人生は旅です ①

大好きなところはヨーロッパです。好きな言葉は夢です。ブログは私の心の窓です。

アンダルシア&バルセロナの再訪 ⑥

2015-03-29 11:08:36 | 旅行記

朝から曇っていて、朝日はあまり撮れませんでした

これから近くの町ヘレス・デ・ラ・フロンテーラのシェリー酒の醸造所を見学

ヘレス・デ・ラ・フロンテーラは愛知県清須市と姉妹都市ですカディスから37キロぐらい離れた内陸の都市です。旧石器時代から人が住んでおり、3000年前にはタルテソス人が居住していた。シェリー酒の産地として世界的に有名です

日本語を話せるパコさんが案内してくれました

シェリー酒はスペイン語で「ヘレス」、つまりヘレスの町で造られたワインという意味です

かつてはアンダルシア地方のワインの一つにすぎなかった。

シェリー酒が世界的に知られるようになったのには歴史的な背景があります。

15世紀後半、百年戦争でフランスに敗れたイギリスは、それまで支配していたボルドー地方(現在もフランス随一のワインの産地として有名な地域)を手放すことになりました

その為おいしいワインを求めて新たな産地を探し歩いた結果、スペインのシェリー酒を発見したというその香りはワイン好きなイギリス人を唸らせるほどしかも比較的安価で手に入ったことから、シェリー酒はイギリスで大ブームとなり、世界中にその名が広がっていったのです

他のワインとは違った独特の製法で作られますまず原料のブドウはグアダルキビール川グアダレーテ川に挟まれた、石灰質の土地で造られたもののみが使われます。種類はパロミノとペドロ・ヒメネスという甘い白ブドウ圧搾され一回目の発酵が終わった後、ブランデーを加えるそうです熟成においても個性的なやり方がなされます。イザベル2世の来訪を記念して作られ204樽が置いてあります前国王夫妻&フェリペ皇太子の酒蔵。

日本の皇太子も来訪し、サインされた樽もありました

びっくりしたのはネズミが週に一度シェリーを賞味に来るとかその後、試飲させてくれました

一口にシェリー酒と言っても、辛口のものから甘口のものまで様々あります

アルコール度数が高かった

最後、ショップで買い物タイム。

ここのシンボルのマークは気に入りました可愛かったですね

それから王立アンダルシア馬術学校でショーを見学

アンダルシア地方の馬術学校。

ヨーロッパ各地にスペイン馬術学校がありますが(ウィーンのが有名)

ここはその本家本元です

この学校からは馬術国際大会でトップを飾るような馬と騎手が輩出されます

伝統的な馬術の技巧により、スペインの音楽にのってダンスをする馬たちと18世紀スタイルの乗馬衣装に身を包んだ騎手たちの華麗なショーでした

撮影は禁止で残念でした

ランチは市内のタパス料理です。

久しぶりに雨に遭いました午後、カディスに戻り、雨から曇りに変わりました

町を散策しながら、タビラ塔に登りました

入場料が12ユーロで高かったね。

紀元前10世紀頃、地中海交易で活躍していたフェニキア人が築いた拠点がカディスの起源とされ、フェニキア人によってガディル(Gadir)と称された。

当初はイベリア半島の一部ではなく、半島から離れた小島だったと考えられている

土砂の堆積などによってやがてイベリア半島と結びついた。

古代ギリシア人にもカディスは知られており、彼らにはガデイラ(Gadeira)として記されていた。

その後ローマ帝国、西ゴート王国の支配を経て、イスラム勢力による征服を受けた。

 あちこちに塔が見えますが、実は「塔の町」という別名で呼ばれていたそうです

大聖堂の地下にカディス出身の作曲家ファリャのお墓がありました

ファリャは1876年の11月23日にこの街で生まれました。そして彼が亡くなったのは1946年11月14日、この故郷とは遠く離れたアルゼンチンのアルタ・グラシアが最期の土地でした

その後、彼の魂はカディスに運ばれました

 

彼の遺書には「私の遺体は聖なる場所に運ばれ、ローマン・カトリックの儀式に従って埋葬し、救世主の十字架の下にあるようにしてほしい」と記されています今晩の夕食が付いてないので、ゆっくり部屋から景色を眺めながら、私はカディスの町が好きでしたねもっとゆっくり滞在したいところです


最新の画像もっと見る

コメントを投稿