MS(多発性硬化症)とともに~未来へ繋ぐ(治験コーディネーター(CRC)として)

10代後半から多発性硬化症と付き合ってきました。
今日1日を精一杯生きる~そして明日へと繋ぐ~

花の命は短くて…と言うけれど

2017-06-13 12:29:16 | ガーデニング

今年の初夏はいっせいにさまざまな花が咲きそろい、美しさを競うかのようだった。

ところが例年だと、薔薇が咲いてその後次第に枯れてゆき・・・という経路をたどるのだが、いっせいに咲きそろってそれは見事だったが、少しして見るといっせいにドライフラワーになっていたのだ。
吃驚した。

「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」というけれど、これではあまりにも早く枯れ花になって、哀れささえ感じる。

異常気象のせいだ。

情緒も何もあったもんじゃない。

日本が亜熱帯になって、情緒を感じる民族だったことがいつか忘れられるかもしれない。

地球温暖化反対!と言ってももう間に合わないような気がする。

北極の氷が溶けて白くまくんが心配な私だ。

                
   

           

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春の庭めぐりツアー

2017-05-21 12:59:25 | ガーデニング

5月20日(土)8時20分集合で、近くのガーデニング屋さん企画の「春の庭めぐりツアー」に初めて参加した。

今回は近場の市内の個人邸宅のお庭拝見、途中レストランで美味しい料理を堪能し、合計7邸宅のお庭を拝見した。

なるほどね…と勉強になることも多かった。

やはり今の季節はどのお宅も薔薇が真っ盛り、元気よく美しくまた可憐に咲いていた。

種から苗をたくさん作り、出番を待っている様子も拝見した。
ハンギングにしたり寄せ植えをしたり…楽しそうだ。

創作意欲を掻き立てられる。

 

途中、私の携帯がうんともすんとも言わなくなり、最初の3邸のお庭しか写真が撮れなくなった。
うーむ、困った。でもまあいいかと諦めた。

戻ってから携帯会社に駆け込むと、何とただの電池切れだった。

私が直ぐに写真を撮れるようにと撮影できる状態のまましていたのが悪かったらしい。
その間にぐんぐん電池が消耗していったようだ。

壊れたのではなかった。よかった。

たくさん写真を撮ってやろうと欲張りの私をたしなめて、神様がなさった業とも思えた。

とても暑い日だったが、何とか皆についていけたことに感謝!!

          

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眼瞼下垂

2017-04-13 15:31:17 | 多発性硬化症(MS)

多分MS;多発性硬化症によると思われる(断定は出来ないが)眼瞼下垂が大分前から気になっていたので、一昨日手術をした。
表情が不自然で顔の筋肉に力みが生じるので、解決できるものは解決していこうと決心した。

多発性硬化症で奪われたものは数知れない。
だが、今日は「眼瞼下垂症」のことだけを書こう。
れっきとした保険適応の病気である。

一昨日火曜日にF市のYクリニックまで高速バスで行った。
帰りはコンタクトを外して帰らなければならないので、朝から外して姉に付いて来てもらった。

朝から雨で高速バスの中も寒く、嵐のような冷たい雨の中を歩いて11時前に到着し、そこを出たのは4時半くらい、5時頃の高速バスで家に帰り着いたのは6時過ぎだった。

さすがに疲れた。姉も同様に・・・。

そのクリニックの先生は元々私の家から近い所にあったのだが、TVで名医の番組で紹介されたことから遠くからの患者が増え、空港からアクセスの良いF市に移ったのだった。

一旦手術日は決まっていたのだが、1週間くらい前に先生から電話があって、私の家の近くのKS病院の形成外科でしないかと言われた。

私は「多発性硬化症」という病気でステロイドを内服しており、「肺塞栓症」の既往からRという血液サラサラの薬を内服し、
「脊柱管狭窄症」と「第5腰椎辷り症」の術後でまだコルセットをしているから、何かあったら大変と思われたのだ。

