美濃路・THE美濃路

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国府宮はだか祭について

2016-10-17 | THE美濃路祭

                              国府宮はだか祭について
  はだか祭に神男登場!裸男の群れ神男に猛突進!!壮絶はだか祭沸き立つ湯気!!!
                                  儺追神事と夜儺追神事
    国府宮はだか祭は美濃路沿いに国府宮一の鳥居が建つ国府宮の祭です。
            
 国府宮のはだか祭は、神護景雲元年(767)称徳天皇の勅命によって悪疫退散の祈祷が全国の国分寺で行われた際、尾張国司の総社である国府宮においても祈祷したのが始まりと伝えられる。古い伝統がある神事。
     ↓ 国府宮鳥居  戦前の写真
     
  ◇2014年2月12日国府宮はだか祭  
     ↓ 一の鳥居
     

     ↓ 一の鳥居から二の鳥居に向かう参道
     

     ↓ 二の鳥居前
     
     「儺追神事」と書かれた角柱のしるべが立てられていた
     

 PM2時頃、楼門前参道はまだ静寂さを保っているが、参道両側には露店が建ち並び前に進むも人がいっぱいで大変でした。この後PM5時頃より神男が登場。神男が出てくると周りにいるはだか男が神男に触れ厄を落とそうと神男めがけて一斉に集まってくる。神男をガードするはだか男がいるが、はだか男と神男のバトルになる。その光景は圧巻である。
     ↓ 
三の鳥居前辺り参道前広場光景
 周りは警察官が警備にあたっている。この参道広場にて神男とはだか男達が祭(バトル)を繰り広げる!
     
     ↓ 楼門前参道広場、遠方に見えるのは国府宮楼門。
     
     ↓ 
祭の日の拝殿
     
     ↓ 
国府宮はだか祭に際して奉納された大鏡餅(拝殿に供えられている)
     
     ↓ 在りし日の大鏡餅つき  昭和中頃
 早朝から50俵の餅米を奉賛会が一日がかりでつく。巨大なダイダイを載せた大鏡餅は直径24m、重さは4tにもなる。この餅には厄除けの願いが込められている。
     
     ↓ 儺負人の選定 ①  昭和中頃
 儺負人の選定は午前10時、人々の役を一身に引き受ける大役・儺負人(神男)の志願者が
儺負殿に集まり神男の選定が始まる。志願者全員が祈祷をした後、神籖によってその年の神男が選ばれ、差定符が授けられる。
     
     ↓ 儺負人の選定 ②  昭和中頃
 ひとりずつ、三方に載った神籖を引く。当たりを引いた時はその重責を実感する。
     
     ↓ 儺追殿初参拝 ①  昭和中頃
 神様に神男になったことを報告するため、付人と共に儺追殿を初参。この時には体中の毛を剃り、身を清めている。
     
     ↓ 儺追殿初参拝 ②  昭和中頃
 無事に大役を果たすことができるよう、お祓いを受ける。
     
     ↓ 儺追殿初参拝 ③  昭和中頃
 改めて一人で神様に向かい、お祈りをする。
     

     ↓ 
儺追殿(建て直しで新築された儺追殿)
     
 国府宮はだか祭・・・国府宮は「はだか祭」で有名である。旧暦正月13日に行われるこの祭りは、正しくは「儺追神事」という。その起源は、神護景雲元年(767)、称徳天皇の勅命により、全国の国分寺で吉祥天悔過の法が修せられた時、尾張の国司が当社においても五穀豊穣を祈願したのに始まるといわれ、古来、厄除けの祭りと聞こえている。幕末までは古式が保たれてきたが、明治維新の神仏分離後、幾多の変遷を経て現在に至る。今日斎行されている神事は、まず旧暦正月2日、楼門前と二ノ鳥居の傍らに「儺追神事」と書いた標柱(しめはしら)を建てることから始まる。ついで人々のあらゆる災厄を背負うといわれる儺負人(神男)を募り、祈祷とおみくじによって1人を選定し、10日の夜から3日3夜、儺追殿で潔斎させる。
 一方、11日には宮司みずから儺追餅〔灰餅(はいもち)・土餅(どべい)〕をつくとともに、神のよりしろとなる鉄鉾〔てっしょう(大榊に秘符・大鳴鈴・木刀を結びつけたもの)〕がととのえられる。翌12日午前には、奉賛会による50俵取りの大鏡餅が奉納され、夜には儺負人はじめ神事にたずさわる人々も参列して、鉄鉾に一ノ宮(真清田神社)・二ノ宮(大県神社)・三ノ宮(熱田神宮)・惣社(尾張大国霊神社)の4柱の神々を招神して、国家安穏・五穀豊穣を祈願する。
 13日は祭の当日。朝早くから厄除けの祈祷者や厄除けの護符である「なおいぎれ」を受ける人々が列をなし、午後には各町々の裸男が「なおい笹」を威勢よく拝殿に奉納する。これは裸になれない人々が厄除けの祈願をこめた布を笹に結びつけたものである。午後3時、本殿において神事があり、鉄鉾を拝し、神酒を戴いた儺負人が、幾千人の裸男の群れの中に飛び込む。はだか男は儺負人に触れて厄を落とそうと殺到し、もみ合いとなる。手桶で裸の群れにかけられる水が、もみ合う男たちの熱気でたちまち湯煙となる光景は壮絶の極みで、祭りは最高潮をむかえる。やがて儺負人が楼門をくぐり、儺追殿に納まって昼の祭りは終了する。
 その真夜中、即ち14日午前3時、4柱の神に災厄退散を祈願した後、儺負人一切の厄を封じ込んだ土餅と人形を背負わされて、神職以下参列者の投げつける礫(つぶて)の中を追放される。途中、土餅と人形は捨てられるが、それはその場でただちに神職によって埋められ、すべての厄が大地に封じられて神事のすべてが終わる。投げつけられた礫を焼いた神灰は、翌年の土餅につき込まれる。
 ◇礫とは・・・桃の木と柳の木の小枝を和紙に包んだもの。形としては小枝を和紙でおひねり状にしたものと理解してよいとのこと。
 
