旅は美濃路

**美濃路の旅と祭と歴史と浪漫**
美濃路の旅をし、美濃路の祭を楽しみ、美濃路の歴史と浪漫知る。


    

今と昔大垣祭について***祭13やま

2016-10-17 | 美濃路の祭

                                    今と昔大垣祭について***祭13やま
      圧巻大垣祭では13やま【やまは車山(車偏に山と書く)】を大垣市中曳きまわし。
            平成27年「大垣祭のやま行事」が国重要無形民俗文化財に指定される。
                   平成28年ユネスコ無形文化遺産に登録される。
                 大垣祭は美濃路大垣宿に建つ八幡神社で行われる祭です。
 大垣祭は濃尾地震、戦災等にてやまの焼失(消失)があったようですが、大垣市及び地域の町内会等々の力添いにて見事13やまを復活させ、全国的にも大垣祭の評価が拡大しているように見ます。美濃路を旅した者として大垣祭の華々しい13やま復活は称賛いたします。   

 大垣のやまついて・・・やまの起源は、慶安元年(1648)に大垣宿の総氏神であった八幡神社が大垣藩戸田氏鉄により再建整備されたおり、城下18郷が喜びを神輿3社の寄付で表し大垣10カ町が10輌のやまを造って曵きまわしたのが始まりといわれる。延宝年(1679)、藩主戸田氏西(うじあき)公から「神楽やま」「大黒やま」「恵比須やま」のいわゆる3輌を賜りそれを機に10カ町はの飾りつけに趣向を凝らしていった。濃尾震災や先の大戦によって多くのやまを失うが、その後修復や復元、購入したことなどにより再建が進められ、平成24年に2輌のやまが復元され、70年ぶりの全13輌のやま
が勢ぞろいした。
 大垣祭は八幡神社の例大祭
 ◇ 大垣祭の13輌やまの名称
 
神楽やま         本町・中町・新町3町内年々交代で曳く
 (神楽やまについて・・・神楽やまは別名御払やまとも市やまともいい、本町・中町・新町の3町内が年々交替で曳き、常に行列の先頭を行くやまという特徴があります。常に1番やまです。理由について4・5人の人に尋ねましたが、詳細を知る方には出会いませんでした。)
 大黒やま        魚屋町・竹島町・俵町3町内年々交代で曳く
 恵比須やま      船町・伝馬町・岐阜町・宮町4町内年々交代で曳く
 相生やま(昭和20年戦災で焼失)       本町
 布袋やま(明治24年濃尾震災で焼失)
  中町
 菅原やま(濃尾震災で焼失)          新町
 鯰やま                        魚屋町
 榊やま(明治以前は朝鮮やま、神仏分離令により廃止、代わりに榊山登場)  竹島町
 浦嶋やま(戦災で焼失復元)          俵町
 玉の井やま(文化12年大洪水で大破)    船町
 松竹やま(別名弁天)              伝馬町
 愛宕やま                      岐阜町 
 猩々やま(昭和20年戦災で焼失)      宮町  
 ↓ 大垣祭の祭やま行事について書かれた掲示板
 
 ↓ 大垣祭絵図
 
     ↓ 在りし日の大垣祭
     
     ↓ 在りし日の大垣祭     
         
     ↓ 在りし日の大垣祭
     
     ↓ 水門川高橋付近。やまが曳まわされる(昭和30年)
     

 ◇2014年5月10日 大垣祭、試楽を観てきました。10日の試楽の日13輌やまは、午前8時30分より八幡神社前で奉芸を行いました。奉芸を行った後は市役所玄関前で掛芸を披露、以後昼間は自由行動。午後は7時ごろまでには13輌のやまが八幡神社前に集まり午後7時各やまの提灯に点灯がされました。
 まず、大垣祭に集まられる人の多さに驚きました。それに地元の人の話では500~600店もの露店が建ち並び、八幡神社あたりの道路は人の混雑で身動きが容易にできない状態でした。祭りも昼と夜では趣も大きく変わり、13輌ものやまがあるので全部のやまを一望するといったことはできませんでしたが、提灯点灯がされた時には何とも言えない祭の雰囲気を肌で感じることができました。私は初めてこの祭を観ましたが、大変壮大で魅力・迫力ある祭を体感しました。 
 ◇大垣祭の写真等掲載します。
     ↓ 大垣まつりポスター
     
     ↓ 大垣祭りのポスター(昭和30年)
     
 ↓ 大垣まつりのやまを描いた版木  明治38年(1905)
 版木について・・・版木には神楽や布袋はあるが船がない。明治24年10月28日の濃尾大震災によって神楽やまや中町の旭やま、新町の船やまが焼失。その後、神楽やまは明治31年、中町は旭やまではなく布袋やまを明治35年に再建したので、この版木に載っています。しかし、新町は船やまをやめて新しく菅原やまを大正14年に再建したのでこの版木には載っていない。
 
