美濃路・THE美濃路

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熱田神宮今と昔 Ⅰ

2016-10-18 | 美濃路

                 熱田神宮今と昔 Ⅰ 
   熱田神宮の歴史等の見所は山ほどありますが、熱田神宮創建は古く、私にはまだまだ知るべきところが多くある宮、浪漫溢れる宮・悠久の宮です。

 熱田神宮について・・・創建された時期は不明とされるが、景行天皇の時代と伝えられ西暦71年~130年頃と推測されるとしている。三種の神器の一つ草薙の剣を御神体として祀る神社で、伊勢神宮に次いで格式高い神社である。境内の広さは名古屋の市街地にありながら広大で、その大部分は木々が鬱蒼と茂る森となっていることから熱田の杜とも呼ばれている。森の中には巨木も多く、樹齢1000年前後のものも含まれる。
 境内には本宮、別宮、8つの摂社、19の末社が祀られている。境外には4つの摂社、12の末社が祀られている。社殿は第二次世界大戦の戦災で焼失。現在あるものは戦後に再建されたもの。
  
↓ 熱田神宮之図
  
  ↓ 尾張国熱田鎮座 熱田神宮神境図
  
  ↓ 尾張国熱田鎮座 皇大神宮神境図(同本宮部分と同別宮部分)
  
  
  
  ↓ 熱田神宮上棟式之図(部分)
  
  ↓ 熱田神宮古絵図
  

  ↓ 熱田神宮神域図  熱田神宮御遷座之図
  
  ↓ 日本武尊坐像
 日本武尊坐像と称されるも聖徳太子坐像との説もあるようです。この絵は形式化された画風より室町時代中期~末期の作品と思われている。
  

  ↓ 神話と歴史でたどる熱田神宮1900年の歴史(掲示板)
  
  ↓ 【創祀】 草薙神剣誕生
  
  ↓ 【古代】 平安時代前期
  
  ↓ 【古代】 平安後期
  
  ↓ 【中世】 蓬莱伝説
  
  ↓ 【近世】 安土桃山期
  
  ↓ 【近世】 江戸時代(一) 徳川家康
  
  ↓ 【近世】江戸時代(二) 尾張藩主徳川義直
  
  ↓ 【近代】 大正期 日本武尊千八百年祭
  
   ↓ 「東海道五拾三次之内 宮」絵  安藤広重画
   
   ↓ 熱田宿熱田ノ宮絵図  『尾張国絵図』より 元禄頃(1688~1704)
   
   ↓ 熱田宮図  『大日本五道中図屏風』より
   
  ↓ 熱田陌図   『張州府志付図』より
   

 ≫熱田神宮は戦災(昭和20年・1945)
の影響を大きく受け、現在の熱田神宮は戦災前の熱田神宮とは同様の熱田神宮とは言えません。往時の記録を見ると歴然としています。戦災前の熱田神宮が残っていれば熱田神宮の三門(鎮皇門、海蔵門、春敲門)等々の歴史建造物が有ることになります。
   ↓ 熱田のみならず日本各地に爆弾投下したB29
   
    
  熱田神宮創建・・・熱田神宮は景行天皇43年創建と伝えられており、この年は西暦に換算すると113年とされる。2013年(平成25年)は創祀1900年にあたる。また、熱田神宮は伊勢神宮に次いで格式の高い神社とされる。
 ↓ 熱田神宮出来事
      
 熱田宮全図を掲載します。熱田宮全図は横に長くなっており2枚に分割して掲載します。
熱田宮全図を見ると、熱田宿のほぼ全域が熱田神宮の神領にあたるように見れます。
 ↓ 右側図
 
 ↓ 左側図
 
  ↓ 熱田神宮辺り絵図  『東海道分間延絵図』より
  
  ↓ 熱田神宮図 『東海道分間延絵図・解説編』より
    
 ↓ 熱田神宮辺りの絵図 『美濃路見取絵図』より
 
 ↓ 熱田神宮絵図 『美濃路見取絵図・解説篇』より
  
  ◇熱田大宮を描いた図会掲載  『東海道名所図会』より
   『東海道名所図会』では6ページを一組に熱田大宮を描いている。
  ↓ 熱田 八剣宮 御所前 摂社 末社図会 『東海道名所図会』より
  
  ↓ 熱田 大宮 正殿 土用殿図会  『東海道名所図会』より
  
  ↓ 古渡高倉神社図会
  

 ≫熱田大宮を描いた図会掲載 『尾張名所図会』より
 往時の熱田神宮の様子を掲載します。図会は其一~其三まであります。其一は右側部分の絵になり、其二は真ん中の絵、其三は左側部分になります(其三までで1組)
  ↓ 其一 『尾張名所図会』より
  
 
  ↓ 其二 『尾張名所図会』より
  

  ↓ 其三 『尾張名所図会』より
   
 ↓ 熱田大宮全図  『尾張名所図会』より
   
     ↓ 下馬橋(其一をトリミング)
 下馬橋について・・・図会中の下馬橋は25丁橋と理解してよいとのこと。ただ、現在保存されている25丁橋と同一のものではない可能性があるとのことです。25丁橋の名称については、いつ頃からその名称で呼ばれるようになったかは調べてみないと即答はできないといわれました。基本的に下馬橋より先は神域になり馬などに乗ってここより先へは行くことができないという事からつけられた名称のようです。(熱田神宮の方に尋ね書き込みましたが、聞き間違いがある可能性もあり確証については熱田神宮にお尋ねください。)
   