私を慕ってきてくれるのは嬉しいけど・・・言われたが、話しているうちにそれなら一筆書いて来てくれる?ということで折り合いがついた。

「誓約書」である。
術後如何なることが発生しようとも責任は私にあります、という誓約書を書いた。
受診拒否をされているようで悔しかった。

手術は思ったより時間がかかった。あまり瞼を引き挙げすぎると目がつむれなくなるから何度も調整し、これで大丈夫と思われるところで瞼を縫っていった。

表情が自然になった私を見て姉も納得したようだった。
MSから来ているのよ、というと更に納得した。
術前から術中は実に丁寧に、また手抜きのない手術だと思った。

やはり少し遠いけどこの病院に来てよかったと思った。

今は瞼が紫色に腫れ上がってまるでお岩さん状態だが、MSに負けたくないから、ひとつでも荷を軽くしたいから、家で安静を保っている。

明日は脊椎の手術をした病院の受診日だから、サングラスをかけていこう。
外すときっと皆ビックリするだろうなぁ。。。

         

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我慢はやめた

2017-01-27 13:27:24 | 生き方

脊柱管狭窄症と第5腰椎辷り症の手術から3か月半、術後は我慢できないくらいの痛みとの戦い、今はプラスチックのコルセットが痛くて、臀部をいじって縫ったらしく、そこの痛みがまだ続いてうんざりする。

痛みは寒い時に増すようで、昨年も2月は大変だった。

休むことのない痛みとの戦い、自分にこんなに忍耐力が無かったのか、ということに苛立っている。

3か月我慢すれば・・・と思っていた時は、食事も入院中の食事を再現して1日3回野菜2種類、メイン、ご飯、フルーツと頑張って整えていた。
何事にも几帳面にするところがいい面でも悪い面でもある。

しかし入院中と違って動きの少ない生活では、また食事?とうんざりしてきた。

食べることが苦痛になったので、1日2食にすることにした。

ウォーキングマシンによる歩く練習も気が向いたり時間があったりしたときだけ・・・無理はしない。

あと3か月弱あるのだから、もう自然体でいくことにした。

今はまるでナマケモノのように生きている。

             

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今だから言えること

2017-01-06 17:46:33 | 生き方

いつの間にか朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」を見るようになった。
ちょうど今昭和25年のお正月の場面で、従業員の独身の女性がこの三箇日に喋ったのはこれが初めてよ、と言っていて自分と重なった。
「ひとりぼっちのお正月」だ。

独り身の人は多分たくさんいるのだろうけど、あまりクローズアップされない。
ニュースでは海外旅行に行ったり、帰省したりする場面が映し出されていて、どこも賑やかな華やかなお正月を過ごしている人が大半だと錯覚させられる。

私の三箇日は時が止まったようで、外は静まりかえり、TVをつけてもろくな番組をやっていなくて楽しくなかった。
今年は特に固いコルセットを常につけていなければならなかったので、それが痛くて気も晴れなかった。

4日になってやっと郵便局が開き、年賀状を買いに行って少し活気が出てきた。
そのうち、訪問看護や訪問リハビリの方が来て、ヘルパーさんが来てやっと元通りの生活になった。

昨年のお正月をどう過ごしていたかと思い手帳を繰ってみると、何と4日からステロイド・パルス療法をしてもらっていた。
調子が悪くてそれどころではなかったのだ。

母が生きていた頃は、必ず旅行に行ったり、長崎まで行ってホテル住まいをしたりしていたものだった。

さて、来年のお正月はどう過ごそうか。と今から考えるが、想像がつかない。

世の中も多分大きく変わる1年になるだろうから・・・。

            

          

