詩と写真 *ミオ*

毎日は砂浜のように。
きらきら光る粒を探して歩く。

闇の奥へ進む(足尾銅山へ)2

2017年06月13日 | 雑記
工場萌えもそうだけれど、人はなぜ、ああいう景色に惹かれてしまうのだろう。それが日常で、しかも過酷な現実であれば、気が滅入る景色でしかないのだろうけれど、そこでの現実を知らない人間にとっては想像力をかきたてられてしまう不思議な世界なのだった。

アウシュビッツの強制収容所へ行ったなら、もちろんそんなことは思わないだろう、と思うのは、恐ろしいものであるという知識が少しは身に付いているからなのだろう。それなのにやはり負の歴史を持つ足尾をどこかロマンチックな目で見てしまう自分。どうかと思う。

足尾銅山の全坑道を立体的に現した映像を見る。まるで蟻の巣のようだ。その全長1234㎞!メートルではなく、キロメートル。なんと東京から博多へ行くよりも距離がある。ほんとうに!?

上下だって1000mもある。大学生の頃、山登りのサークルに入っていたけれど、一日に登る高さがだいたい1000mだった。深い。

足尾銅山は江戸時代の初期に農民二人が鉱床を発見して以来、1973年まで銅を算出していたとのこと。約400年もの間。ほぼ閉山状態のこともあったそうだけれど。

学校で習っても、ちっとも興味を持てなかったと思うのだけれど、実際に来てみるととても面白い。たとえ来たにしても、子どもの頃は、自分とのつながりをぜんぜん見出せなくて、いまほど興味を持てなかっただろう。勉強は大人になってからしたほうがいいのではないかと思う今日この頃。賢い子は幼い頃から何事にも興味を持てるのかもしれないけれど。

暗く、水の滴る坑道を歩きながら「全長1200㎞、高低差1000mもあるならば、いま現在掘っている場所に辿り着くまでに、とても時間がかかってしまう。すると中で寝泊まりして数日ずつで交代していたのだろうか?」と思った。思うだけでなく声に出して言う。こういうとき、やっぱり誰か気のおけない人(夫だけど)が一緒にいるととても助かる。つぶやきたい。というか、ぐいぐい袖をひっぱって、ねえねえどう思う?と言いたい。質問調でありながら、ほんとうは、私はこんな疑問を持っている、と言いたいだけなのだけれど。すごく、迷惑な奴。

つづく

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