友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

定期検診

2017年01月06日 18時13分02秒 | Weblog

 2.3日前から脇腹が痛む。正確に言えば、2・3週間前から右の脇腹が痛かった。昼間はあまり感じなかったけれど、就寝になると痛むのだ。それが昨夜は、左右の脇腹に加えて真ん中辺りも痛い。今日は日赤での定期検診である。カミさんは「診察の時に話したら」と言うが、そんな話ができる診察ではない。診断結果の封筒に看護師から渡され、「かかりつけの病院に出してください」と言われるだけだ。

 それでなくても循環器科はいつも混んでいて、私の前に座っていた老人は妻らしき人に「いったい何時間待たされるんだ」と怒っていた。70代の後半から80代と思うけれど、もし、私が先に呼ばれたなら代わってあげようと思っていると、呼び出しがあった。私の診察は3分もかからないが、その人が出てきたのは10分近かった。循環器科だけでなくまだ他にも診察を受けなければならない様子だった。

 もうそんなに活躍することもないし、これから先を期待されることもないだろうから、診察を待たされたところでどうってことはないはずだから、されるがままでよいではないかと、私は思う。景気が悪いのは、老人が増え、消費が伸びないからと指摘する学者がいるがその通りだろう。年金生活になってみると、ただ支出を増やさないようにするしかない。人口の多い年金生活者が消費を控えているのだから、景気が上向きにならないのは当然だ。

 昨日のニュースで、医学会が高齢者の定義を見直すべきだと提言していた。人数の多い団塊世代が75歳になるまではもっと働いてもらい、そうすることで年金の支給開始を伸ばそうという魂胆だろう。「1憶総活躍社会」は、老人も女性もみんな死ぬまで働けということ。みんなで支え合って社会は成り立ってきたのだから、社会の仕組みが変化するのは仕方がない。安らかに死を迎えられる社会であって欲しい。

 「不死」の研究が進んでいるそうだ。1%の富裕層が「不死」になったら、ますます栄華を極めるだろうが、社会の最下層で「不死」になったら、ロボットのように働くことになるのだろう。神の前で全ての人が平等でないような「不死」は、きっと別の「罠」なのかも知れない。


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