美濃路・THE美濃路

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垂井曳やま祭について「やまと子供歌舞伎」

2016-10-17 | 垂井宿の祭

                          垂井曳(やま)祭について「と子供歌舞伎」        
         匠の技の粋を結集して造られた精緻で優美な3輌の垂井の!


 垂井曳祭の由来・・・垂井曳祭の起源は古く、南北朝時代の文和2年(1353)北朝の御光厳天皇が京から難を逃れて垂井の長者を頼ってこられた時、京の祇園社の牛頭天王を勘請し天皇の安全祈祷を行ったのをあわせて、里人が花車3台を造って曳き廻しお慰めしたのが始まりとしている。その後江戸時代の安永年間(1772~1778)に舞台を造り五穀豊穣の年には豊年祭として曳き出し、子供の能狂言を演じるようになった。さらに文化・文政年間(1804~1829)になると次第に演劇化しを改造し芸術性を高めた。

 現在垂井のは、匠の技の粋を結集して造られ「動く陽明門」ともいわれる。精緻で優美な造り、垂井町無形民俗文化財の子供歌舞伎がの舞台にて華麗に演じられ、その絵姿は時代を超える感動を与えている。
 について・・・垂井町、大垣市辺りでは祭りの華となる物をと名付けていますが、一般的には山車(だし)と呼ばれるものに等しい様式と思える。=山車と理解してよいと思われる。ただ、一般に山車と呼ばれているものには、からくり様式のものが多いと思われ、垂井やまの秀でた特徴は「動く陽明門」と称されるの豪華さと、にて演じられる子供歌舞伎が観れることです。2014年5月2日 試楽 垂井曳祭を観てきました。も見事な造りで目を楽しまさせてもらいましたが、子供歌舞伎も玄人はだしで、これまた一見の価値ありといった具合で、垂井曳祭を堪能させて頂いたといったところです。
 垂井曳祭は八重垣神社の祭礼とのことです。私は垂井曳祭を観てきましたが、八重垣神社の祭礼とは全く知らず、垂井町の祭と思い込んでいました。のちに八重垣神社の祭礼であることを知り驚いた次第です。
 ↓ 八重垣神社由緒書
 
 ↓ 八重垣神社(祭礼日に撮ったものではありません)
 
 ↓ 八重垣神社拝殿

 

 ◇垂井曳祭
   ↓ 平成26年 垂井曳まつりポスター
   

   ↓ 在りし日の垂井曳
   

 ◇ 東町の掲示板
 
 ◇東町の(鳳凰山)を撮った写真を掲載します。
   ↓ 東町の曳(垂井のは動く陽明門と称されるほどすばらしい)
 は主に旧中山道を曳かれるが、道幅が狭くと露店の幅はかすかにしかない。
   
   ↓ 東町の曳
   
   ↓ 東町の曳
   
   ↓ 東町の曳
    
   ↓ 東町の曳
    
   ↓ 東町の曳
   
   ↓ 東町の曳
 東町のと西町の倉を撮りました。倉は東町・中町にそれぞれあります。
   
   ↓ 東町曳
   
   ↓ 東町の曳
   
   ↓ 東町の曳
   
 ◇ 中町の掲示板
  
 ◇中町の(紫雲閣)を撮った写真を掲載します。
   ↓ 中町の曳(垂井の泉とともにとる)
   
   ↓ 中町の曳(南宮大社の鳥居とともに撮る)
   
   ↓ 中町の曳
   
   ↓ 中町の曳
   
   ↓ 中町の曳
   
   ↓ 中町の曳
   
   ↓ 中町の紫雲閣(横からの図)
   
   ↓ 中町の紫雲閣(前・後の図)
   
  
 ◇ 西町の掲示板
 
 ◇西町の(攀鱗閣)を撮った写真を掲載します。
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳(の上での動きがすばやい!)
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳西龍会
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳
   
   ↓ 西町の曳
    
   ↓ 西町の(攀鱗閣)の会所
 攀鱗閣会所として利用されている建物は、旧中山道垂井宿であった頃、長浜屋と号して、江戸時代の頃には旅籠屋として栄えた。その後鉄道の開通により旅人が減少したため酒屋となった所。2014年の垂井曳祭では、西町の(攀鱗閣)会所として使われていました。
   
 ◇八重垣神社前に試楽奉芸(夜芸)のため3輌が集合します。写真は中町のが来るのを扇子を仰いで迎えている所です。
   ↓ 2輌曳
   
   ↓ 2輌曳
   
 ◇3輌が集合
 ↓ 3輌曳
 
 ↓ 3輌曳
 
 ↓ 3輌曳
 
 ↓ 在りし日の垂井の曳(八重垣神社前)
 

                          子供歌舞伎    
          の舞台にて演じられるあっ晴れ子供歌舞伎


   ↓ 子供歌舞伎のぼり
  
  ↓ 祭礼と共に行われた昔の歌舞伎演題
  
 垂井子供歌舞伎について・・・子供歌舞伎は、垂井町観光ガイドによれば、安永年間(1772~1780)に始まったとされる。今回東町、中町の子供歌舞伎は観れましたが、西町の子供歌舞伎は観れませんでした。西町子供歌舞伎を撮った写真は、子供歌舞伎役者のスナップです。始めに掲載する写真は昼間に撮った写真、そのあとは八重垣神社前にて行われた、試楽夜芸の写真になっています。子供歌舞伎の掲載は写真を主としました。
 ※子供歌舞伎を演じるのは、八重垣神社が女性の神ということにて男子のみとされているようです。当初女子も参加しているかと思っていましたが、私の間違いでした。

 
    やまと子供歌舞伎が相まってコラボレーション・観客を愉しませます。
 ◇東町子供歌舞伎
   ↓ 東町子供歌舞伎
   
   
   
   
   
    
   
   
   
    
   
    
   
   
   

  ◇中町子供歌舞伎
   ↓ 中町子供歌舞伎
   
   
   
   
   
   
   

 ◇歌舞伎役者スナップ写真を掲載します 
   ↓ スナップ
   
   ↓ スナップ
   
   ↓ スナップ
   
   ↓ スナップ
   
   ↓ スナップ「笑み!疲れた!困った!」

   
   
   
   ↓ スナップ・・・「シャッターチャンス!」
   
   ↓ スナップ・・・「三人三様」
   
 
   

 ◇神前奉芸(夜芸)・・・今年の神前奉芸は東町が行う。試楽祭の時の奉芸は八重垣神社本殿方向ではなく、八重垣神社本殿北にある秋葉神社に対して行われるとのことです。そのため、東町のは秋葉神社方向に対して向きをあわせていました。明日は八重垣神社に対しての奉芸になると聞きました。
 ◇東町神前奉芸
 ↓ 神前奉芸
 
   
   
   

   
   

   
   
 ↓ 神前奉芸
 

 ↓ 神前奉芸
 
 
以上で2014年5月2日 子供歌舞伎試楽奉芸(夜芸)は終了しました。

 2014年5月2日に観た(撮った)垂井曳祭(子供歌舞伎)の様子を記載しました。垂井曳祭(子供歌舞伎)についての感想は、垂井宿が宿の役目を担っていた頃は、当然垂井宿が代名詞となっていたと思いますが、宿の役目を終えた現在では、垂井宿といえば垂井曳祭(子供歌舞伎)が代名詞となっているように思いました。現在旧垂井宿内に住んでおられる方達の、垂井曳祭(子供歌舞伎)にかける情熱には圧倒された!!! というのが率直な感想です。

               
              幕

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