友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘と百人一首

2017年07月06日 17時52分42秒 | Weblog

 小2の孫娘が来た時、「百人一首がやりたい」と言う。1年生のクラスで流行っていたようで、「得意だった」とニヤッと笑う。「パパちゃんとやるから、ママちゃん、読む人ね」と決めていく。カミさんは小学校の元先生で百人一首クラブの顧問だったから負けるかも知れないが、私となら勝てると踏んだのだ。

 やってみると、「この頃はやってないから」と下の句が思い出せないことを言い訳していたが、それでも上の句を聞いただけで下の句を暗唱出来るものが結構あった。歌の意味ではなく、リズムで覚えているのだろう。言葉の意味を尋ねてもきっと何も分っていないはずだ。孫娘の父親がかつて、「こんな歌を覚えさせていいんでしょうかね」とFBに載せていた。

 柿本人麻呂の「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかもねむ」。ひとり寝の寂しさを詠っているからだが、人肌が恋しくなるにはもう少し時間がかかるだろう。そのうちには分かるが、今はただ、歌のリズムの面白さから覚えているに過ぎない。この歌は言葉による連想が巧みに使われているから、枕詞についての問いにもなるはずだ。

 百人一首の中で「恋」をテーマにしていない歌がどのくらいあるのだろうと思うくらい「恋」の歌は多い。歌を作ることは遊びであったが、同時に教養でもあったから、「歌合戦」まで生まれたのだろう。中国の慣習や漢詩、伝承なども知っていないと奥の深い歌は作れない。たった31文字で、よく感情を伝えられると感心する。17文字の俳句では短過ぎて難しい。

 「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」(藤原義孝)

 ▽ あなたへの思いが叶うなら命も惜しくなかったのに、叶った今は長く生きたいと思うようになった。

 「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」(和泉式部) 

 ▽ 私はもう長くない。思い出に、せめてもう一度だけでいいから、あなたと愛し合いたい。


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