まだ5月だけど、徐々に夏が近づいている事を感じずにはいられない。
まあ、まだ気温だけのこと。強いコントラストのギッシリした積乱雲を早く見たいなと思う。去年は本当に不抜けた夏だったから、少し今年も心配だけど。
夏を大好きだと思い込んでる。夏になれば、全てが物語みたいになって、青春が戻ってくるような気がしてる。でも、そんなことない。
毎年、焦っているうちに終わっていくのを知っている。記憶の中にある物語や絵画のような夏は、勝手に結晶化した夏で、創作物と紙一重なんだ。
夏に対する憧憬は、過去に対する憧憬の典型だ。それに気づかず、気づきつつ、毎年おいてけぼりになっている。
記憶は結晶化して、たいていのことは愛しくなるけどそんなの待ってられない。
現実の中でも、単純な楽しさや快楽ではなくて、即座に良いと思える場面ってたくさん存在する。
本当は全てがそうなのかもしれないけど、気持ちにそういうものを受け入れるドアが何種類もあって、それが開いた分だけ飛び込んでくるんだと思う。人によってそれぞれのドアの大きさも違うのかもしれないし、開いてる人も日によったら閉じるのかもしれないと思う。
現実のまま感傷できる頭があるって、すごくリーズナブルというか、良い状態だと思うんだよ。
そういうのが究極まで行くと釈迦みたいになるのかわからないけど、俺はできれば生活の中をちゃんと歩きたい。
達観したいんじゃなくて、単純に、もっと面白おかしく生きていくためにそういう感覚が広がったらいいと思う。
だから、夏を焦がれる気持ちも遊びつつ、きちんと5月を楽しみたいと思うのだだだだ。
まあ、まだ気温だけのこと。強いコントラストのギッシリした積乱雲を早く見たいなと思う。去年は本当に不抜けた夏だったから、少し今年も心配だけど。
夏を大好きだと思い込んでる。夏になれば、全てが物語みたいになって、青春が戻ってくるような気がしてる。でも、そんなことない。
毎年、焦っているうちに終わっていくのを知っている。記憶の中にある物語や絵画のような夏は、勝手に結晶化した夏で、創作物と紙一重なんだ。
夏に対する憧憬は、過去に対する憧憬の典型だ。それに気づかず、気づきつつ、毎年おいてけぼりになっている。
記憶は結晶化して、たいていのことは愛しくなるけどそんなの待ってられない。
現実の中でも、単純な楽しさや快楽ではなくて、即座に良いと思える場面ってたくさん存在する。
本当は全てがそうなのかもしれないけど、気持ちにそういうものを受け入れるドアが何種類もあって、それが開いた分だけ飛び込んでくるんだと思う。人によってそれぞれのドアの大きさも違うのかもしれないし、開いてる人も日によったら閉じるのかもしれないと思う。
現実のまま感傷できる頭があるって、すごくリーズナブルというか、良い状態だと思うんだよ。
そういうのが究極まで行くと釈迦みたいになるのかわからないけど、俺はできれば生活の中をちゃんと歩きたい。
達観したいんじゃなくて、単純に、もっと面白おかしく生きていくためにそういう感覚が広がったらいいと思う。
だから、夏を焦がれる気持ちも遊びつつ、きちんと5月を楽しみたいと思うのだだだだ。
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