通訳クラブ

会議通訳者の理想と現実

恐怖の現場

2014年07月21日 | 『毎日フォーラム』コラム

 これまでの経験で難しかった仕事と言えば、理論物理学や古生物学など、科学の基礎をある程度抑えたうえで専門用語を覚えなくてはならない会議とか、「javaの開祖がプログラミングのコツを伝授!」のように、スライドを埋め尽くす式の読み方も覚束ないまま、集中力と瞬発力だけを頼りにひたすら直訳していくしかない講演とか、色々あるのだがこれらはまれなケース。もっと頻繁で恐ろしいものがある。社内会議だ。

 通訳者はどんな現場に行っても唯一の素人なので仕事の前には謙虚に勉強する。事前に頂いた資料を読み、調べ、できるだけ周辺情報をチェックする。でも哀しいかな、社内事情までは分からない。会長、社長の名前くらいは覚えて行くが、外国人役員の言うセイトーさんが佐藤さんなのか斉藤さんなのか、ウワキさんが尾脇さんなのか植木さんなのか非常に迷うし、セイジと言われれば「せいじさん」と訳すしかないが、日本人サイドが横山部長と呼んでいる人と同一人物だと認識できた頃には会議も終盤だ。

 若い頃出かけた現場で盛んに使われていた「ソーキ」が分からなくて通訳発注の担当者に質問したら、真面目な顔で「相当キているの略です」とおっしゃる。え?と目を白黒させていたら「嘘です。総合企画部です。」一度からかって満足されたのか他にもソージが総合事務課、ケンカイが研究開発部、と色々教えてくださった。その後も様々な現場で多様な社内用語にぶつかってきた。ジケイショは事業計画書だったしセッペンは設計変更。「それにはマルチが絡むから…」は超難問。漢字の知を○で囲んで知財のことをそう呼んでいた。

 部門報告会で若い課長が登壇、その第一声に通訳者は凍り付いた。「筋肉動画発表します!」え?何の動画って?担当していた通訳者がパニックする中、パートナーがハッと気づいてプログラムを指さした。営業部金融二課長、工藤慎二。「金二、工藤が発表します」だったのだ。笑いたい、でも泣きたい、恐怖の現場だ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2014年7月号掲載)