ジョハリの窓のMiruba

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ダンスの力

2009-07-08 | Weblog



災害が出るほどでは困るが、大雨にあったときに、ふと思い出すのが、ジーン・ケリーが土砂降りの雨の中で主題歌を歌いながらタップダンスを踊る『雨に歌えば』というミュージカルであろうか。

誰でも一度は、土砂降りで、靴が濡れるのをあきらめたときに、水溜りをピチャピチャと音をさせて歩き、口ずさんだ経験が、あるのではないだろうか。



アメリカには、「見る娯楽」としてのダンスの歴史があり、踊れて歌えるスターが映画から、テレビ、ビデオ、DVDに移っても、脈々と続いているのである。

振り返れば、『トップ・ハット』『バンド・ワゴン』『巴里のアメリカ人』など、ミュージカル映画の傑作があるが、ハリウッド映画史上最も優雅な踊り手といえば、『雨に歌えば』のジーンケリーと同時期の、【フレッド・アステア】であろう。

長い手足にエレガントで洗練された身のこなしから生み出される踊りは、観る者をひきつけてやまなかった、二十世紀を代表するダンサーのひとりである。

アステアの踊りの妙は、たとえば『カッスル夫妻』や『コンチネンタル』で存分に味わえる。
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私は社交ダンスを踊るので、このアステアの演じた実在したカッスル夫妻には大変興味があった。社交ダンスにフォークストロットという踊りがあるのだが、このカッスル夫妻がその元のステップをアメリカで開発、後にカフェ・ド・パリで踊り、一晩でパリのスターとなった話で、この2人もショーダンサーで、名をはせたのである。
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ダンスとは音楽に合わせて踊るものだが、【フレッド・アステア】のダンスは、それ自体が音楽であり、他の音は彼の曲の伴奏に過ぎないといわれたほどだ。

その【フレッドアステア】に影響を受けたのが、先日若くして亡くなった
マイケル・ジャクソン】なのだ。

アステアの大ファンで「もっとも影響を受けた人物の一人」と自ら発言しており、幼い頃から彼の真似をしたり、アステアごっこをして妹ジャネットと遊んだとも語っていたという。

自分たちのテレビショーで兄弟全員でアステアの「Puttin On the Ritz」をカバー したり、自分の踊りに一部ステップを取り入れたりしていたのだ。

また逆に、隠退した後も最晩年まで自宅でのダンスの習練を怠らなかったアステアは、1980年代初頭にマイケル・ジャクソンが一世を風靡した「ビリー・ジーン」のムーンウォークを見ると、既に80歳を過ぎていたにもかかわらず、自ら挑戦し、マイケルに直に教わって、これを鮮やかにマスターしていたという。


マイケルジャクソンのダンスは、ブレイク、ヒップホップ、ロボット、クランプと、色々なジャンルが混じっているが、「マイケルジャクソンダンス」という特別なジャンルと言っても差し支えないだろう。その踊りにショックを受けファンとなった私は、彼の真似のできない踊りに心酔したものだ。

マイケルは股間を掴むようなSEXダンスをするのだが、サルサダンスのようなセクシーさはなく、そのダンスパフォーマンスはあくまでも、膨大な練習に裏打ちされた、筋肉の躍動を見せる、アスリートのダンスなのである。

たとえ裸で踊ったとしても、その重力の束縛から解放されたようなスローモーションをイメージする踊りは、丹田にコアを置き、体中のすべての筋肉をしなやかに連動させる。
時に軽やかに、時に敏捷に、フットワークもパワームーブもフリーズも長い手足を有効に魅せるクリエイティブなまた計算された動きには、厭らしさなど微塵もなく、見る人を魅了せずにはおかない。

だがそれゆえに、筋肉への負荷は大変なものだったろうと推察する。
それを可能にしたのは、勿論天賦の才能はあったろうが、日に8時間はダンスに費やしたという、その練習量だ。

