美濃路・THE美濃路

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西枇杷島祭について

2016-10-17 | THE美濃路祭

                        西枇杷島祭について
           西枇杷島祭は西枇杷島の美濃路を中心として催される祭です。

   ↓ 尾張西枇杷島まつりポスター
 私の子供の頃は西枇杷島祭といっていましたが、今は尾張西枇杷島まつりといっています。また花火も子供の頃はあげられていませんでした。いつ頃からあげられるようになったかですが定かに記憶していません。
   

 西枇杷島祭のはじまり・・・『にしびの文化財』の書き込みに、問屋町は美濃路沿いに、橋詰町は右岸堤防の岩倉街道沿いにあり、ともに枇杷島小橋のたもとにある町内。小橋を渡り北へと行けば橋詰町、西へ行けば問屋町となる。この地域では享和2年(1802)から山車をともなった天王祭が行われ、現在も尾張西枇杷島まつりとして続いている。 
 今は知る方が数少なくなっていると思いますが、下小田井村には江戸時代初期に枇杷島橋が徳川家康(義直かも)により造られ、下小田井市場も徳川家康の命をもって造られた市場であった。今の枇杷島橋は庄内川左岸より右岸まで一本の橋が架けられていますが。昭和の時代まで、枇杷島橋といえば枇杷島大橋・中島・枇杷島小橋の三つの橋を総称した橋でした。枇杷島橋は下小田井村の市場繁栄をもたらす橋であった。また景勝地、名所地としても名高く数多くの文人、画家が訪れた。下小田井青果市場も日本三大青果市場の一つと称される青果市場でした。美濃路の宿場でもなかった村、下小田井青果市場の繁栄がもたらしてくれた5輌の山車。西枇杷島祭は、江戸時代から始まり、今も続く歴史ある祭です。
 西枇杷島祭について・・・西枇杷島祭は、江戸時代初期に下小田井市場が開設され、その市場が繁栄したため、市場で富を得た人たちが5輌の山車を造り行われるようになった祭と思います。下小田井市場は大変栄えた市場で、日本3大青果市場の一つといわれるほど発展しました。ただ、いろいろ時代の変遷を経る中で下小田井市場は今はありません。しかし、西枇杷島祭は、下小田井市場がもたらしてくれた山車曳きを華とし祭は続けられています。祭は主に美濃路沿いにて行われています。現在も山車は5輌あり毎年恒例となって西枇杷島祭は行われています。祭では花火も打ち上げられるようになり、山車同様花火の人気も相当なものと思われます。祭り見物には行きましたが道幅狭い旧美濃路で行われ余りおしくらまんじゅう状態で自身の様な年寄りには体力が持たないといった所が本音です。           


 ◇西枇杷島祭は下小田井市場の繁栄がもたらしてくれた5輌の山車祭。
   ↓ 「青物市」図会  『尾張名所図会』より
   
 ◇
西枇杷島祭を掲載します。◇
 ◇王義之車

 橋詰町の山車、享和2年(1802)に造られた。江戸時代に造られ200年以上経っているという事です。200年以上受け継がれた山車には風格と大きな存在感が感じられます。また、西枇杷島祭の華となっています。
   ↓ 在りし日の王義之車
   
   ↓ 王義之車
 名鉄線踏切の横断。ここは名鉄線の中でも通過電車が多くて山車での横断は困難な踏切。ただ、お祭りという事と思えますが、名鉄の職員さんといろいろ相談されてる様子がうかがえました。横断するタイミングを綿密に調整されているようでした。
   
   ↓ 王義之車
   
   ↓ 踏切を王義之車わたる
   
   ↓ 王義之車
   
   ↓ 王義之車、踏切をわたりまつり外れの所まで(この場所より南方向が祭りのため道路通行止めになっています)。ここにて曲場(まえば)してUターンしました。
   
   ↓ 王義之車
   

   ↓ 王義之車
   

 ◇頼朝車・・・問屋町の山車、享和2年(1802)に造られた。
   ↓ 
在りし日の頼朝車
   

   ↓ 在りし日の頼朝車
   
   ↓ 頼朝車
   
   ↓ 頼朝車
   
   ↓ 頼朝車
   
 ◇泰亨車・・・東六軒町の山車、文化2年(1805)に造られた。

   ↓ 在りし日の泰亨車
   
   ↓ 在りし日の泰亨車
   
 ◇泰亨車
   ↓ 泰亨車
   
   ↓ 泰亨車
   
   ↓ 泰亨車
    
   ↓ 泰亨車
   
   ↓ 泰亨車
   
   ↓ 泰亨車
   
   ↓ 泰亨車の山車蔵
    
   ↓ 夜の泰亨車
   

 ◇舵手と担ぎ手の「呼吸」により曲場(まえば)が行われます。曲場とは山車を回転させることの呼称のようです。
   ↓ 泰亨車曲場
   
   ↓ 曲場
   
   ↓ 曲場
   
   ↓ 曲場(担ぎ手)
   

 ◇紅塵車・・・西六軒町の山車、享和2年(1802)に造られた。
   ↓ 在りし日の紅塵車
   
   ↓ 在りし日の紅塵車
   
   ↓ 紅塵車
    
   ↓ 紅塵車
   
   ↓ 紅塵車
   
   ↓ 紅塵車
   
   ↓ 紅塵車
            
 
   ↓ 紅塵車
         
   ↓ 紅塵車
   
   ↓ 紅塵車
 西六軒町の紅塵車は、『名古屋名所団扇(うちわ)絵集』に描かれている。画題は「枇杷島祭礼」として。
   

 ◇頼光車・・・杁西町の山車、明治4年(1871)に造られた。
   ↓ 山車蔵(頼光車)について書かれた立札
   

   ↓ 在りし日の頼光車
   
   ↓ 頼光車
   
   ↓ 頼光車
   
   ↓ 頼光車
   
   ↓ 頼光車 
         
   ↓ 頼光車 
    
   ↓ 頼光車
   
  ◇祭の日の美濃路屋根神様      
 屋根神様について・・・大部分は津島神社・秋葉神社・熱田神宮の三社を祀る。それぞれ、疫病除け、火難除け、武運長久祈願とされる。屋根神様は名古屋を中心に尾張に広まった信仰。戦後は次第に取り壊され今では数えるほどしか残っていません。
   
   ↓ 夜の屋根神様
   
   ↓ 祭の賑わい
   
   ↓ 露店の後ろであがる花火
   
   ↓ 祭一景
   
   ↓ 祭一景
   
   ↓ 祭一景
   
   ↓ 祭一景  太鼓路上ライブ
   
   ↓ 祭一景 「浴衣と帯」
   
   ↓ 祭一景 「浴衣と帯と団扇」
   
   ↓ 祭一景
   
   ↓ 祭一景
   
   ↓ 祭一景
   
   ↓ 松原神社
   
 ◇夜の花火・・・花火は庄内川河川敷にて行われますが、庄内川堤防は人が多いという感じより、人が群れてる感じがしました。
   ↓ 花火
   
   ↓ 花火
   
   ↓ 花火

   
   ↓ 花火
   
   ↓ 花火

   
   ↓ 花火

   
      
 ◇2015年の西枇杷島まつりにて5輌の山車が集まりました。山車揃いは毎年行われることはなく、久しぶりに行われたということです。カメラ持参で観に行きました。
   ↓ 5輌山車揃い
   
   ↓ 山車揃い
   
   ↓ 5輌山車揃い
   


  西枇杷島祭の昔も顧みる書き込みとしました。

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