
photo:左・映画「カサブランカ」のポスター、右・クーデンホフ伯夫妻
「カサブランカ」という映画をご存知でしょうか。第二次世界大戦下の1942年に公開されたアメリカ映画で、今日から言えば往年の名優と言うべきでしょうが、都会的なスノビッシュさがウリだったハンフリー・ボガ―ドと北欧系の美貌の持ち主イングリッド・バーグマン、この二人がとてもいい雰囲気を醸し出しています。わが国でも戦後になって公開され、以降六十数年、いまだにファンが多い不朽の名画のひとつです。ついでながら、この映画の全編を通じて流れるテーマ曲As Time Goes By もまた「時の過ぎゆくままに」という邦題を冠せられて親しまれています。
簡単にストーリーをご紹介しましょう。舞台は仏領モロッコのカサブランカ、時はナチスドイツがついにフランスを制圧し首都パリに侵攻した時代。ナチスドイツの手を逃れてアメリカへ渡ろうとする者たちにとっては、まだドイツ軍に占領されていないカサブランカは、中継地リスボンに向かう前にどうしても通過しなければならない寄港地、この町でアメリカ人のリックが経営しているナイトクラブ「RICK`S」は、そうした亡命者たちの溜り場になっていました。
ある日のこと、ドイツ側のアタッシェを殺害してパスポートの束を奪った犯人を追ってドイツ軍の将校シュトラッサーがこの町にやって来ます。パスポートを盗んだウガルテという男にパスポートを預かってくれと頼まれたリックはパスポートを店のピアノの中へ隠します。やがてリックと気の合うフランス側の警察署長ルノーはウガルテを逮捕しシュトラッサーに引き渡します。
その直後、反ナチ運動の首謀者ヴィクトル・ラズロと妻のイルザ・ラントが現れます。彼らはウガルテが奪ったパスポートを当てにしてリックのもとにやって来たのですが、イルザは、この店のオーナーがリックであると知って驚きます。
思いがけない運命の出会いに驚いたのはリックも同じこと、リックは店を閉めたあと、ひとりグラスを傾けながら彼女とのことを回想します。ドイツ侵攻直前のパリで、リックはイルザと熱烈な恋に落ちていたのです。いよいよドイツ軍が侵攻して来たとき、二人は一緒にパリを脱出することを約束していました。にもかかわらず、彼女は、約束の時間に姿を現さず、そのまま消息を断ってしまったのでした。回想にふけるリック、ピアニストが気を利かせて弾きはじめたAs Time Goes By、彼はそれを厳しく制します。そのとき、イルザが一人で現れます。しかし、リックは彼女を冷たくあしらい追い返してしまいます。
イルザの夫ラズロは闇商人の口から問題のパスポートがまだリックの手元に残されているらしいと聞き及び、彼を訪れて懇請しますがリックは応じません。二人の会見の様子を夫から聞かされたイルザは、再びリックを訪れ、パリで彼と恋に堕ちたのは、夫ラズロがドイツ軍に捕われ殺されたと信じ切っていたためであり、約束を破って姿を消したのは、出発の直前になって、夫は無事で、しかも病気で彼女の看護を求めていると知ったためだと事情を語るのでした。
これでやっとリックの心も融け、二人の愛情はふたたび甦ったのです。翌日、リックは署長ルノーを訪れ、ラズロに旅券を渡すからそのとき彼を捕えろ、俺はイルザと逃げると語り、その手はずを整えさせます。なのに、その夜、リックの店にラズロとイルザが現れ、それに気づいたルノーが彼らを逮捕しようとした、そのとき、突然リックがルノーに拳銃をつきつけます。リックはルノーに、空港へ電話をかけてラズロ夫妻の旅客機を手配するようと命じます。しかし、ルノーは飛行場へ電話をかけているように見せかけながらシュトラッサーへつなぎ、暗に二人が出発しようとしていることを知らせてしまいます。