アステアもまた、毎日8時間は踊っていたという。一流の人間は妥協を許さないのだ。

優れたダンサーとしての面ばかりが強調されがちだが、歌手としても一流であった【フレッドアステア】、
そして、King of Popキングオブポップといわれた、美しい歌声と、彼の前にも後にも居ない唯一のダンサーといわれたスーパースターであった、【マイケル・ジャクソン】。

アメリカのエンターテインメントの奥深さを感じさせる2人は、残念ながら亡くなったが、「見る娯楽」の最先端にいた2人は、その画像において、永遠にファンの心の中で踊り歌うだろう。

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『カッスル夫妻』

1895年(明治26年)、バディーボールデンという人が、リズミックな黒人音楽独特の世界を作り上げてラグタイムバンドを結成し演奏したのが、ジャズのはじまりといわれています。アメリカ南部の町ニューオリンズでのことでした。

その後1911年にアービングダーリンによる「アレクサンダーズラグタイムバンド」という音楽が空前の大ヒットとなり、ダンスホールなどで踊る人が増えてきたこともあって、ダンスは盛んになります。

その同じ頃、売れない喜劇役者をしてたイギリス生まれのヴァーノン・カッスルは、海水浴場で犬をめぐって会話を交わしたアイリーンというダンサーと知り合います。
彼女はダンスをこよなく愛していて、研究心も探究心も優れていました。付き合ううちに、ヴァーノンは舞踏家として生きていくことを決心します。

ジャズといえば黒人ですが、踊りもまた黒人たちの踊りからヒントを得て、カッスル夫婦は、「歩ける人は、誰でも踊れる」ということを目標に、「カッスルウォーク」を創作しました。

というのは、その頃の社交ダンスというのは宮廷ダンスでしたから、今のバレエと一緒で、爪先立ちなどがあって、ダンスレッスンを正式に受けなければ到底踊れないような代物だったのです。踵から、歩くように踊るこのカッスルウォークは、当たり前のようで、当時はビックリ新鮮だったわけですね。

カフェ・ド・パリというクラブでこの踊りを披露し、カッスル夫妻はたった一晩で、パリの花形となるのです。
その後、アメリカに凱旋帰国した二人は18人からなるジャズバンドを結成して、全米ダンスエキジビジョンツアーを行い、ダンスを広めていくのです。
1918年飛行機事故でバーノンカッスルが、事故死するまで、更にダンスの発展に寄与しました。

アイリーンは、夫亡き後も踊りましたが、本を出版したり、映画化のときなど、注文をつけたりしたようですよ。二人の愛のダンスが、今も受け継がれているのです。

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参考:ビデオ・クリップとダンス-「見せる」戦略と肉体-http://camp.ff.tku.ac.jp/yamada-ken/Y-KEN/fulltext/90pop-now/dance.html
『ウィキペディア(Wikipedia)』
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「夏の暑い風」

翔と舞は高校の時に知り合った。

翔はスポーツマンだ。
海で生まれ、山を好み、歌を愛した。

サーフィンも得意だが、ハイキングにもよく行った。
舞は何時も付き合う。手作りのお弁当を食べてもらうのが嬉しかった。

翔は自転車で何処でも走る。耳を横切る風が心地良いのだ。
自転車に乗れない舞を荷台に乗せて土手を行き風を感じた。

オートバイを手に入れた時、ヘルメットは最初から2つだった。
広くなる翔の背中を胸に感じ、舞はその逞しさに安心する。

次にスポーツカーの助手席に舞を乗せフリーウェーの風を分ける。
2人とも大学生になっていた。

今度はパラグライダーに乗せてやると言いだす。

「風を体中に受けることが出来るよ」
「イヤ、私は高いところは嫌いだもの」

翔は舞を残し一人で空を楽しんだ。
風に乗り、
季節風に浮かび、
パラグライダーで地上ぎりぎりを滑る。

「危ないからやめて、お願いだから風が暴れるときはやめて」
舞はいつも、そう言ったのに。
大気が揺れ渦巻きになった暴風。最愛の仲間だった風の裏切りに遭い、翔は頭から雑木林に突っ込んだ。