     ↓ 「夜儺追の神事」図絵  『尾張名所図会』より
     

 この神事は、夜儺追神事が本儀であるが、昼間のはだか男がもみ合う方が一般の感興を引くので、はだか祭として宣伝されている。2014年の夜儺追神事は、はだか祭翌日の午前3時より行われとのことでした。自身の体力では徹夜は無理でしたので写真を撮るのは諦めました。
 はだか祭(儺追神事)は午後3時頃より始まった。
 祭先頭集団が三の鳥居をくぐってやってくる。はだか男達は儺追笹を担いだりして、まっすぐに進むのではなく、参道を右から左へ、左から右へとうねるように小走りで進んでくる。また、儺追笹の奉納は各地区町内会、奉賛会等多くの所から参加するので、儺追笹の奉納儀式は2時間ほど続いた。
     ◇祭の開宴
     ↓ 子供はだか男組が参道を通り、楼門をくぐるところから始まる。
     

     ↓ 子供はだか男組の後に後続の先頭集団が続いてやってくる。
     
     ↓ 後続も来る
     
     ↓ 次々とやってくる裸男たちの集団
     
     ↓ 儺追笹を持ち上げうねるように進んでくる
     
     ↓ 
儺追笹を楼門前で高々と持ち上げ威勢を上げる。
     
     ↓ 儺追笹を楼門前で天高く立ち上げるはだか男達
     

     ↓ 
儺追笹を肩で担ぐようにして楼門を小走りでくぐる
     
     ↓ 儺追笹を肩で担ぐようにして楼門を小走りでくぐる
     
     ↓ 儺追笹を肩で担ぐようにして楼門を小走りでくぐる
     
     ↓ 儺追笹の奉納を終えた裸男たちが出口より出てくる。
       (酒気帯びの人もいる)
     

  各地区町内会、奉賛会等の儺追笹奉納儀式が終了する頃に、はだか男に水をかける男衆が桶を掲げて威勢よく楼門から出てくる。いよいよ祭もクライマックス、神男(儺追人)の出番となる。
     ↓ 裸男に水をかける桶を持った桶軍団
     
     ↓ はだか男に水をかける桶を高々と上げ鼓舞する。
     
     ↓ 楼門前にて水しぶき、新男が楼門をくぐろうとしているのかと思われる。
 私の見ているところから神男は見えませんでしたが、神男は裸男たちに囲まれ圧迫状態。おそらく意識は朦朧、儺追殿までの道のりは近くても劫の時を感じているのでは。
      
 この後は、神男(儺追人)が楼門をくぐり抜け、新築された儺追殿に入ると、儺追神事は終宴(了)となる。
     ↓ 国府宮絵  『尾張年中絵抄』より
     
     ↓ 尾張大国霊神社・国府宮(昭和初期頃)
     
     ↓ 尾張大国霊神社楼門(昭和初年頃)
     
     ↓ 在りし日の国府宮儺追祭
     
     ↓ 標柱(しめばしら)建式
     
     ↓ 奉納の餅搗き
     
     ↓ 国府宮大鏡餅奉納パレード(三条・昭和43年)
 尾西市役所前をパレードする尾西市親友会による国府宮裸祭りの大鏡餅奉納の車列。
     
     ↓ 天下の奇祭・国府宮はだか祭(昭和30年代の頃)
     昭和30年ころのはだか祭と1914年のはだか祭の場内の沸き立つ熱気。はだか祭にははだか男たちに酔気も交じり、怪我人もちらほら。神男に触れることは厄落としになるといわれるが、それを行うことは命がけ!
   !!!果たして神男に触れた人には幸運が訪れるのか・・・・・?
     
     ↓ 在りし日の国府宮はだか祭
     
     ↓ はだか祭の人出(昭和39年頃)
     
    

         

    以上

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