空港に急いだリックがラズロとイルザをリスボン行の旅客機に乗せてやったそのとき、シュトラッサーが空港に駆けつけます。二人の出発を阻止しようとするシュトラッサー、阻止が成功しかかった、そのときリックの拳銃が火を噴きます。旅客機は飛び立ち、シュトラッサーの死によってドイツ軍とヴィシイ傀儡政権の呪縛から解かれたルノーは、リックとともに反独戦線に加わることを誓うのでした。
これが映画「カサブランカ」のストーリーですが、ここで、興味深いエピソードをひとつ。イルザの夫ラズロ、このラズロは、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーがモデルだと言われているのです。
このリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーという貴族、正しくはリヒャルト・ニコラウス・エイジロウ・クーデンホーフ・カレルギーといい、なんと、幼名を栄次郎、そして東京生まれ、母はクーデンホーフ光子、旧姓で言えばかの青山光子であったのです。
注:Richard Nicolaus Eijiro Coudenhove-Kalergi (1894.11.16〜1972.7.27)
クーデンホーフ光子、旧姓は青山光子。明治7年(1874年)に東京の牛込(現新宿区)で生まれました。青山家はもともと佐賀県出身の商人であり、幕末のころに佐賀から江戸に出てきて、祖父の代に菜種油で財産を築いたといいますが、格別な家柄というわけでもないごく普通の家系。光子は青山家の三女として生まれました。ただ、光子は「今、自分がなすべきこと」を全力で成し遂げるといった性格の気丈な女性だったと言われています。
運命の人との出会いは明治25年(1892年)、光子が18歳のときのことでした。店先に出ていた光子の目の前で一人の外国人青年が落馬したのです。光子は、とっさに叫んで助けを求め、医師を呼び、自分も駆け寄って応急手当をしたそうです。 当時は、外国人に近寄るだけでも勇気がいった時代、しかし、苦しんでいる人を、ほうってはおけない!…、光子はそういう女性だったのでしょう。
落馬したのは、ハインリヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵。大国「オーストリア・ハンガリー帝国」の駐日代理公使として日本に赴任して来たばかりだったのです。青年公使は、このとき一目で恋に落ちた…と伝えられています。間もなく二人は結ばれ、日本の国際結婚の第一号となったのでした。
しかし、光子には迷いはありませんでした。私はこの道を行く!…と決めていたのです。明治29年(1896年)の春、光子はドイツ国境に近いボヘミアの古城に“伯爵夫人”として迎えられました。
嫁いだ先はヨーロッパ有数の名門貴族クーデンホーフ家。クーデンホーフ家といえばハプスブルク家の皇女エリザベートの家庭教師も出している学問の誇り高き一族であり、夫のハインリヒはなんと18ヶ国語を自在に操ったと言われていますし、夫の曾祖父の時代には文豪ゲーテとも親交があったそうです。そんな家系に、開国したばかりの東洋の小国から来た花嫁。どんな未開人が来るのかと、初めからそうした先入観で見られたことでしょうし、以降もなにかと苦しめられたことは疑いもないでしょう。まあ、お母様の青山光子さんについてはまたいずれ…。
それはともかく、彼リヒャルトと言えば、汎欧州主義(Pan-Europeanism)の提唱者であり、反ナチス運動の先鋒でもあったのです。汎欧州主義とはその字のごとく、ヨーロッパ圏の各国を一体的に捉え、ひとつに統合するか、あるいは一体性を高めることを志向する思想のこと。いわば、今日のEUの礎となった思想と言っていいでしょう。そのために、彼は今日EUの父と呼ばれています。
もし「カサブランカ」の劇中、ラズロが空港でドイツ将校シュトラッサーによって拘束されていたとしたら…、リックが拳銃の引き金を引かなかったら…、今日のEUは実現していなかったのでしょうか…。 引用文献:Wikipedia