翔は車椅子の生活になった。
24歳だった。

スポーツマンだった翔は、歩けない現実に耐えられない。自分の心の闇に入り込み風を避ける。
海を愛さず、山も見ず、歌さえ歌わなくなった。
いくら慰めても励ましても、
叱っても腹を立てても、
涙しても願っても、
翔の硬く閉じた心を開かせることは出来ない。

若すぎた舞は、人の心を無理やり開かすことが愛の力だと信じていたから
裏切られた思いで翔から逃げ去った。



20年が過ぎていた。
舞はイギリスにいる。仕事もとっくに慣れた。
数年前からボランティアにも参加している。
Wheel Chair DanceSportという団体だ。
健常者と障害を持った人が一緒に踊るコンビスタイルの社交ダンスを踊る組織だが
現在20カ国以上の参加があり世界選手権も行われている。

車いすの人はウィルチェア・ドライバーという。
舞は、スタンディング・パートナーとして2年前からマイクと踊っていた。
マイクの奥さんはダンスが苦手で何時も応援団長だ。

ドイツで行われた世界選手権でのことだ。
フロアーを力強く回転する車椅子の選手がいた。
パートナーは、少し年配の女性だったが美しく踊る。

舞はそのカップルに釘付けになった。

「似ている」
プログラムの名前を見た。
20年ぶりに見る、逞しさの蘇った翔が、風を切って回転していた。会場から歓声が上がる。

日本選手の中に翔がいたのだ。
次のヒートは一緒になった。

同じフロアーにたった翔と舞。

翔も舞に気がついた。
お互い笑顔で目を交わす。
一緒に風に乗り踊っている気分だった。

翔と舞を、夏の暑い風が通り過ぎた。

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写真:TechnophotoTAKAO テクノフォト高尾
Copyright〔c〕2004 TechnoPhoto TAKAO Co.,Ltd.All rights reserved.
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4 コメント

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ムーンウォーク (彷徨い(さまよい)王子)
2009-07-08 08:52:31
そういわれてみればムーンウォークって、スローフォックストロットの変化形と言えなくもないなあ
あの股関節の使い方は見事ですものね
Unknown (笑顔)
2009-07-09 14:20:20
私もマイケルジャクソンの死は信じられませんでした
彼の踊りと色気のある恋の歌等は世界中が注目した大きな存在でした
とても悲しく又残念に思います
日本の芸能人にも彼の踊りに引き込まれて入った人が沢山居ると何かで読みました 人は明日何が起こり得るか分かりません 50歳の死に黙祷
☆翔さんも夢があったと思います それが事故と言う悲しい出来事で時間が経ってしまったけれど、今の翔さんも本当の翔さんである. 人生 ままならぬ事ゆえ悲しくもあり、楽しくもあるのだと私は思っています 自分の人生も そうだからです....
彷徨い(さまよい)王子)sama (Miruba)
2009-07-10 02:26:17
こんばんは

ダンス頑張っていますか?
私はいったい何時になったら踊れるのか。
もう赤い靴は何処にしまったかわからなくなったわ。どうか、私の分も素敵なご婦人とたくさん楽しんで踊ってくださいね。

いつもコメントをありがとうございます。
笑顔様 (Miruba)
2009-07-10 02:31:57
こんばんは

毎日お仕事ご苦労様です。
マイケル いっちゃった
たった50年 はやすぎる
60歳のマイケル
70歳のマイケル
80歳のマイケルが
どんな踊りを踊って
どんな歌を歌のだったか
見てみたかったわ


>人生 ままならぬ事ゆえ悲しくもあり、楽しくもあるのだと私は思っています 自分の人生も そうだからです....

そうね、人生は本当にままならない。
なんででしょうね、そんなに悪いことして来たつもりはないのに、何時も罰を受けているのかと思うほど上手く行かない。

悲しく切なく苦しく
でも 前を見ないと生きてはいけないわ
楽しいこと考えましょう 笑顔で^^

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