詩と写真 *ミオ*

毎日は砂浜のように。
きらきら光る粒を探して歩く。

ぼんやりでいいこと

2016年09月18日 | 雑記
ひとり暮らしの頃、よく泣いてた。
家で、めそめそ。
隣の区に両親も兄も住んでいたし。
いま思うと笑ってしまうけど。
でもいまもひとり暮らしをしたら、やっぱりめそめそしてしまいそう。

わたしはへなちょこなんかじゃない。
このさみしさは本物なんだ!とか思って。

そして、だれかといても、さみしいはさみしい。親密になればなるほど深くなるさみしさだってある。

ひとり暮らしの頃、さみしかったけど、とても濃密な時間を過ごしていた気がする。何もなくて退屈することも、底が見えないほど深い気がして恐ろしく、その分いろんなものに、感情移入する。ひとつひとつが重い。光や影、音さえも。

自分が溶け出して世界に浸り、世界が溶け出して自分に入り込む感じ。世界とは何か?自分の外に広がっているもの。でも、どこまでも自分のような気もする。

みんなで同じ世界を共有しているはずなのだけど、ひとりひとりが違う世界を生きている。分岐のない、最初から平行、それとも並行?しているパラレルワールドのような。それはそうなのだけど、たまに、何かの具合で交わっているような気持ちになれることがある。浸透しあっている。水色の円と、緑色の円の一部が重なるような感じで。水とは異なり、重なっても、混ざってしまうわけではなくて、またふいっと離れる。そしてまた何かの拍子に重なる。溶ける。

いまそうなっている、と思うのは、一方的な幻想なのかもしれないけれど。でもそういう可能性をとても自然なことのように感じられたら、曇り空の世界を風のように生きていけそうな気がする。もしくは、部屋の中で雨音を聞いているように。

建物の形や草花や空が、可能性の円の縁をほぐしてゆるやかにしてくれる、とずっと夢見て生きられるなら。

夫とケーキを食べに行って、土砂降りの雨をコーヒーを飲みながらじっと待った。ようやく落ち着いたので外に出たら、また雨が激しくなって、少し離れていた駐車場まで走った。車に飛び乗って、急いでドアを閉めた。雨がわたしたちを濡らさずに、窓を伝い流れる。街が滲んで、浸透を容易にしてくれる。









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