 
  ↓ 上図絵(其の2)の正殿部分をトリミング掲載します
   

 上の図絵には拝殿、正殿、土用殿が描かれています。『尾張名所図会』では正殿を正式名称の御本社正殿と記しています。御本社正殿と土用殿。
 ≫御本社正殿=延喜神名式に熱田神宮大明神と記せり。祭神五座にして、中殿に日本武尊、西殿二間に天照大神・素戔鳴命、東殿二間に宮簀媛命(みやずひめのみこと)・建稲種命が祀られている。
 ≫土用殿=正殿の東に並びて草薙の寳剱を安置す。
 次に図会に書かれている門(3箇所の門)をトリミング掲載
   ↓ 鎮皇門(戦災で焼失〉トリミング 『尾張名所図会』より
    
   ↓ 在りし日の鎮皇門
   

   
   ↓ 熱田神宮西門(現在は鎮皇門はなく鳥居が建っています。)
   
   ↓ 春敲門(トリミング) 『尾張名所図会』より
   
   ↓ 春敲門(戦災で焼失)
   
        

   ↓ 春敲門扁額(春敲門の文字は書家で名の知れた小野道風筆)
   

   ↓ 海蔵門(トリミング) 『尾張名所図会』より
   

   ↓ 海上門(戦災で焼失)
 海上門は海蔵門とも呼ばれたと思われる。海上門を挟むように塀が設けられているが、信長塀という事です。海上門が信長塀に挟まれるように建っていたことは興味深いです。
    
   ↓ 在りし日の海上門
   
   ↓ 参道より鳥居・海上門望む
       

 この図絵には描かれていない門があります。それは北の清雪門「開かずの門」ともいわれ現在は熱田神宮境内に保存されています。3箇所の門が戦災で焼失してなくなったことは残念でなりません。
   ↓ 清雪門「開かずの門」
 天智天皇の時代に熱田神宮を訪れた新羅の僧がこの「清雪門」より侵入し神剣を盗む。その計画は失敗に終わり熱田神宮に無事戻った。神剣は二度とこのような災難に遭わぬよう厳重に保管。このことがきっかけで清雪門は永遠に閉ざされることになったといわれる。
   

 この神宮の四門は神宮四方を固める「四彊神門」であった。熱田神宮の門の中「開かずの門」として使用されなかった清雪門であったが、他の三カ所の門は戦災で焼失、「開かずの門」として使用されなかった清雪門のみが戦災を免れ残ったことには皮肉な感が否めない。
 熱田神宮にはそのほかに建物が建っています。『尾張名所図会』に簡単な場所の説明がされていますので記載します。
 勅使殿=拝殿の南にあり、直會殿と号す。昔は毎年二月祀年祭・十一月新甞會には、勅使参向ありし事、熱田『熱田舊記』に見えたり。

 神楽殿=海蔵門の内にあり、平日も巫女此処に出で居て神楽を奏す。
 神輿舎=鎮皇門の内にあり
 寶藏=本社の西にあり
 舞臺=勅使殿と拝殿の間に礎ありて、舞楽を奏する時に臺を設く。
 樂処二宇=舞臺の東西にあり
 神厩=海蔵門の外にあり
 御饌殿=同上
 橋部屋=鎮皇門の内にあり
 神庫= 春敲門の内にあり
 透垣=勅使殿の南にあり
 政所=鎮皇門の外にあり
  以上が『尾張名所図会』に記載されていました

   ↓ 熱田兩宮神境之図  明治43年 
     八剣宮と本宮の境図と思われます。
   
   ↓ 熱田神宮図  『名古屋市全図』より  明治44年
   
 ↓ 熱田神宮辺り図  『大名古屋市名勝交通鳥瞰図』より  昭和8年(1933)
 
 ↓ 熱田神宮辺り図  『名古屋市鳥瞰図』  昭和11年(1936)
 
   ↓ 在りし日の熱田神宮本宮
   
   ↓ 在りし日の熱田神宮本殿
   
   ↓ 本宮荒垣外より正殿を望む
   
   ↓ 熱田神宮本宮  明治5年(1872)撮
   
   ↓ 熱田神宮  明治時代
   
   ↓ 在りし日の熱田神宮
   
   ↓ 在りし日の熱田神宮(絵葉書)
   
   ↓ 在りし日の熱田神宮
   

   ↓ 在りし日の熱田神宮
   
   ↓ 在りし日の熱田神宮
   
   ↓ 官幣大社熱田神宮
   
   ↓ 国宝手筥 文様と熱田神宮本殿
   
   ↓ 熱田神社之図 『名古屋明細全図』より 内容年代明治28年(1895)
 熱田神社の図を見るに、自信は持ち合わせていませんが、鳥居の前の石橋は25丁橋、鳥居うしろの門は海上門が描かれていると見ましたが・・・。
   

   ↓ 「神宮雪旦」図絵  『名古屋名所図会』より  昭和7年頃
   
 
    

   続きの書き込みは 熱田神宮今と昔 Ⅱ としています。

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