生かして生かされて生きる

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ほとんど私用メモ帳化してます

カルト信者の共通点

2006年02月18日 | 宗教被害・虐待被害関連
某カルト宗教脱会カウンセリングに通われているかたのお話が載っていて気になったものです。

カルト信者の共通点。

「カルトの自分」と「本当の自分」がいて、
活動中は「カルトの自分」しか見ないのだけれど、
脱会してから、「カルトの自分」と「本当の自分」がいて不安定になる、
というものでした。

とても当てはまると思いませんか?私は当時そうでした。


また、信者2世で生まれた私は「カルトの自分」で普通に育ち、
「本当の自分」は、見つけるのが大変でした。
そして、育てるのにも少し時間がかかりました。

自分のいた宗教団体に疑問を持つことを許されなかった、
疑問を持ってしまうこと自体に苦しんだ、
批判的な意見を持てば苦しみが待っていると思っていた、
他の信仰を知ることはいけないことだと思っていた、
脱会なんてしたらもしかして・・・など、

罰や地獄などの言葉に現在悩まされていませんか?
過去に悩まされませんでしたか?

あるとしたら、あなたのいた団体はカルトか、カルトの特徴をもっているかもしれません。
そして「本当の自分」が「カルトの自分」の存在に気づいたかもしれません。

罰は存在しないので心配しなくても(最初はしちゃうだろうけど)
大丈夫です。
同じ思いを経験して脱会、また非活動の仲間は大勢います。

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49 コメント

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Unknown (罰・地獄、功徳)
2006-02-20 22:26:32
一生懸命活動していたころは、罰・地獄という言葉に、おびえながら生きていたように思います。ちょっとでも悪い事があると、罰だったかな?と反省していました。常に罰が当たらないようにと、行動していたように思います。



信仰をなまけたり、退転したりすると、その先には、きっと地獄の苦しみが待ち受けていると、心の底から、思っていました。



色々と仏教の歴史を勉強して、少しは客観的に見られるようになりました。しかし、MCが子供のころに始まり、その後、長い期間、影響下におかれていたため、罰論が深層心理まで入り込んでいますので、抜け出すことは不可能とも思えます。



目覚めている間は、客観的な考え方ができますが、眠っている時、罰が当たったような怖い夢を見ることが時々あります。



その対極にある功徳ですが、自分の場合、ここが勝負、という時に、必死の気持での願いが、叶わなかった事が多いです。



そのため人生の軌道が、当初の予想から、随分ずれてしまいました。そうした事が多く積み重なっていますので、祈りに関しては、あきらめに似た気持が強くなってしまいました。



ただ一つだけ。・・・親戚の叔父さんが危篤状態になった時、真剣に祈ったら生還した、という体験があります。彼は今でも元気でいます。



自分のための祈りは叶わないけれど、人のための祈りは叶うのかな?と思う今日この頃です。
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失礼しました (マターリ)
2006-02-20 22:28:57
(罰・地獄、功徳) のカキコは、私が書きました。
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マターリさん (ナウシカ)
2006-02-21 00:23:25
初めましてm(__)m



私も功徳だの罰だのと一喜一憂している時がありました。

こういうのって結構しんどいですよね(-_-;)



私は、こういうのは取引信心だ、乞食信心だと言われました。

私は、こう生きます、こうなってみせますという誓願の祈りが大切だと教わりました。

でも、自分に自信のなかった私は、結局お願い型の祈り方をしてしまいましたけど(;^_^A



要は、日蓮大聖人が言われていたみたいに、自分のことを仏の当体として見れるか、信じられるかだと思うんですが…



悪いことが起こるのが罰だとしたら、迫害を受けた大聖人も、獄中で亡くなった牧口先生も、一緒に入った戸田先生も、とんだ罰当たりということになります。

そう考えた時、なぁ~んだ、人生って、いいことも悪いことも起こるもんなのね~と気が楽になりましたよ(^^)/



がんになったら罰なのか、交通事故は罰なのか、貧乏になったら罰なのか…そう考えていくと、罰論は仏法の教えではないということがわかると思います。

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同じです (みれい)
2006-02-21 00:29:54
マターリさん



>信仰をなまけたり、退転したりすると、その先には、きっと地獄の苦しみが待ち受けていると、心の底から、思っていました。



マターリさんもそうでしたか。

状況が同じです。そして、考えていたことも。

やはり多いのでしょうね。



>目覚めている間は、客観的な考え方ができますが、眠っている時、罰が当たったような怖い夢を見ることが時々あります。



私もよく見ました。ひどく汗をかいて目覚めることもありました。

夢や無意識や深層心理学について、私はユングの本を読みました。「人間と象徴」が役に立ちました。

罰の拘束力って、強力です。

でも抜け出すのは容易ではないけれど、可能です。

多くの仲間がいます。

私は「罰」についてとても調べました。

マインドコントロールや環境や気質がおおきく関わってきそうです。



仏教のお勉強だけではなくて、カルトのお勉強もしてみるといいですよ。共通項がたくさんあります。



ちなみに日蓮さんの「祈り」とは、果たしてそういう祈祷のような意味での「祈り」だったでしょうか?

