友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人には適役がある

2017年03月15日 18時30分16秒 | Weblog

 WBCが始まる前は辛口の批評が多かった。投手陣は粒が揃っているが、打撃陣が心配とも言われていたのに、始まってみると打撃陣の奮闘で連戦連勝である。投手が打たれても打撃で取り返す熱戦が繰り広げられ、見ている側は面白い。決して楽勝という試合ではないが、ここで点が欲しいと思うところで入るから、やっぱり日本チームは力があるのだろう。

 おかげで昨夜はテレビドラマ『カルテット』が見られなかった。野球をしている人たちには申し訳なかったが、フジテレビのドラマ『嘘の戦争』は見させてもらった。録画しておいて見ればいいのだが、最終回だったのでどんな風に終わるのか見たかった。今日、施設に居る姉の見舞いに行った帰り、妹たち夫婦もドラマを見ていたのでこの話で盛り上がった。

 『嘘の戦争』は草彅剛さんが主役だったから見応えがあったが、これを木村拓哉さんが演じたらこれほどのドラマにはならなかったと思うと私が話すと、妹たちも賛同してくれた。カミさんにそれを言っても「どうしてそんなことにこだわるの」と切り捨てられてしまう。木村拓哉さんが演じている日曜日のドラマ『A LIFE』の医者の役は、草彅剛さんでも出来るかも知れないが、やっぱりそうなると主人公の人柄が違ってしまう。

 人にはそれぞれ適役というものがある。私の人生は私にしか演じ切れなかっただろうが、果たして充分出来たのだろうか。父親が亡くなったのは私が高校3年の時、それから何度も引っ越したのに、父親が残した物を段ボール箱に入れて持ってきた。私が死ぬ前に整理しておこうと段ボール箱を開けてみた。父親の履歴書とか手紙とか日記とか童話の下書きのようなものがあった。

 それとキチンと整理された写真のアルバムが4冊かあった。1冊は裁縫教室を開いていた母親のアルバムで、生徒さんたちとの記念写真である。父親が校長をしていた小学校の記念写真も几帳面に貼り付けてある。写真も遺品も本人には大切な思い出なのだろうが、私にも懐かしい父や母の姿だが、私以外の人が見たらただのガラクタでしかない。

 思い出の品は残しておいても、本人以外には何の価値もない。父親の品物もそうだが、私自身がまだ大事に残している物を早く処分しておくべきだろう。だんだん暖かくなってきたから、断捨離に取り掛かろう。


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