 ◇
大垣祭 祭やま等を撮った写真掲載します
 ↓ 八重垣神社前の風景
  
     ↓ 在りし日の神楽やま
     
     ↓ 神楽やま
     

     ↓ 祭やま行列(この位置では13輌ものやまを一望することは不可能。)
     

 ↓ 八幡神社前にて観る
 
     ↓ 祭やま
     

     ↓ 浦嶋やま
     
     ↓ 浦嶋やま
     
     ↓ 浦嶋やま
      
     ↓ 大黒やま
     
     ↓ 大黒やま
     

     ↓ ありし日の大黒やま
     

     ↓ 布袋やま
     
     ↓ 布袋やま
     
     ↓ 在りし日の布袋やま
     

     ↓ 浦嶋やま
       
     ↓ 在りし日の浦嶋やま
     

     ↓ 祭やま
     

     ↓ 祭やま
     

     ↓ 祭やま
     

     ↓ 祭やま
      
      ↓ 榊やま

     
     ↓ 在りし日の榊やま
     
     ↓ 在りし日の玉の井やま
 玉の井について・・・このは、大垣城を築くときに石を運んだ車を改造してにしたことから「石曳やま」といった。上段に彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、中段に龍神、前に唐子を置いて謡曲「玉の井」を演じたので「龍神」ともいい、のちに「玉の井」と改称したと伝えられる。文化12年(1815)の大洪水ですべて流失し、彦火々出見命像のみが残った。そこで前に舞台をこしらえ子供歌舞伎の芸とした。その後、明治8年(1875)頃と同41年(1908)に大改造を施し、謡曲の代わりに浄瑠璃を用いたりし、少女舞踊のとなり今日にいたっている。見送りは竹光一六の能楽、水引も同氏の万歴龍であるとしている。
     
     ↓ 在りし日の玉の井やま
     
     ↓ 玉の井やま
                        

     ↓ 玉の井やま
     
     ↓ 玉の井やま
     
 
    ↓ 玉の井やま
     
     ↓ 玉の井やま
     
     ↓ 在りし日の松竹やま 
 松竹やまについて・・・現在の松竹やまは昭和28年(1953)に市内久瀬川町から白木の舞台付芸を購入し、朱色を豊富に塗ったものである。水引は近江八景の詩で、屋形の内に弁財天をまつり、その前方に龍女人形を配し、変じて白兎となり、満月を背に金の杵をつき、臼を前に白波に踊るカラクリをみせる。なお、舞台では子供が舞踊を演じ、屋形の背後には吹流しと松の旗をつけているとしている。
              
     ↓ 松竹やま
     
 
     ↓ 子供舞踊(あいらしい感じの子で表情に魅了されました)
         
 
     ↓ 松竹やま
        

     ↓ 松竹やま
     
     ↓ 松竹やまスナップ
     
     ↓ 相生やま
     
     ↓ 在りし日の愛宕やま
 愛宕について・・・このやまは、の柱に正徳2年(1712)執行、その下に宝暦9年(1759)、明和4年(1767)、享和2年(1802)修覆と墨書きされ、文久2年(1862)にも修復を重ねて今日にいたっている。前水引の鳩と見送りの下絵は、高村杏村(安八郡神戸町の画家)の傑作としている。
      
     ↓ 愛宕やま
     
     ↓ 愛宕やま
     
     ↓ 祭やま
     
     ↓ 恵比須やま
     
     ↓ 在りし日の恵比須やま
     
     ↓ 大黒やま
     
 ↓ 祭やま
 
     ↓ 菅原やま
                   

     ↓ 猩々やま
     
 ↓ 祭やま
 
 ↓ 祭やま
  
 ↓ 祭やま
        
 
 ◇ここからは提灯に灯りがつけられた後撮った写真を掲載します
  ↓ 夜の風景
  
  ↓ 夜の風景
  
 ↓ やまを回転させる(やまの魅せ場!)
 
 ↓ やまを回転させた! ☆☆☆«やまの乱舞»☆☆☆
   
     ↓ 夜のやま
       

           ↓ 夜のやま
     
 ↓ 夜のやま
 
     ↓ 夜のやま
     

 ↓ 夜のやま
 
 ↓ 夜のやま
 
     ↓ 鯰やま
     
     ↓ 浦島やま
     
     ↓ 夜のやま
     
     ↓ 夜のやま
     
     ↓ 夜のやま
     
 ↓ 夜のやま
 
 ↓ 夜のやま、やまは人混みをかき分けるように進む。
 
     

 大垣祭は戸田10万石の城下で、広範な範囲まで祭が浸透している印象を持ちました。現在の美濃路の中で、これだけ盛大な祭りを行っているのは大垣祭という事になると思います。人が多く集まることによって露店の数が増えたと思われ、露店の数は500~600を超えるとも言われています。大垣宿のかなりの範囲が通行止め御免!といった印象を持つほど、やまの移動範囲が広いのには驚きました。13輌ものやまが大垣の町中を掻き回すように曳き廻わされるのは圧巻です。

       以上。

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