Tシャツとサンダルの候

 会社経営から身を引き、テキトーに楽しく過ごすオヤジの日々

大保原古戦場跡を行く

2017-05-14 | そぞろ歩く

数日前から高良山ジョグを再開した。

とはいっても、登りと平坦路のみで、下りに掛かると、てきめん痛みが走る。

それでも、走れたことは自信になった。

調子に乗って日曜の今日、少し長距離を歩くことにした。

どうせなら、日本三大合戦のうちの一つ、大保原の合戦跡を歩いてみたい。

目的地は小郡市役所横の幕府方主力少弐頼尚本陣跡である。

マップによれば経由地を含め、片道13km程歩くことになるようだ。

 

高良川にはアザミが満開だ。

約3km経過。

筑後川を渡る。

 

宮の陣神社。

後醍醐天皇の御子、征西将軍壊良親王が、大保原の合戦の折、ここに本陣を置いたことからこの名がついた。

親王が植えたと伝えられる『将軍梅』は今も花を咲かせている。

と、

ここまでは以前紹介した。

 

先を急ぎたい。

合戦が行われた一帯は、一面の水田である。

恐らく、当時も日本有数の一大農業地帯であった筈だ。

麦の穂がたわわに実っていた。

 

10kmほど進んだ。端間駅近くまで来た。

次の目的地、大中臣神社だ。

 

大保原合戦は、南北両軍10万の軍勢がぶつかった。

凄まじいのはその死傷率。

なんと両軍合わせて25%を超えたという。

(一説によると、そこまでは多くなかったらしいが。)

壊良親王自らも深手を負うと言う、前代未聞と言っていいほどの白兵戦が行われたのは間違いない。

その傷の治癒をここで祈願し、全快の後、その事を謝し奉納されたのがこの藤であると言う。

 

この壊良親王ほど、激烈な生涯を送った皇族はいないと断じてもいい。

だが、宮の陣の梅、この藤の話しといい、恐らくは穏やかで、優しい人柄であったに違いない。

 

この大保原合戦で勝利した南朝方は、大宰府まで攻め込み陥落させた。

征西府を大宰府に置き、しばらく九州を治めることに成功する。

小郡市役所まで1kmほどのところまで来た。

ここは、幕府が南朝方にリターンマッチを挑むべく、九州探題として赴任させた今川了俊との、いわば第2次大保原合戦と言うべき戦いの激戦地。

この戦いで南朝方はついに敗れ、親王は高良山まで退く。

その後、親王は星野村(これも異聞あり)まで流転し、その生涯を終える。

目的地到着。

幕府方主力少弐頼尚本陣跡だ。

 

 

 

帰りは経由地もないので、12kmほどの距離だ。

田舎道を軽くランニングをしながら帰った。

 

 

ほぼ、回復したと言っていいかな?

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2 コメント

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Unknown (江島(エジマ))
2017-05-14 23:17:17
膝の「ほぼ、回復」誠にめでたい事です。大保原の合戦や懐良親王の話、勉強になりました。私、歴史に関してはさっぱりですが、以前、八代まで懐良親王御陵を見に行った事を思い出しながら読ませて貰いました。
へぇー (エッシャ)
2017-05-15 05:04:06
八代にも御陵があるんですね。
膝は僅かには痛みますが、歩くには支障がない程度という感じです。変な捻りかたをすると結構痛みます。完治まではまだだいぶんかかりそうです。

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