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大晦日の誓い

2016-12-31 09:14:41 | 生き方

「誓い」というと大げさになるが、昨日ハッと気が付いた。

11月9日にSK病院を退院して、精神的ダメージがほぐれていくまでに2週間以上かかった。
心が硝子のようになって、壊れそうだった

正確に言うと、ミュージカル「ウエストサイド物語」を12月19日に観て、若い頃の燃えるような心が蘇り、
そこで本当に元気になったと感じた
嘘のような本当の話。

それまで、朝晩の食事の配膳と片付け、時には調理をすることでリハビリになっていると思い込んでいた。

しかしたまにちょっと出掛けることがあると、翌日やその翌日にかなりの疲れが出て横になってばかりいた
コルセットがプラスチックだから痛いせいもあるけど・・・

退院するとき先生がおっしゃったことを思い出した。
リハビリに通わないかね…と。
遠いのでちょっと無理だなと言葉を濁していた。

でも、よく考えると、入院中は午前、午後とリハビリが2回あって、30分くらいはストレッチであとは1時間位歩いていたのだ
それを思うと、今は殆ど歩いてない。
玄米ご飯にしているのにも拘らず便秘気味にもなった

それでこれではいけないと、午前、午後約1時間歩くことにした。

幸いMS:多発性硬化症用にウォーキングマシンを買っていたから、外は寒いのでそれで歩くことにした。

食生活、運動、睡眠、これが大事なのだと改めて気が付いた。

あとは3日坊主にならぬよう気を付けなくちゃ・・・

            

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今年最後の神経内科受診

2016-12-29 09:35:25 | 入院・外来

昨日12月28日K病院の神経内科を受診した。

12月5、6、7日と3日間したステロイド・パルス療法の結果を診るためだ。

SK病院を退院してから、左足に力が入らず、おまけに電撃痛が走って、何とかならないものかと思案して、パルスをしてもらっていた。

先生は、患者さんが希望することは一応やってみるんですと言ってくださった。
何よりも分かっているのが、患者自身、私もそう思っていた。

だって、MS:多発性硬化症の経験なんて先生も誰も経験できないことばかりなのだもの・・・。

昨日は力比べで両手両足に力が増し(普通の人の様ではないが)、電撃痛もほぼ治まった。
味覚障害に気付いていなかったが、それも改善した。

今、プレドニン15㎎だからそれを1週間続けて、その後は14㎎を2週間という風に慎重に減らしていくことで、先生と意見が一致した。

いつも懇切丁寧に話し合ってくださる先生に心から感謝した。

10月13日、SK病院での脊柱管狭窄症と極度の第5腰椎辷り症の手術で、痛くて辛い体験の1年だった。

でもそのなかで5月にイギリスに行かせてくださって、辛いだけの1年ではなく、楽しい思い出も残してくださった先生、
「ありがとうございました」とお礼を言って診察室をあとにした。

          

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定期検査に行って

2016-12-16 16:35:10 | 入院・外来

12月16日(金曜日)、1か月振りのSK病院受診日だった。

この冬一番の寒さだったが、それでもいつもより早く家を出た。

直ぐにX線写真とCT検査を実施した。

それから診察室へ行き、少し待った。

12月13日が丁度術後2ヶ月目で、その日からデスクワークの時などはコルセットを外していいことになっていたので、大分気が緩んでいた。

身体の調子も大分いいので安心していた

ついに私の番が来た。診察室に入って、先生の画像診断の結果を聞いた。

すると、CTを見て、「いいとも言えないが、悪いとも言えない」と微妙な、そしてショックな言葉だった

先生、2か月経ったからデスクワークの時はコルセットを外していいんですよね、と言うと、
あれは普通の患者用のクリニカル・パスであなたには当てはまらない、と言った

あなたの辷り症はひどかったから、6カ月はコルセットを着けていないといけない、と言うではないか

横になっている時は外していいけど、身体に重力がかかる場合はいつも着けていなければ・・・。

しまった、13日からコルセットはかなり大雑把になっていた

でも、まだ数日だ

早めに確認出来て良かったと思った

ショックだったけど、これから苦しくても、きつくてもコルセットの力を借りよう。

私は出来るだけ完璧に治りたいのだ。

ただそれだけ・・・

              

