通訳クラブ

会議通訳者の理想と現実

細いの太いの細かいの

2011年09月21日 | 『毎日フォーラム』コラム

 昔懐かしいトランプゲームの定番と言えばババ抜きや七並べ等があるが、一つ異色のネーミングを授かったのが神経衰弱ではないだろうか。英語では pairs とか concentration(集中力)と呼ばれる。集中力と記憶力を駆使するこのゲームに、精神努力の後の極度の疲労を意味した昔の医学用語を当てたのはなかなかのセンスだ。トランプではなくノイローゼの方の神経衰弱と言いたい時には nervous breakdown を使う。

 ナーバスは日本語でも良く使うが、神経がぴりぴり過敏になっている状態を all nerves と表現することも出来る。ところがややこしいことに nerve はそういう細い神経ばかりでなく図太い神経を表すこともあるのだ。上司に進言したいことがあったのに、最後の最後で度胸を失った時はため息をつきながら ”I lost my nerve.” ただ、やっぱり神経、触れられると痛い。そこで ”He gets on my nerves.” と言ったら「神経にさわる奴だ」となる。

 細い太いの他に日本語の「神経」は細やかな場合もある。もともとこの言葉は杉田玄白や前野良沢が1774年に刊行された「解体新書」を翻訳した際に「軟骨」や「動脈」などと共に作り出した造語で、精神を表す「神気」と気の流れるルートを意味する「経脈」とを組み合わせたものだそうだ。そんな背景があって刺激伝達経路という解剖学的意味と共に、「神経が行き届く」「細やかな神経」のような気配りの意味が生まれたのかもしれない。そこで「無神経」と言うと無自覚 insensible、鈍感 insensitive、無粋 tactless 等を指すのである。

 一方英語の nerve には思いやりの意味はいっさい無い。「無神経な奴だ」と言いたくて ”He’s nerveless.” と言ったら「恐れ知らずだ」と褒めてしまうことになる。逆に勇気や度胸が行きすぎると図々しさや厚かましさになるので、たいした神経だ、とあきれる時の ”He’s got a nerve!” こそ「なんて無神経な!」にぴったりなのだ。

(「毎日フォーラム 日本の選択」2011年9月号掲載)