私は違うと思ってます。
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同感。 (みれい)
2006-02-21 01:29:16
ナウシカさん



カキコしているあいだにナウシカさん^^



>がんになったら罰なのか、交通事故は罰なのか、貧乏になったら罰なのか…そう考えていくと、罰論は仏法の教えではないということがわかると思います。



まったくそうだと思います。

けど、学会で教えていたことですよね、病気とか障害とか精神錯乱になるって。

脱会者にはよくそんな言葉がかけられます。

かなり上の役職でも言われているとおもいます。

私は昔、交通事故に遭った友達(神社のお守りをもらった)とその現場で無事故だった私(当時2世学会員)の話を会館で体験発表したことがありますよ。

いつごろから変わったのか、折伏教典の扱いをどうするのか、公式な見解はないままですね。

そこが問題かと。



信仰で自信を持ち、世界を受け入れ、前進するのはとてもいいけれど、罰で後ろから追い立てられるのはどうも納得いかないですよね。



ほしいものをおねだりしても、やはり実行がなければ絵に描いたもちで、そんな都合のいい為のご本尊ではないことは確かです。

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地獄も授かりといただけるか否か (みれい)
2006-02-21 01:42:36
ちなみに、禅では

「いかなるかこれ地獄」(地獄とは何か)

と言う問答がありまして、自分の心に作り出すものだ、という風なことが話されていて、いわゆる十界は心にある、ということをわかりやすく提示してます。



最近の学会でもそんな感じに話されているのではないかと思うのですが、実際どうでしょう?

入会の時期によっても違うようですが、

昔は、輪廻で生まれ変わったら地獄へ行く人はどんな人か、なんて話もよく出ていたと思います。(まぁ日蓮の教えに背く人や念仏をしてる人、なわけですが)

それで、まじめな人が必要以上に

「自分は背いているんじゃなかろうか」と悩んでスパイラルに陥ることもあるんじゃなかろうかと。

その辺のフォローもきっと必要ですね。
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そうですね (ナウシカ)
2006-02-21 04:06:02
輪廻って仏法の教えではないって、最近聞いたんですけど(・・;)

因果律?も違うとw(゜o゜)w

宿業論、罰論も、全然、日蓮大聖人(釈尊)の教えではないと!



えっ!?なんで?御書にあるじゃん!と思ってたら、あれは誰かの教義を、日蓮大聖人が長く引用してて、それは違うってことを言いたかったんだと(・・;)

ええ~そうだったのぉ~と目が点になってしまいました(*_*)



あっ…みれいさん、私のblogも見てくださってるみたいで、ありがとうございます♪

あの白衣画像ですが、中には変な妄想をする人もいるようで(-_-;)

出会い系じゃないっちゅうの(-_-#)

し…失礼しました、関係ない話でしたね(^^ゞ
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素敵です (三九郎)
2006-02-21 12:16:55
素敵です~ ナウシカさんの白衣姿。
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あは♪ (みれい)
2006-02-22 00:16:39
ここに白衣にそそられる人が約一名(^▽^)

いやもっといるのかぁ。

でも実際素敵です。聴診器がこれまた・・・^^



御書の解釈も長年まちがったままだったり、

四箇の格言も、日蓮さんの伝えたかったこととと違うことを広めていたり、「ええ~!!」なことがまだまだまかりとおていたりしますね。

先日お会いした学会員さんとも輪廻と空のお話をしました。かみ合っているのかどうか心残りでしたが。



仏教とその信仰姿勢も時代やお国で違ったりするので、様々な時代の教典から読み解いてみるのもいいですね。



御書と法華経を照らし合わせて、日蓮さんがどこを引用したのか、何を伝えようとしていたのか、その時代はどんなであったか、なんてのを知ってみると意外な発見があります。



(例えば、蒙古来襲対策に立正安国論を立てたわけですが、その頃の蒙古の勢力は実は朝鮮侵略あたりからかなり統率力もまばらで、日本に来るまでにかなり弱っていたらしい、とか。)
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神風!? (ナウシカ)
2006-02-22 03:52:59
今は大きく疑問視されている元寇の時の「神風」。



江華島や済州島に立てこもって、モンゴル軍に最後まで徹底抵抗した三別抄の戦いが、元寇を遅らせたそうですね。

高麗の人たちは元の船を作るときに手抜き工事したそうです。

元は日本への三度の侵攻を再三再四狙っていたといわれていますが、これは南宋や今日のベトナム辺りの抵抗運動にてこずらされて、結果的には出来なかったんですね。





やっぱり白衣と聴診器はモノ珍しいでしょうかヽ(^o^;)ノ

私はいつも仕事であんな格好なんもんで、深い意味もなく、あんな画像を載せちゃいましたが(;^_^A
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