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毎日がリハビリ

2016-12-13 04:30:38 | いろんな事

私は今食生活にこだわっている。

一応このコルセットが外れるまで(多分1月中旬の筈だが・・・)、入院していた時の食事の再現をしている。

決して美味しいとは言えなかったけど(ごめんなさい)、でんぷん質、タンパク質、野菜類、果物少々と三食考えて食事をしているからだ。

野菜類は何料理と名のつくものではなかったが、とにかく野菜やキノコなどを適当に?調理して2品あった。

それを再現しようとすると、どうしても野菜類が足りなくなる。

ヘルパーさんに頼んでも、時間内で出来るのは2品か3品、だから後は自分で冷凍物を調理したりしてつじつまを合わせている。

毎日食事の準備、片付けでかなり手いっぱいで、毎日のリハビリになっている。

ところで入院中私が食事をあまり摂れなかった時、リハビリの先生からおかずは食べなくてもご飯を食べるようにと指導された。
意外だった。
ご飯にはタンパク質もあるし、傷の治りにはいいのだと。

それからご飯を意識して食べるようになった。やはり日本人には米なのか。

日の丸弁当やおにぎりで飢えをしのいでいたから、今の老人は長寿なのだろうか。

後に退院して、K病院の神経内科でステロイド・パルス療法(ステロイド大量点滴)をしてもらったら、味覚障害を起こしていることが分かった。
パルスでよくなったから・・・。

SK病院の食事、もしかすると決してまずくなかったのかも知れないけど、今となっては分からない。

          

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楽しいリハビリ

2016-12-11 06:34:32 | 入院・外来

ステロイド・パルス療法(ステロイド大量点滴)で手足の機能が回復し、喋りも良くなった。
何故か寝返りも自由に出来るようになった。

午前、午後のリハビリ、担当のスタッフは熱心で私の疑問には直ぐに答えてくれるので、納得がいって楽しかった。

歩行器から直ぐに杖歩行になり、下のリハビリ室に行って蟹歩きをするとスムーズに出来た。

私のリハビリはメキメキ進んでいった。

先生もその頃にはいつでも帰っていいよ、と言ってくださった。

その後、家屋調査というのがあり、リハビリスタッフ2人と一緒に家に帰って実際に生活できるかのチェックをしてもらった。

久し振りの家、嬉しかった。

元々MS;多発性硬化症仕様で建てたため、殆ど問題は無かった。

リハビリの方が私の気持ちを察してくれて、出来るだけ早く退院できるように計らってくれた。
なんと家屋調査の2日後に。

私は足が動かなくなる夢を見たり、地震が近くであったり、脅えていた。

心が硝子のように凍り付いて、今にも壊れてしまいそうだった。
またとにかく自由が欲しかった。

その時の夢は、自分の家でゴロンと横になり、たまっているであろう録画されたTVを見ることだった。
他愛ないけれど。

でも、家に帰ってからも2週間くらいは心が元に戻らずに顔から笑顔が消えていた。

しかし、ようやく過去を振り返ることが出来るようになって今ブログを書けるようになった。

            

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プロフィール

17歳で「多発性硬化症」(MS)の兆候が出て、急に高校の授業の意味が分からなくなり、それ以来、頭が悪く(記銘力がなくなった)なり、自分がどうなってしまったか不安でたまりませんでした。名門高校に通っていたけど、成績は急降下、志望大学には落ちてしまいました。志望大学の医療短大に入り、、病院の臨床検査技師として働いてきました。20代後半から物が二重に見えたり、尿が出にくくなったり、疲れやすくなったり、熱い物が食べられない、喋れなくなったりと不思議なことがたくさんありました。途中で乳癌になり、部分切除して、その後抗癌剤とコバルト照射をしました。コバルト照射のたびに痺れが足の先から上がってきて、歩行障害が出ました。主治医の先輩がいる関西の病院で4種類の薬を処方され、歩行障害は取れ、スタスタ歩けるようになりました。「治験コーディネーター」になる機会があったので迷わず志願し、以来、MSの再発は10回以上、でも何とか働いています。