彼らは、「自分は社会的に有能だ」
という実感や強い自信は持っていても、
自尊心や自己肯定感は低いということが多いようなのです。

なぜなら、「エリート」と呼ばれる人たちは
常に“高い条件”で社会的に認められてきたために、
人生の中で「無条件の自分」の価値を意識したことが少なく、
「条件を失う」ということが
とんでもなく危険なことだと感じてしまうようなのです。
そして、身近なところに自分よりもさらに条件的に
優れた人間が現れると、
自分の存在価値や自尊感情が脅威にさらされて、
ネガティブな嫉妬心に火がつき、
時には攻撃的な態度に出てしまうのです。

社会に出て仕事や活動をしていれば、
「社会的比較」や「条件」は永久につきまといます。
それ自体は仕方のないことだと思います。
しかし、嫉妬のたびに相手を拒否したり
攻撃したりしていては、人間関係は不調になり、
当然仕事もうまくいきません。

どこにいけば、社会的条件抜きの
“ありのまま”の自分に出会うことができるのか?

どうすれば、「無条件の自分」を認め、
自尊心を高めることができるのか?

そして、どうすれば、自分より条件的に優れた人間を歓迎し、
健全なコミュニケーションをとることができるのか?

挨拶ひとつ取っても、
所属や肩書の説明が必要な(気がしてならない)
「条件だらけ」の都会で働くビジネスマンにとっては、
とんでもなく難しい問題なのかもしれません。

(若新雄純=文)

http://news.goo.ne.jp/article/president/bizskills/president_17453.html?page=1

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